私は自分の勤務時間が終わってから、まだ保育に入っている悠を待つついでに職員室のパソコンデスクで保育週案を書いた。


 私が受け持つのは、悠とは別の五歳児クラス。


 男の子たちが「ザリガニ釣りがやりたい」、女の子たちは「クローバーの髪飾りを作りたい」と言っていたので、、名古屋市内では、珍しく自然が多くあってザリガニの釣れる池がある下茶池公園も行く計画を立てた。


 そして、子どもたちの様子や課題を保育週案に書き込んだ。


 保育室からにぎやかな声が聞こえてくる。


 「悠先生おままごとやろー」と元気な女の子の声が聞こえた。


 「いいよ。先生は何役をやればいいかな?」


 「じゃあ、私はママ!ゆきちゃんが赤ちゃんだから、悠先生はパパね」


 「よーし!パパが仕事から帰ったよー。めいちゃんママご飯はある?ゆきちゃん赤ちゃんは良い子にお留守番できたかなー?」と、声を低音に変えた変な声が聞こえてきた。


 悠が真似するパパがなんだか可笑しくて、私は思わず吹き出す。


 「パパー。今日のご飯はカレーよ」


 「ありがとう、めいちゃんママ。ぱくっ。う、う、う、ぐぐぐぐぎゃあああ。ばたっ」


 「たいへんっ!パパがカレー食べたら倒れちゃった!」


 「ううう、ゾンビになっちゃったぞー!みんな食べちゃうぞー」


 「わー悠先生がゾンビなった!」


 「みんな逃げろー!」


 「ううう、捕まえた子はこちょこちょしちゃうぞー」


 捕まった子の楽しそうな笑い声が聞こえる。


 「わー、あははははは」


 「ううう、めいちゃんの次は誰を捕まえようかなぁ〜」


 おままごとをやっていなかった他の子も、いつの間にか巻き込んで、悠のクラスから子どもたちの大きな笑い声が響き渡る。


 なんで、おままごとをやっていたのに、急にゾンビの追いかけっこになるのだろう。


 悠の保育は発想が子どものように奇想天外で、いつもこんな感じだ。


 頭の中を確認できるなら、彼が子どもたちと遊ぶ時にどんなことを考えているのか見てみたい。


 しかし、そんな子どもとの遊びは得意な悠だが苦手なことがある。


 それは、保育計画や制作などの事務作業だ。


 特にパソコンを使うことが苦手で作業時間が人一倍掛かる。


 他のことに追われて保育週案など大事なことをやりそびれてしまうので、私は悠を手伝うことが多い。


 でも、今日は私の予定がある日なので、彼の事務仕事はやらずに保育園を出た。


 歩きながら唐突に「あー。今日も可愛いなぁ、仕事あがりに晴の顔が見れるなんて最高だな」と悠が言い出す。


 「私の顔なんて、別に普通だし。そんな可愛くもないでしょ」と無愛憎に帰した。


 「えー。俺は晴が世界で一番可愛いと思うよ。顔はもちろん、今日のベージュのワンピースとか、晴のボブヘアーもめっちゃ好き。あ、前髪切ったでしょ。でも俺は晴の見た目だけじゃなくて性格も大好き!」


 悠は恥ずかしげもなく話す。


 いつもの事なのだけど、さらっとこういうことを言うので、不意打ちでこっちは照れてしまう。


 「恋人フィルターがかかってるだけでしょ」


 そう言って金白駅前の交差点で信号を待つ間、照れ隠しのために私はスマホを触った。


 恋人フィルターがかかっているのは、正直、私も同じだ。


 悠と付き合ってもうすぐ二年経つのに、私には彼の顔が格好良く見えてしょうがない。


 外見も、たまに寝癖がついてるけど黒髪の無造作ヘア、オーバーサイズの白Tシャツ、黒のスキニーも私好みなのだ。


 それにこの人当たりが良い性格なので、私もどんどん惹かれていっている。


 あまり恋愛体質ではないこの私が、沼にはまったように彼を好きなのだ。


 けど、この事を本人に直接言うと調子に乗って喜ぶので絶対に言わない。


 なんか悔しいし。


 そんな私の気持ちも知らずに、悠は隣で能天気に笑っている。


 「あー。今日も早く晴の歌聴きたいなー」


 悠が、私の肩に掛けているギターケースに目をやった。


 「ありがとう。いつも楽しみにしてくれて。でも毎回聴きに来なくってもいいからね」


 「なんでそういうこと言うんだよ。俺が聴きたくて行ってるんだよ。晴の歌声ってさ、優しくて心が落ち着くし、なんか聴いてて俺も頑張ろうって思えるんだよ。まあ、晴の事情を知ってるから余計に感情入っちゃうところもあるけど」


 そう言ったあと、「それに、晴の可愛さに気づいた他の男が言い寄ってきたら嫌だし」と小声で呟いたのも、しっかり私は聞こえた。


 交差点の信号が青になった。


 「晴、ギターと荷物の入った鞄重たくない?」と気遣ってくれたが、「別に大丈夫だよ。これもダイエット」と私は適当に返した。


 私は月一回、桜舞駅を出て、すぐの桜舞公園でギターの弾き語りをやるのが日課になっている。


 初めはギターの練習のつもりで弾いていたのだけれど、いつの間にか駅から出てきたサラリーマンや学生が、数人聴いていってくれるようになった。


 その中には毎回足を止めて聴いてくれる人もいて顔も覚えた。


 もちろん、悠は毎回来ている。


 「本当に、晴の歌って凄いよな。初めて聴いた時さ。優しくて囁くような心地良い透き通った声がスッと心に入ってきてさ。俺、思わず天使だ!って思ったもん」


 「もう悠っ!そういうの恥ずかしいからやめて」


 私は彼の熱弁スイッチが、さらに入ってしまう前に話を止める。


 褒めてくれるのは嬉しいけれど、照れくさいのだ。


 それに私が止めないと、悠はいつまでも語り続ける。


 私は運動や裁縫などはできないし、絵を描かせたら園児が描いたラクガキと間違われるほど才能がない。

 
 特別な特技なんてものはなかったけれど、唯一、音楽は好きだった。


 私は幼い頃からお父さんの影響でピアノをやっていた。


 中学からはギターと作詞作曲も始めた。


 歌は、どちらかと言ったら得意な方で、カラオケに行けば友達が褒めてくれた。


 音楽は多少できるのだと思う。


 なので、私は気晴らしがてら桜舞公園で弾き語りをやっている。


 真っ赤に燃えるような夕日が西の空にほぼ沈みかかり、空の上側は薄紫色、下側にはオレンジ色の水平線が見える。


 駅から公園へと繋がる横幅の広い道には、桜の木が並び、その下のベンチが私の弾き語りする定位置。


 いつものベンチに着くとギターケースから何年も使っているミニアコースティックギターを取り出す。


 通りすぎる人たちに一礼し、私はベンチに腰を下ろした。


 ギターを太ももの上に置き、左手でギターのネックを握り右手はピックを持つ。


 一息、呼吸する。


 声出しやリハーサルはいらない。


 保育中にもギターを使い、子どもたちと歌っているので声も指も充分に温まっている。


 それに何度も練習してきたのでもう覚えているのだ。


 私はピックでゆっくり弦を優しくなぞるようにCコードを鳴らす。


 透明感があり温かみのあるアコースティックギターの音色が響く。


 悠は少し離れたところから私を見ている。


 歩いて通りすぎる人たちが時折、視線を向けるのがわかる。


 よし、始めよう。