田中さんのことを考えていたら、ウッカリ湯船に浸かり過ぎてしまった。急いでお風呂から出ると、私の使った食器が綺麗に片付けられていた。父の帰りを待つのを諦めた母が、寝る前に済ませてくれたらしい。自分でできることは極力やるようにしているのだが、結局ほとんど母にやらせてしまっている‥‥本当申し訳ない。

 冷蔵庫から水を取り出し、コップに注いで喉の渇きを潤した。寝るにはまだ少し早い。勉強をするか、田中さんの録画を観るか‥‥ちょっと真剣に悩み過ぎたようで、部屋に戻る前に父が帰宅してしまった。

「おー!亜子!起きて待っててくれたのか!」

 大分仕上がってる様子が伺える。これはまずい。とりあえず、水は飲ませておこう。リビングのソファーで横になった父のところに、コップと水差しを運ぶ。

「お父さん!水飲んで!明日辛くなるよ?」

「ん?あー、ありがとう!」

 父は今年還暦を迎える。サラリーマンなら定年する年だが、父はまだしばらくは社長を続けるのだろう。若く見えても、確実に年をとっている。社長とは、本当に大変な職業だ。

「そうだ!亜子!新しい仕事、頑張ってるそうだな?どうだ?DXは楽しいか?」

「え?あー、うん。凄く楽しいよ」

「あいつは凄いな!田中君!まだ若いのに、随分としっかりした考えを持ってる。うちの勇樹も賢いと思ってたが、田中君も、あれは大分賢いな?」

 もしかしたら、今日の接待の相手は田中さんだったのかな?うんうん、わかるよ。田中さんは、相当賢くて本当に凄い。

「亜子!結婚するなら、田中君みたいな男がいいぞ!男はな、顔じゃない!頭だ!賢くないと家族を守ってやれないからな!」

 あれ?私の知ってる田中さんの話じゃなかったのかな?田中さんは賢くて顔もいいんだよ?

「もうわかったから!ほら!水飲んで?」

「亜子は本当に優しくていい子だ。お前を嫁に出すのは寂しいなあ‥‥」

 そんなことを呟きながら眠りかけている父を移動させるのは、最早不可能だろう。どうにか水分だけは取らせたので、毛布をかけてこのまま放置することにした。

 兄の勇樹とは少し年が離れてるせいか、父は私がかわいくて仕方がないらしい。そんな父ですらも、私が適齢期を迎えていることを気に掛けているようだった。

 私だって結婚したくないわけじゃない。父の言う通り、その相手が田中さんなら至上の喜びとなるだろう。だが、現実は辛く厳しい。そんな優れた人物が私を選ぶ確率は、雷に打たれるよりも低そうだ。

 私は20代で、容姿もそんなに悪くない。何度か見合いをすれば、割とすぐに結婚できる気がする。

 親を安心させるための結婚‥‥

 田中さんのことを好きになり、仕事も楽しいと感じるようになった今、私は、結婚を前向きに考えられなくなっていた。