基本的に秘書室内に籠って仕事をしている私は、役員と秘書室メンバー以外とは全く顔を合わせずに過ごせていた。

 社長の娘だと特別扱いされることもなく、噂に振り回されることもない。同僚の秘書達に無視されているのも、これまでのことを思えば痛くも痒くもなかった。

 やりがいを感じていた仕事を手放したのは残念だが、こうして穏やかな気持ちで仕事ができる環境に身を置けることをありがたいと感じていた。

 あのまま我慢を続けていたらまた以前のように心を病んでしまったかもしれない。やはりあの場から逃げ出したのは間違いではなかった。

 兄の言いようからして、父は私の見合い相手を探しているのだろう。だとすれば、私はそう遠くない未来で結婚をすることになる。

 相手によっては結婚が決まれば仕事を辞めることになるとは思うが、結婚を逃げ場にしないで済んだことに、私はほっとしていた。

 この先何十年も一緒にいる人との始まりがそんな投げやりな感じになるのは嫌だった。どうせならもっと前向きな気持ちで相手と向き合いたい。

 私は、心の奥にしまい続けている田中さんへの想いに、そろそろ終止符を打つ必要がある。

 風化させるには時間に余裕がないし、田中さんのことを嫌いになんてなれそうもない。どうしたら好きな気持ちをなくせるのか‥‥それがわかっていたら、もうとっくに田中さんへの気持ちはなくなっているはずなのだ。

「はあああ、なんでこんなに好きになっちゃったかなあ‥‥」

 昼休憩で秘書室が無人なのをいいことに、私は盛大にひとり言を呟いた‥‥つもりだった。

「ど‥‥どうかしたんですか?」

 残念ながら無人ではなかったらしい。いつもより早めに戻ってきた同僚の伊東さんが、私の大き過ぎるひとり言に驚いて声をかけてきた。

「え!?あ‥‥いや‥‥」

 あまりにも恥ずかしくて思わず口ごもる。

「橘さん、好きな人がいるんですか?」

 いつもすました表情の伊東さんが、心なしかにやつきながら聞いてくる。

「いや‥‥その‥‥はい」

 誤魔化しようがないので素直に認めるも、多分私の顔は真っ赤になっているだろう。

「やだー!橘さんて、意外とうぶでかわいいんですね?」

「え?何?どうしたの?」

 少し遅れて部屋に戻ってきた君島さんが話に加わる。

「橘さん、凄く好きな人がいるんだって!それで照れちゃってるの!なんか思ってた雰囲気と違ってかわいいなーって」

「本当だ‥‥顔真っ赤じゃないですか‥‥で?好きな人って誰ですか?やっぱ深山さん?」

 これまで無視されてたのが嘘のように、2人がグイグイくる‥‥ど、どうしたらいいんだ?