『自分の行動が他人にどう影響を与えるのか、田中さんも少しは考えた方がいいですよ』

 昔、ある人からそう忠告されたことがある。

 当時好きだった女性が俺のせいで悪口を言われていることを知り、どうすれば彼女を守れるかを知りたくて、恋敵でもあった男に頼み込んでアドバイスをもらったのだ。

 なんとも情けない話だが、好きな女性を守るため、なりふりかまっている余裕はなかった。

 見ためも性格も悪くない俺は、子供の頃から人に嫌われた経験があまりない。いや、影では俺を悪く言ってる奴もいたかもしれないが、正面から悪意を向けられたことがなかったのだ。

 自分への悪意にすら気づけない俺が、例えそれが俺のせいだったとしても、他者に向けられている悪意に気づけるはずがない。

 とにかく彼女に嫉妬が向かないよう、アドバイスに従って全方向に向かって愛想を振り撒いてみたものの、結果は散々だった。

 確かに彼女への攻撃は収まったようだが、愛想を振り撒いたことで勢いづいた女性達に次から次にアプローチされることとなり、魂をごっそり削られた。

 こんなことを続けていては身が持たないと感じた俺は、泣く泣くその好きな女性への接し方を見直すことにした。

 人前での過度な言動や接触は控え、仕事以外で話をする時は極力第三者を交える。人目がある場所で目立つ行為はしないよう、細心の注意を心がけた。

 そのせいでまともに口説くこともできなくなり、彼女に振り向いてもらえないまま何年も片思いを拗らせた挙げ句、俺は失恋した。

 あれから5年。仕事が忙しいのを言い訳にして、俺は女性からのアプローチをのらりくらりとかわすのが習慣になっていた。

 どうやら俺は女性との適度な距離感をうまくはかれないらしい。若い頃は軽い気持ちで来る者は拒まず適当な付き合いをしていたが、今ではそれもただ面倒なだけである。

 女性と個人的に関わりさえしなければ仕事に集中していられる。今の環境は実に気楽で平和そのものだった。

 俺はすっかり平和ボケしていたのだろう。その状況が許されるのは『特別な人』がいない場合に限るのだ。例外を作るなら、他者への影響を考慮して細心の注意が必要であることを、完全に忘れていた。

 その結果がこれである。

 橘さんは噂に苦しめられた上、自身を守るために隠していた身分を公表された。そして居場所を失ったのだ。

 彼女に謝罪したい。これは俺が謝ってどうこうできるレベルの問題ではないし、彼女もそれは望んでいないのだろう。謝罪なんてただの自己満足だ。だとしても、俺は彼女に会って心から謝りたかった。