「まあまあ、冗談だからそう怒るな」

「仕事の方はどうなんだ?やりにくくなってるんじゃないかと心配してたんだ」

「まあ、今まで通りというわけにはいかないよね‥‥まだ数日しか経ってないし、あたりはかなり厳しいよ。どうしてもモチベーションは保ちづらいかな」

「やはりそうだよな‥‥お前にだけ大変な思いをさせてしまって、本当に申し訳ない‥‥」

「いっそのこと、亜子が私の秘書になってくれたら助かるんだがなあ‥‥」

 現状、私はどこにいても批判される。だったらそれもありかもしれない。でも‥‥

「今やってる発注システムのタスクが、あと少しで形になりそうなの。苦労してようやくここまで仕上げたから、せめて開発段階に入るまでは関わっていたい」

「え?それは異動してもいいってことか!?」

「結局、ほとんどの人が私の評価に社長ブーストがかかってたと判断したみたいでね。あそこでいくら頑張っても、今後その判断が覆ることは多分ない。結婚のことを考えると今更転職もしにくいし‥‥だったら、例えそれがお父さんでも喜んでくれる人がいるところで働く方がいいのかもしれない」

「亜子‥‥‥‥」

 これまでの私の頑張りを認めてかばってくれた佳奈ちゃんや部長には申し訳ないが、人は悪いイメージに侵食されやすい生き物なのだ。味方は減ることがあっても増えることはない。

 我慢することもできなくはないが、私は逃げることも選択肢のひとつであることを経験から学んでいるのだ。

 私が父のことを隠すようになったのは、高校生の時からだった。

 中学の時、私は父が社長だと知られたことがきっかけでいじめにあった。ことあるごとに社長の娘であることを持ち出され、私の自尊心は友達によって徹底的に潰されることになる。

「社長の娘だから‥‥社長の娘のくせに‥‥社長の娘だからって‥‥」

 私の恵まれた環境が僻まれたことで始まった言葉攻めだったが、その言葉はいつしかただのいじめの道具となり、それが呪いのように私の心を蝕んだ。

 『大丈夫』というのが口癖になったのはこの時だ。両親に心配をかけたくなくてできるだけ普段通りに振る舞うようにしていたのだが、私の異変に気がついたのは兄だった。

 既に心を病んだ状態になっていた私は、専門家の助けを借りることになる。父が無理に学校に行く必要はないと言ってくれたので、心療内科に通いながら支援センターで勉強を続けることにし、3年からは保健室登校をした。

 なんとか中学を卒業し、高校からは家のことを徹底的に隠し通すことで心の平穏を保った。

 私も大人になったのだ。今はあの時のようにはならないと思いたい。でも父や兄が私のことを心配する気持ちもわからなくはない。だから私は、逃げるという選択肢をとった方がいい。