俺と亜子ちゃんのことが噂になってることは知っていた。悪い気はしないが、噂されること自体はあまり喜ばしくない。

 仕事をやりやすくするため社内のあちこちに顔を出してる俺にとって、噂の元を辿っておおよそのあたりをつけるのはそう難しいことではない。やり過ぎは良くないが、噂の元になってる周辺で愛想を振り撒いておけば、ある程度の抑止力になるのだ。

 だがその効力は自分に関する噂にしか発揮されないのである。しかもそれはあくまで抑止力であり、噂そのものがなくなるわけではない。

 そこに田中さんが加わったことで噂は完全に制御不能となり、俺の手に負えないものとなってしまった。

 噂は火を吹き、瞬く間に広まった。その勢いは凄まじく、俺がどんなに噂を否定して回ったところで焼け石に水でしかない。

 噂のせいで亜子ちゃんとの勉強会は中止となり、仕事で顔を合わせることがあっても、明らかに距離を感じるようになってしまった。

 こうなることがわかったいたから、これまで必要以上に愛想を振り撒いてたのに‥‥俺の努力は全て水の泡となった。

「あー!深山さぁん!お疲れ様ですぅ!」

 はあああ‥‥今一番聞きたくない声に呼び止められてしまった。この耳にこびりつく特徴的な甘ったるい話し方は、総務の小森さんで間違いない。

「ああ、小森さん、お疲れ様です」

「深山さんもランチですかぁ?実は私ぃ、美味しいお店見つけたんですけどぉ‥‥」

 小森さんが目をキュルキュルさせて言葉を濁した。普通にしてれば小森さんはかわいいのかもしれない。こういうあからさまな誘われ待ちをしても、のってくる男がごまんといるのだろう。だが俺にはちっとも響かない。

「いや、今日は何かと忙しくてまだ仕事中なんですよ。店の名前、今度教えて下さいね?機会があれば行ってみます」

 小森さんの機嫌を損ねるのは得策ではないので、笑顔をキープしながら彼女をかわす。

 彼女も今回の噂の元候補ではあるが、多分大元ではない。『若作りのぶりっこお局』という言葉は、他の人が小森さんの話をする時によく使われているらしい。本人がそれを使うとは考えにくいだろう。

 亜子ちゃんに小森さんのような図太さがあれば、今回のことはここまで大事にはならなかったと思う。今のところ亜子ちゃんが直接的な嫌がらせを受けているという話は聞かないが、こんなの言葉の暴力としか言いようがない。

 噂の元が判明したところで、俺にできることなんて何もないかもしれない。けど、何かせずにはいられなかった。1日でも早く亜子ちゃんの笑顔を取り戻したい。