経理部長から全社員宛のメールが一斉送信されたのは、そんなことがあったことも忘れかけていた頃だった。

 その内容は経理に関することではなく、明らかな怪文書‥‥『件のお局、常務との不倫疑惑』という文章に画像が添付されており、役員室の扉の前で兄に腕を掴まれた私がその手を外そうと手を重ねている瞬間を捉えたものだった。見ようによっては、別れを惜しむ男女が手を握り合い見つめ合ってるようにも見える。

 私と兄は正真正銘血の繋がった兄妹だ。見つめ合うとか手を握り合うとか、想像するだけでも気持ち悪いのでやめて欲しい。

 だがこの画像を目にした人のほとんどはその事実を知らないわけで、私と妻帯者である兄が意味深な表情で向き合うその様子は『不倫』という関係以外では説明が難しい。実にうまく撮影している。敵ながら天晴れだ。

 これまではいち社員の恋愛に関する噂話に過ぎなかったのだが、兄が登場したことで問題が格段に大きくなってしまった。

 会社において責任ある立場の常務が不倫を疑われているのだ。なあなあで済ませるわけにはいかないだろう。完全に『白』であることを証明しなければ、その影響が社外に及ぶ可能性も否めない。

 私はすぐさま営業部長の山崎さんと共に社長室へと呼び出された。そこには父と兄だけではなく、副社長や執行役員などそうそうたる顔ぶれがそろっており、今回のことが軽々しい問題ではないことを暗に示しているようだった。

「亜子、ことの重大さはわかってるな?」

 入室早々、社長である父が私を名前呼びにしたことで、ここで唯一事情を知らない山崎さんが目を白黒させている。

「はい、わかってます」

「こうなってしまった以上、お前が娘であることを公表しないわけにはいかないだろう。問題を迅速に解決するにはそれが一番だ。亜子、残念だが異存は認められない、いいな?」

「はい」

 これで私のこれまでの頑張りが無に帰すかもしれない‥‥これも自業自得なんだろうか。

「亜子‥‥俺が不注意だったばっかりに、本当にすまなかった」

「元はと言えば原因を作ったのは私だし、お兄ちゃんが全部悪いわけじゃないよ」

「そこは『お兄ちゃんは悪くない』って言うところじゃないのか?」

「いや、さすがにお兄ちゃんが悪いでしょ?」

「亜子~」

 冗談を言うことで無理矢理笑顔を作る。そんな私に調子を合わせてくれた兄が、今はありがたい。正直、今後のことを思うと泣きたい気分だった。

 おそらくこの後すぐに私のことが発表されるのだろう。そして常務の不倫疑惑が根も葉もない噂だったと訂正されるのだ。

 今日から私は『社長の娘』として周知されることになる。大丈夫。きっと大丈夫。