橘勇樹は高校時代の友人だ。橘が結婚するというので、久し振りに会って飲むことになったのは、俺が起業してちょうど1年経った頃。

「起業するなんて、田中も随分思いきったことしたよな?で、実際調子はどうなんだ?うまくいきそうか?」

「今はとにかくひとつでも多く実績を増やそうと思って必死だよ。でもまあ、やりがいはあるかな。今のところ結構楽しめてるし、起業して良かったと思ってるよ」

「確かIT系のコンサル会社だったよな?」

「ああ、今はデジタル化によるビジネスの変革が凄い勢いで進んでるからな。どの企業も無視しきれない。需要は結構あるんだ」

「うちも本当は手を出したいんだよねー、DX」

「結婚を機に常務になるんだろ?橘がやろうと思えばやれるんじゃないのか?」

「田中、お前は製造業の闇を知らな過ぎる。うちの会社は役付の大半が50代で、その多くはパソコン操作を右手の人差し指のみで行う輩なんだぞ?デジタル化なんて夢のまた夢だ!」

「だとしても、今のままだとやっていけなくなるだろ?」

「だよなー。このままだと本当やばい。俺があの爺さん達を説得できるとは思えないが‥‥やるしかないよなー」

「跡取り息子ってのも、中々大変だな」

「本当それ。まー頑張ってみるわ。爺さん達を説得できたら、田中の会社にコンサル依頼してもいい?うちの会社、上だけじゃなく下も中々やばいけど、頼まれてくれる?」

「まじか‥‥大きい案件は魅力的だが、それ、俺の手に負えるのか?俺を雇いたいなら、開発経験者を数人雇って業務知識詰め込んどいて?でないと俺、途中で逃亡するかも‥‥」

 それから3年後、酒の席でした冗談混じりの話が、現実のものとなった。

 橘が製造業としては破格の給与でシステム部に開発経験者を採用したのは、あのすぐ後だったらしい。それだけでも橘の本気度がうかがえるのだが、そんな橘でも説得に3年かかったのだ。闇はかなり深そうである。

 橘の会社は大手企業で、しかも決してデジタル化に前向きとはいえない。ここで成功すればうちにとってはかなりの追い風になるが、もし失敗すれば、せっかく軌道にのった会社が失速しかねないのだ。

 だが、この話がうちの会社にとってチャンスであることは間違いないだろう。

 絶対に失敗は許されない。社運のかかったこの案件を他に任せるわけにもいかず、俺が直接受けることに決めた。当分忙しくなるが、仕方ない。会社と友人のために頑張ろう。