これ以上聞いて、
このぐちゃぐちゃした感情がかき乱されるのはイヤだ。
「まあ、聞きたくないと思うが、聞いてほしい。
リヒトは、もう家に帰りな」
火野さんの命令に、
リヒトくんは名残惜しそうにしながらも、階段を上って行った。
……しょうがない。
さあ、次は何?
わたしはもう、腹をくくった。
「ふふ、そんなにカッカとしなさんな。
ま、気持ちはわかるけどね」
火野さんは、眼鏡をはずし、色っぽく笑った。
今までのイメージと全然違って、ヘンな感じだ。
「アイツ、バカだよな」
アイツ……?
「リヒトだよ。
バカすぎ。スパイにまったく向いてない」
はあ~っと火野さんは大きくため息をついた。
……そう、かな。
お母さんの時の機転とか、
普通の人じゃあまり思いつかないと思うけど。
あと、コミュニケーション能力半端ないから、
情報収集とかも得意そう。
「普通、『われわれはスパイです』なんて、ばらさないだろ?
だって、キミがそれを警察にうったえたら、もう終わりだ。
この隠れ家も知られてるしな」
ハッとする。
そういえば、そうだ。
「まいったよ。
キミを切り捨てて、
わたしはさっさとリヒトを国に返そうとしていたのに。
アイツは、『カナに真実を伝えたい』なんてダダこねてさ」
怒ったように、困ったように、火野さんは眉をよせた。
わたしは息をのんだ。
そうか、わたし、切り捨てられてもおかしくなかったんだ。
「しばらくもめて、わたしが折れて……。
だから今日ここで、
真実を話す機会を設けてやったんだよ」
そうだったんだ……。
じゃあ、きっともうここで、リヒトくんとはお別れ、だよね。
それはちょっと……、ううん。
すごく、さびしい。
「さびしいか?」
心を見透かされて、ハッとする。
ぶんぶんと首を振ると、ふふと笑われた。
「リヒトのやつ、地区予選で歌うってさ」
……え⁉
確か、地区予選は……、七月三十一日。
今日が二十日だから、リヒトくん、
今日をぬいてあと十一日もこの国にいるの⁉
「この十一日間は、キミへの猶予(ゆうよ)だと」
猶予……?
意味がわからなくて、首をかしげる。
「キミはこの十一日で、考えてくれ。
リヒトをスパイとして突き出すか、だまっているか。
それが、キミを裏切ってしまった、リヒトなりのけじめだ」
想定外のことに、あ然とする。
いろんな感情の色を混ぜてぐちゃぐちゃになったパレットに、
また新たに何色も絵の具をぶちまけられたみたいだ。
だって、そんな。そんなのが、けじめだなんて。
それを、わたしが決めないといけないなんて。
「まあ、キミはリヒトに復讐する権利は十分あるからね。
利用された、もてあそばれたと言ってもいい」
利用された、もてあそばれた……。
そう、なのかな。
ぐるぐるして、わからなくなる。
「キミの気持ちは、シンガールのミミから聞いてたよ。
だからこそ、リヒトを憎んでしまうのもわかる」
どういうこと?
「やっぱり、知らなかったか。
キミがミミに歌わせてるものは、
みんなわたしにデータとして送られてるんだよ」
……えっ。
ということは、アレも聞かれていたってこと?
わたしの、リヒトくんへの……、愛の歌。
うわあああ、恥ずかしい!
ぼしゅうっと顔が赤くなるのがわかる。
そんなわたしを、ほほ笑ましそうに火野さんは見つめていた。
「わたしの話は、これでおしまい。悔いのない選択を。
……巻きこんで、悪かったね。
さ、行きな」
わたしは立ち上がり、ぺこりとお辞儀をして、階段を上って行った。
上の階でリヒトくんがいるかと思ったけれど……。
いなかった。
ほっとすると同時に、イラッともする。
うれしいようで、とても悲しい。
どうしよう。
この、十一日間を、どうすごせばいいんだろう。
途方に暮れてしまう。
……そうだったよね。だれも、こたえてくれない。
こたえを決めるのは……、いつだって自分なんだから。
わたしは、自分の家へと、ゆっくり歩みを進めた。
わたしが十一日間を、どう過ごしたのか。
普通に学校へ行き、普通に終業式を終え、普通に夏休みに入った。
リヒトくんとは……、何も、交流がなかった。
学校にいる時、
リヒトくんはたまに何か言いたそうにしていた。
けれど、わたしは顔をそむけて無視していた。
そして、とうとう、今日が期日の七月三十一日。
地区予選コンサートの日だ。
会場は予約制の超満員ってことで、
会場のホールを包むようにある公園で、パブリックビューイングが開かれている。
大きなモニターがいくつも置かれ、そこから地区予選の様子を見られるのだ。
わたしは、その公園の木の下に立って、いまだ考えていた。
リヒトくんを、警察に突き出すかどうかを。
ひどいことをされたと思う。
あの「お芝居」の舞台での仕打ちは、思い出すたびに心の傷をえぐられる。
「友だちゴッコは楽しかったかい?」
リヒトくんの笑みと言葉が、耳から離れない。
ずきん、ずきんと心が痛む。
その一方で、
通報されるかもと知りながら、
自身がスパイであると明かしてくれた誠実さも、わたしは知っている。
開国と、魔女制度の廃止……、かあ。
夢みたいな話だ。
でも、大和国政府からしたら、他の国の情報はお宝だろう。
もしかしたら、魔女の罰を……、許してくれるかもしれない。
どくん、と心臓が脈打った。
許して、もらえる?
そしたら、わたしは……。
また、お母さんと、一緒に暮らせる?
お父さんも、もどってきてくれるかもしれない。
そう、このことに気づいてから、わたしは苦しんでいた。
わたしが、幸せになれるかもしれないということに。
普通の、女の子にもどれるかもしれない、という希望に。
リヒトくんを犠牲にして、自分だけ幸せになるの?
と、声がする。
最初に裏切ったのは、リヒトくんだよ?
また、心の中で、声がはじける。
苦しくて、はあ、とため息をついた。
夏の日差しがギラギラと照り付けてくる。
帽子、かぶってくればよかったな。日傘とかも。
う、めまいが……。
くらっとした、その時だった。
◆◆◆
スポットライトに照らされた舞台があった。
舞台の横にある電子時計の時刻は、十時三十四分。
音楽が、流れてくる。
ああ、これは……、
リヒトくんとユキちゃんがつくった、裏切りの曲。
聞くだけで、胸が苦しい。
いつの間にか、
凛々しい顔をした金色のオオカミが、舞台の上に立っていた。
きっと、あの甘い、優しい声で歌うんだろうな。
もうすぐ、前奏が終わる。
その瞬間だった。
ガシャーン!
何⁉
耳をつんざくような音。
地面が少し揺れる。
そこで、わたしが見たものは……。
スポットライトに押しつぶされて、血まみれになったオオカミだった。
◆◆◆
ハッと気づく。
わたしは、座り込んで、木にもたれかかっていた。
今のは……、夢?
ウソでしょ、リヒトくんが……、スポットライトにつぶされるっていうの⁉
ミーン、ミーンと、セミの鳴く声が、やけにうるさい。
それよりうるさいのは、わたしの心臓の音だった。
だって、よりにもよって、こんなこと……。
これは、ただの夢? それとも、「魔女の夢」?
どっちなの⁉
ばっと腕時計を見る。
十時。
モニターでは、まだ他のグループが歌を歌っている。
はあ、はあと息が荒くなっていく。
どうしよう。
どうしよう、どうしよう。
リヒトくんが、死んじゃうかもしれない。
ぎゅうっと着ているTシャツをにぎりこむ。
ううん、これが、魔女の夢って保証は、どこにもない。
ただの夢かもしれない。
そう言い聞かせても、心が叫ぶ。
これは、必ず現実になると。
十時三分。
落ち着いて、カナ。
よく考えよう。
これで、リヒトくんを助けに行ったら、どうなると思う?
助かっても、助からなくっても……。
わたしがあの場に行って、スポットライトが落ちてきたら、
それはわたしがおこした災いとみなされる。
そうなったら、魔女裁判でもっと重い刑になるに決まってる。
もし、『紅蓮』の刑……、火あぶりの刑になったら、
生きたまま焼かれるっていうじゃない!
それより下の、『青磁』の刑だって、
絞首刑、縛り首だ。つまり、死刑。
そんなの……、絶対に、嫌!
死にたくないよ!
十時五分。
がたがたと震える体をおさえこむ。
ああ、これなら、
最初からリヒトくんをスパイとして通報してればよかった。
そうしたら、
わたしは魔女から、一般人になれたかもしれないのに。
魔女から、一般人に……。
(……やっぱり、この言葉、嫌だな)
……。
あはは。
なんで、リヒトくんの言葉なんて、思い出しちゃうんだろう。
(……あ~、もう!
『一般人』とか『魔女』とかじゃないだろ!
みんな、『ただの人間』なんだよ!)
うるさい! 黙れ!
こんなの、ただのきれいごと。
政府に逆らう、反逆者の言葉。
(魔女じゃなくて、カナ。
カナのために、なんとかこの国の魔女制度をなくしたい。
そう、思うようになった)
……。
わたしの、ため。
(おれの果たしたい目的は……、
カナのおかげで、血の通った、信念になったんだ)
信念……。
そうだ、リヒトくんは、信念をもっていた。
わたしには、そんな信念がある?
(この十一日間は、キミへの猶予だと)
(キミを裏切ってしまった、リヒトなりのけじめだ)
火野さんの言葉がよみがえる。
わたしは、この十一日間、考えて、考えて……。
あっちへふらふら、こっちへふらふらと考えが揺れて。
リヒトくんを犠牲にして、幸せをつかみとること。
リヒトくんを許して、
「好き」だった気持ちを思い出にかえて、
それを糧に生きていくこと。
その、どちらもできなかった。
そんな、なさけないわたしだけど……。
今、決断しなきゃ。
わたしは……。
十時十分。
わたしは、会場へと走り出した。
リヒトくんを、助けると決めたから。
だって、やっぱり……。
信念を貫き通したリヒトくんのことが、大好きだから。
例え、わたしがこの事件のせいで、
魔女裁判で死刑を言いわたされても……。
リヒトくんが死ぬよりは、ずっとマシだ。
大好きな人が死んでしまうよりは、ずっとマシなんだ!
リヒトくん。
……リヒトくん!
十時十五分。
足がもつれて転ぶ。
ひざがすりむき、血が出る。
かまってなんか、いられない。
十時二十五分。
会場へ着く。
係員さんにとめられても、無理矢理玄関をくぐる。
走れ。
走れ、走れ。
ホールへのとびらを開けると、客席は盛り上がっていた。
舞台の時計を見る。
十時三十分。
司会の人が、次の曲の……、リヒトくんの、紹介をする。
客席の照明が暗くて、足元がよく見えない。
足がもつれて、何度も転ぶ。
苦しい。
ぜひゅ、ぜひゅとおかしな息が出る。
お客さんたちが、何事かとわたしを見だす。
十時三十二分。
ステージから、リヒトくんが、出てきた!
わっと歓声が上がる。
わたしは必死で、舞台に上がろうとする。
「ちょっと、何をしてるんだ、きみ!」
舞台前にいた警備員さんをかわし、舞台上へ。
曲の前奏が流れ出す。
間に合え……!
間に合えええぇぇぇっ!
いったい、何がおこったのかわからなかった。
だれかがおれを突き飛ばしたこと。
その後、轟音とともに何かが落ちてきたこと。
大量のホコリが舞って、悲鳴も上がって。
そこで、おれが見たモノは……。
「カナ……?」
そう、カナが、おれの腰に抱き着いていた。
カナにタックルされるかたちで、
二人一緒に吹っ飛んだらしい。
そのおかげで……、コイツから逃(のが)れられたんだな。
カナの足ギリギリのところ。
おれが今まで立っていたところに、スポットライトの残骸が見えた。
もし、カナが助けてくれなかったら。
確実に、おれはスポットライトの下敷きになっていた。
ひゅう、ひゅうとカナは目を閉じて苦しそうに息をしている。
おれはあわてて、
いつもポケットに入れていた、カードキーをカナの首輪に読み込ませた。
このカードキーは、師であるフレイムにわたされたものだ。
カナの首輪の鍵。
カナのことを思って、いつも身に着けていてよかった……。
ピッと音が鳴り、首輪がとれる。
カナは薄く目を開いた。
「カナ!」
カナは、おれの頬に手をのばし、ほほ笑んだ。
よかった、と唇が動く。
「カナ、首輪はおれがはずした。だから、声を出せるよ」
ゆっくりと、カナが上半身を起こした。
おれは背を支えて、それを手伝う。
「リヒト、くん」
初めて聞く、カナの声。
久しぶりに声を出したからだろう。
それはかすれていて、小さくて、弱々しい。
でも、今まで聞いた、どの人よりも耳になじむ、心地いい声だった。
「けほっ、ケガ、ない?」
「ああ」
「よかった。間に合った」
「助けてくれて……」
ありがとう、と続けようとした時だった。
「魔女がいるぞ! 無理矢理ここに入り込んできた!」
だれかが叫んだ。
「何⁉」
「魔女⁉ マジで?」
「あれ、落ちてきたの、スポットライトだよな?」
ざわざわと会場がざわめく。
「災いだ!」
だれからともなく、そんな声が上がった。
「きゃあああ!」
「逃げろ!」
「落ち着いて、落ち着いてください!」
パニックになる人々。
「魔女が、スポットライトを落としたぞ!」
……は? 何を言ってるんだ。
とにかく、早急にこの場をしずめないと。
このままじゃ、カナが危険だ。
辺りを見回す。
あった! さっきまで持ってたマイク。
これで……。
「静まれえええぇぇぇっ!」
おれは、腹の底から大声を出した。
キイイイィィィン! と、マイクがハウリングする。
騒いでいた人たちは、ぎょっとして動きをとめた。
おれは、そんな会場の人々に向かって、こういった。
「オマエら全員、バカか?」
しん、と会場が静まる。