「――――叶夜?」



 思い切って、呼び捨てにしてみた。
 すると、叶夜君の体がビクッと反応を示し、目を合わせたかと思えば、

「上目遣い……するな」

 突然ぎゅっと、顔を胸に押しつけられた。

「な、なんですかいきなり!?」

「急に呼び捨てするからだ」

「だからって、そんなに押さえたら痛いですよ!」

「名前は、呼び捨て以外にしてくれ」

 俺がもたないと、なんとも疲れた様子で言った。
 とりあえず、名前は今まで通りの叶夜君でいいけど、敬語の方は徐々にということで話はついた。ひとまずは、この場から移動することが先決だ。
 私を抱えると、辺りの様子をうかがいながら、叶夜君は素早く森を抜けて行く。

「どこに向ってるんですか?」

「ここから遠いが、街があった場所に向っている。そこになら、別な道があるかもしれない」

 それきり、私たちは会話を止めた。話し声で気付かれる可能性もあるから、慎重に行こうと。必要以外の会話は、極力避けるようにした。



『――――ダメ』



 頭の中で、声がする。

『ダメ。――そこには、アイツがいるわ』

 その声には聞き覚えがあった。
 叶夜君に血を渡せばいいと、助言してくれたあの声。
 危険だと言うその言葉に、私は慌てて声を上げた。

「きょ、叶夜君、そっちに行かないで!」

「そうは行っても、他に道は無いぞ?」

『アイツはもう、近くにいる。そこから離れて』

「とにかくダメ! 声が聞こえるの……前にも、助言してくれた声だから。きっとそっちに行ったら待ち構えてる!」

 必死に言う私に、叶夜君は足を止めた。

「わかった。それなら別の道を」

 踵(きびす)を返し、来た道を戻り始めようとした途端、



「――――っぐ!?」



 叶夜君の足元が、ガクッとふらついた。
 バランスが崩れる体を反転させ、叶夜君は私をかばうようにして、地面に倒れ込んだ。

「っ……ケガ、無いか?」

「わ、私は、大丈夫。叶夜君の方こそ……」

 明らかに顔を歪める姿に、私は心配で堪らなかった。それでも叶夜君はなんとか笑みを見せ、大丈夫と言いながら体を起こした。

「俺より……自分の身を、心配しろ」

 そう言い、叶夜君はまっすぐ前を向いた。視線の先には……あの中年男性が、私たちに向かって歩いていた。



「逃げられるはずなかろう? お前には、私の血があるのだから」



 怪しく微笑み、男性はゆっくり、私たちに近付く。
 この人……叶夜君の、なんなの?
 そんなことを考えていると、叶夜君は私を背にかばい、男性の前に立ちはだかったと同時。

「ふっ。大人しくしていればいいものを」

「っ!?……ぁ、ぐ」

 苦悶の声がもれたと思えば、叶夜君の体を、何かが貫いていて。



「あまり、手間をとらせるな」



 叶夜君の右胸を――刃が、貫いていた。



 男性が手を引いた途端、ぴしゃりと顔に、なにかがまとわり付く。



「?――――あ、あぁ」



 それが何かわかったのは、手で触れて見た時。まとわり付いているそれは……真っ赤な色をしたモノ。それを理解した途端、私はおそるおそる、目の前の叶夜君を見た。



「きょ、……きょう、や……君?」



 怯えた声を出す私に、叶夜君は顔だけで振り返り、優しい笑みを見せた。

「ケ、ガ……な、いっ――」

 言い終わる前に、叶夜君は、その場に崩れるように倒れてしまった。
 するとその場に、どんどん血が広がっていくのが目に映った。



「外したか。だが、これでもう何も出来まい」



 叶夜君は右胸を押さえ、肩で大きく息をしている。
 あまりにも突然の出来事に、私は呆然と、その光景を見ていることしかできなかった。