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 窓から飛び降りた私たちは、森へと身を潜めた。
 薬のせいか、叶夜君にいつものような体力はないらしい。



「――――居たか!?」



 近くで声が聞こえる。それは私たちを探している声で、こちらに近付く足音も、次第に聞こえ始めた。

「ったく、ここまで早いとはな」

 様子をうかがう叶夜君は、苦い顔をしていた。

「あ、あのう……このまま、ですか?」

「悪いが、しばらくこのままいてくれ」

 今の状態は――叶夜君に、前から抱きしめられている形。ドキドキしてる場合じゃないってわかってるのに、そんな気持ちとは裏腹に、頬は熱を帯び、心臓は未だ激しく高鳴っていた。

「二手に分かれる。一方は奥を、もう一方は反対側を探せ!」

 足音が消えるまで、その場にじっと身を潜める。息をする音さえ聞こえるんじゃないかと、兵士たちが立ち去るまで、生きた心地がしない。



「――――行ったか」



 腕の力が、少し緩められる。けれど、やっぱり体勢は抱きしめられたまま。

「これから……どうするんですか?」

「湖に行って帰りたいが、この様子じゃ、あっちは見張られてる。まだしばらく、ここで大人しくしていた方が無難だろう」

「だったら……離して、ほしいんですけど」

 呟けば、叶夜君はニヤリと、悪戯っぽい笑みを浮かべ、

「お前――俺から離れたいのか?」

 耳元で、色っぽい声で囁かれた。
 それに驚き逃げようとするも、再びしっかりと抱き留められた腕からは、逃げることができなかった。

「……なんで逃げる?」

「だ、だって! いきなり、そんなこと言うから……。い、いつもと、雰囲気が違いますし」

「おそらく、これが素なんだろう。お前といると、色んな感情が湧いてくる」

 嬉しそうに、叶夜君は私の頬に触れる。

「お前の存在は……オレの全てだ。何かを感じたのも、誰かに関心を寄せたのも全部、お前と会ったからだ」

 まっすぐ、青い瞳が私を見据える。
 いつもより綺麗な気がして、恥ずかしいのに、目をそらすことができない。

「そ、それはどうも……。ありがとう、ございます」

「と言うより、なんで敬語なんだ?――さっきまで、普通に話してただろう?」

 再び耳元で囁かれる声に、私は思わず、間の抜けた声を上げていた。

「えっ、と……。あれは、勢い、みたいなもので」

「なんだ。もう話してくれないか?」

「そ、そういうわけじゃあ」

「ならいいだろう? さっきみたいに、俺と話してくれよ」

「……な、なんだか。雅さん、みたいですね」

 こうやって引っ付いたり、たまに見せる意地悪っぽいところが重なって見えた。
 それに叶夜君は、ちょっと納得がいかない表情を浮かべていた。

「ミヤビと一緒か……」

「一緒というか、似てる気がします」

「こういう俺は、嫌いか?」

「嫌い、ではないですけど……恥ずかしい、ので」

「ま、これからは素でいくから。――逃げるなよ?」

 その言葉に、私はいつかの光景を思い出した。
 冗談で、私の首筋に唇を当ててきた日。なんとなく嫌な予感がして、私は無駄だとわかっていながら、腕の中から逃げようとした。

「――言ったそばから」

 ぎゅっと、腕に力を込められる。それでも私は、子供みたいにジタバタともがいていた。

「ふっ。その姿、なんだが可愛いな」

 片手を私の頭に置き、叶夜君は優しく撫でていく。

「安心しろ。嫌がることはしない。――これから、名前で呼んでくれないか?」

「? それって、本当の名前でですか?」

「いや、それは秘密だ。――下の名前で、呼んでほしい」

 少し低い、艶のある音声。それに恥ずかしさを感じながらも、私はなんとか言葉を口にした。

「いい、ですけど。呼び捨て、ですか?」

 顔を少し上げ、様子をうかがう。すると叶夜君は顔を背け、私の視線には気付かない素振りをしていた。

「?……あのう、叶夜君?」

 明らかにおかしい。聞こえているのに、叶夜君は尚も顔を背け続けていた。
 もしかして――呼び捨てにしないと、振り向かないつもりかなぁ?