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 夕方から、私はまた痛みに襲われていた。とは言っても、今までの痛みに比べたら軽い。
 おじいちゃん、今頃なにしてるかなぁ。
 先生がうまく話してくれてるらしいけど、ちゃんと食べてるかとか。一人で大丈夫かなって、心配になってくる。
 ――電話、してみよう。
 声が聞きたくなり、私は携帯で、自宅へと電話をかけた。

『――はいはい。日向ですが』

「おじいちゃん。私、美咲だよ」

『おぉ~美咲か。大丈夫なのかい? 電話なんてかけて』

「うん。前よりよくなったから……話したく、なっちゃって」

『ははっ。美咲は淋しがり屋じゃのう。よくなってきたのなら、もうすぐ帰れるのかい?』

 病院に長くいたことがあるのに、たった数日で、自分でも驚くほど淋しがっていた。
 きっと、これがただの療養じゃないから。元気になっても、私を狙う人たちが家まで来ないとも限らない。考えたくないけど、もしかしたらもう、会えないんじゃないかって……。

『美咲? 美咲、どうしたんじゃ?』

「――――えっ」

『なんともないのか?』

「あっ、うん。ちょっと、ぼぉーっとしてただけ」

『まだ病み上がりのようじゃな。そろそろ、休んだ方がいいかもしれんぞ』

「うん。そうするね」

 名残惜しいながらも、私は電話を切った。
 ベッド横の窓を開けると、綺麗な夜空が見える。静かな時間。安らぐ反面、嫌なことも考えてしまう。
 昼間、体の調子を診た先生は、そろそろ落ち着いてくる頃だろうと言っていた。
 いずれは自分で自分を守れるようになるらしいけど……危険度も増す、ってことなんだよね。
 私から出る匂いが、狙う人たちを惹きつけてしまう。今まで抑えていたわけだから、それが解禁される瞬間は、特に注意をしないといけない。自分ではどんな匂いなのかわからないし、その瞬間がどうやってくるのかもわからないから……だんだんと、恐怖が湧いてしまう。



「――――来て、くれないかなぁ」



 今日は、先生以外誰とも会っていない。しんと静まり返った部屋が、恐怖を増長させていく。
 ――叶夜君、来てくれないかなぁ。
 昨日来てくれたから、もしかしたら今日も、なんて思ってしまう。
 ふと、視線が左手にいく。
 離れても、呼べば来てくれるって言ったけど……こんなことで呼んだら、悪いよね。



 ――だけど。



 ちょっとだけ。ちょっと思うぐらいは、いいよね?
 そっと、左手を握り目を閉じる。



 〝会いに――来てほしいな〟



 心で思うと、じんわり、左手が温かくなるのを感じた。――すると。



「――――呼んだか?」



 目の前に、今考えていた人物が現れた。

「な、んで――」

「声が聞こえた。俺に、会いたかったんだろう?」

「す、すみません! 特に用事もないのに、呼んでしまって……」

「問題無い。ちょうど、ここに来るつもりだった」

 窓をくぐると、ベッドに腰を掛ける叶夜君。その様子はいつもと違って、どこか、神妙な面持ちのように感じた。

「もしかして……何か、危険があるんですか?」

 不安を口にすれば、叶夜君は首を横に振る。

「危険は無い。ただ――今から、向こうに行くことになる」

 向こうにって……ここから、出てもいいの?

「ま、まだ回復していないのに、外に出るなんて――?」

 途端、体から力が抜けていく気がした。
 体はベッドに倒れ、これでは行けそうにないと告げれば、叶夜君は問題無いと言い、私を抱えた。

「……こんな、状態じゃ」

 匂いが強くなれば、襲われる確率だけでなく、叶夜君にかかる負担も大きくなってしまうのに。

「叶夜君、に。迷惑が……」

 徐々に視界が歪んでいき、瞬きをするのも重くなる。



「早く――行こう」



 そう言った後の叶夜君の表情が……どうしてか、泣いているように見えた。あまりにも辛そうに見えたから、なんとか手を動かし、



「どうし、たの……?」



 そう問いかけ、そっと、叶夜君の頬に触れる。途端、手になにかが伝った。よく見れば……それは、叶夜君の涙だった。



 なんで……泣いてる、の?



 その疑問に答えることなく、叶夜君は黙って、部屋を飛び出した。