夢で見たそれは、過去の出来事。
けれど、〝私〟はそれを覚えていない。
――いや。正確には覚えているけど、その時の私は、まだ本当の〝私〟じゃない。
あやふやな記憶しか所持せず、本来の目的も果たせない【普通の人間】。
このままが幸せだとわかってる。
騒がない方がいいとわかってる。
この身に宿る血が、力が。
今、時を迎えようとしている。
たとえそれが早いことだとしても――これは、必要なことだから。
私は――〝私〟に終わりを告げる。
―――――――――…
――――――…
―――…
――虚無。
暗くて果てしない。けれど、閉鎖的な冷たい空間。
ゆらゆらと漂う体。どこへ向かうわけでもなく、ただ、流れる葉のように身を任せているだけの世界。
ここは……どこ、だろう。
考えついても、自ら動くという行動はとれなくて――。どこまでも、どこまでも。流れるだけの世界。
?――――止まっ、た?
どれぐらい漂ったのか。静かに、体が停止する感覚がした。
周りを見ても、なにかあるわけじゃない。ぶつかって止まったというわけではなく、その場に停止している、という表現以外、適切な言葉が思いつかない。
〝戻る時は――近い〟
音が、辺り一面に響く。どこから聞こえるのかと再び見渡せば――突如として、大きな鏡が目の前に現れた。透明なそれは、私以外映していない――はずなのに。
鏡に映ったのは、紫色の瞳をしていた。
*****
仕事を終えた上条は、足早に家路へと向かっていた。美咲の様子が気になるのはもちろんだが、今彼の気を速めているのは、それだけではない。
人ではない気配を感じ、上条は家とは別の方向へ足を向かわせた。
「――出て来ていただけませんか?」
人気の無い場所へ着くなり、上条は自分を追って来たであろう人物に呼びかける。それに現れたのは――。
「失礼します。――私は木葉。華鬼(かき)の長より命を受けた者です」
二十代後半に見える、男性だった。
「違うならば、すぐに立ち去ります。貴方は、華鬼の長と面識がありますか?」
「もしや――蓮華さんのこと、ですか?」
その言葉に、男性は安堵の表情を見せた。
「はい。その蓮華様より、貴方を探すようにと言われまして」
「!? 目覚めたの、ですか?」
「一応は……。まだ不安定なのか、今はまた、眠りにつかれていますが」
「そう、ですか。彼女には、随分と手間を取らせてしまいました」
何か思い出しているのか。上条の表情は楽しげで、同時に何処か、悲しげでもあった。
「彼女が自ら動くのは――やはり、それなりのことが?」
嫌な予感がしてならない上条。その言葉に、木葉は頷いてから、今起きようとしていることを伝えた。
「長から伺ったのは、箱と短剣の存在。そして赤の命華についてです。箱のことはわかりませんが、短剣は、納めていた場所から紛失していました。そして赤の命華。彼女が蘇ると」
最後の言葉に、上条は唖然とした。
赤の命華と言うのが、美咲をさしているのか、それとも――。
「一番厄介なことですが、今世で二人の命華が現れるだろうと、長は申しておりました」
「本当、ですか? 彼女まで蘇るなら私は――」
それは、上条にとってとても喜ばしい情報。しかし話の内容からして、ただ手放しで喜べるものではないことは上条にもわかっていた。
「これは一度、蓮華さんに会わせていただかないと」
「えぇ、もとよりそのお願いです。こちらはいつでも構いませんので。――それは」
伝えると、木葉は姿を消した。
そして残った上条は、今の情報を整理するだけで精一杯だった。
箱の所在はあちらの世界だからわからないが、短剣がなくなったことは、また何か起きることの前触れだと、上条は危惧していた。
「――本当に、アナタに会える日が」
箱の封印が解ければ、上条が思っている人物に出会うことが出来る。
しかし同時に、呪いが溢れ出る可能性も示唆していた。
自分の欲を優先させるなら、彼女を蘇らせたい。でも――。
頭の中で自問自答を繰り返す上条。一人ではこれ以上考えても無駄だと、すぐさま、蓮華の住む場所へ向かうことにした。