「大人しくしてれば……すぐ済むよ?」

 怪しい笑みを浮かべると、男性はあっと言う間に、私の体を引き寄せた。何が起きたのかと困惑していれば、今度は顎(あご)に手を添えられ。
 ?……な、なに、を。どうするのかと思えば、くいっと強制的に上を向かされる顔。そこには、間近に迫る男性の顔があった。

「……、……っ」

「ははっ、怖がる顔もいいね」

 距離を縮める男性。近付くたびに恐怖は増していき、それが最高潮になった瞬間――私はぎゅっと、硬く目を閉じた。

「――その顔、そそるね」

 逃げ、たい。逃げたい、のに……!
 体は思うように動かず、ただこのままじっとするしかできないのかと思っていれば、

「?――――泣いてる?」

 声がすると同時。思わず目を開けると、迫っていたはずの顔は離れ、どこか、戸惑うような雰囲気の男性と視線が交わった。
 自分の顔に触れてみると、頬に涙が伝っていたことを、今更ながら気付いた。

「……変なの」

 ふっと、口元を緩める男性。それは今まで見た怪しいものではなく、とても、やわらかな表情だった。

「なんか、気分削がれちゃったなぁ~。アンタ、耐性でも付いて――?」

 一瞬、男性の動きが止まる。どうしたのかと思い、体の緊張が少し解けた途端、

「この匂い……そうか。近くにいるんだね?」

 わずかな隙間もないほど、さっきよりも更に密着されてしまった。

「これなら話は早いね。アンタ、こっち側のヤツだろう?」

 言ってる意味がわからない。ただ男性を見つめていれば、知らないの? と、不思議がられてしまった。

「アンタからは、人と違った匂いがするってこと」

「!? 人じゃ……ない?」

「そっ。でも、オレたちとは違うね。もしかしたらハーフって可能性があるけど」

 余計に頭が回らない……。私のことを人じゃないとかって。

「悪いけど、これから付き合ってもらうよ」

「っ、どう、して……」

「だって、アンタからは匂いがするし。それに――ちょっと、味見もしたいし?」

 左耳に、男性の吐息がかけられる。思わず身をよじれば、男性は面白がってそのまま話す。

「その反応からすると――男を知らない、ってとこか」

「ひゃっ!?」

「おっ、イイ反応~。まだやりたいけど、続きはあっ」

「離れろ」

 射るような低い音声が、男性の声を遮る。
 その声が聞こえたと同時。体にあった感覚は消え――強い風が、周りを吹き抜けていく。
何が起きているのか知ろうにも、目を開けることが出来ないほどの強風。しばらくその場で耐えていれば。

「忠告は無駄だったか。――出るなと言っただろう?」

 呆れた声が、耳に入ってきた。聞き覚えのある声。恐る恐る目を開ければ、そこには青い瞳の人物がいて――予想どおりの少年の姿があった。

「掴まれ」

 短い言葉を発するなり、少年は素早く私を抱えると、その場から一気に跳ね上る。家の屋根を軽々と越え、まるで、空を飛んでいるような感覚だった。

「しっかり掴まれ」

 もう一度言われ、私はようやくその言葉に従った。
 すごい速さで駆け抜けているのに、目はやけに、その光景をクリアに脳へ伝えていく。あまりの出来事に、瞬きするのも忘れるほど。今起きていることから、目がはなせなかった。

「――ここならいいか」

 連れて来られたのは、少年と初めて出会った丘。公園からここに来るには、結構かかるはずなのに……。頭の中は混乱し、少年に色々聞きたくても、うまくまとまってくれなかった。