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桜色の空が、徐々に濃くなり始める頃。
叶夜は、自分の世界に戻っていた。
「あの時――どうしたらよかったんだ?」
先程までの出来事を思い返し、叶夜は深いため息をついた。これまでなんとか接してきたものの、正直本当は、どうしたらいいのか理解していない。人との関わり方。なにより、“女性”という者の扱い方がわからないのだから。
この世界では、女性という存在は少なく、出会うことも稀。叶夜が特別、感情に疎いということもあるが――そういうことを学んだのが、随分と昔だったことが一番の原因だった。
心というものは、成長していくうえで誰もが当たり前に感じ、育んでいくもの。だが叶夜には、そんな当たり前のことが許されない環境だった。
喜ぶこと。
怒ること。
泣くことや。
楽しむことさえ。
感情を出すということを知らずに育った叶夜には、美咲との日々は非日常的で。
どんな顔をして会えばいいのか。
どんな言葉をかければいいのか。
その術(すべ)を知らない叶夜は、いつも困惑していた。
あるのは、知識として理解しているものだけ。実際そんなものは役に立たないなと、叶夜は重いため息をもらした。
「――珍しいですね」
後方から、そんな言葉が聞こえる。振り向けば、そこには叶夜と同じ年頃の少年が、森の方から近付いて来ていた。
濃いめの茶髪を低い位置で一つに結んで、淡い茶色の瞳を宿した少年。髪と同じく、その少年は茶色の執事服を着ていた。
「しばらくぶりです。本日は、屋敷に寄っていかれないのですか?」
近くまで来ると、少年は仰々(ぎょうぎょう)しく頭を下げる。
それが気にくわないのか、叶夜の表情は、どこか浮かない様子だった。
「別に、今は何も無い。――お前こそ、俺に何か用事か?」
「いいえ。たまたまお見かけしましたので、ご挨拶をと」
「……そうか」
この辺りは禁止区域に近い。執事が主の言いつけ以外で来るような場所ではないし――だとすると。何かあると、叶夜は考えを巡らせた。
元々警戒心が強い叶夜だが、目の前にいる執事――特に、王華の長に仕えるこの少年には、注意を払っていた。
「俺はもうすぐ、人の世に戻る。お前も用事が無いなら、この辺りをうろつくな」
「ご安心下さい。私はもう、屋敷へ戻ります」
では、と軽くお辞儀をすると、少年はあっと言う間に、その場から姿を消した。
「監視……でないといいが」
あいつの目的が禁止区域に行くことではなく、自分の監視だったとしたら……。
そんな考えが、叶夜の頭を過った。もしそうなら、長に命華の存在が知られるかもしれない。本当なら、美咲を見つけた時点で報告するべきだったこと。でも叶夜は、命令を無視していた。
「――いつまでも、隠しとおせるものじゃないか」
始めは、助けてくれた礼にと、一回限りのつもりだった。それなのに、倒れた彼女を放っておけなくて……その後も、助けてしまった。
「まさか本当に、反抗する日がくるとはな。――言われたとおりだ」
今までの自分では考えられなかった。命令を聞き、そのとおりに動くだけの日々だったのに――彼女といると、自分が変わっていくように思える。だから護るのだろうかと、叶夜はそんなことを考えていた。
「――行った、か」
少年の気配が、完全に消える。それを確認すると、叶夜はすぐさま、森の奥へと駆けた。
今は美咲のことより、警戒するべき人物のことを考えようと、叶夜は頭を切り替えた。
自分はそう――至高の花を完成させればいいんだと。