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 空に大きく開いた穴。その向こうは暗く、小さな光が見える。
 使い魔が首を振り、乗れと指示する。エフと共に背中に乗れば、開けた穴を更に広げながら上って行った。



「――――来たか」



 楽しげに。けれども静かな口調で迎える王華の長。その周辺は、血の海と化していた。

「姫、本物が来たぞ」

「…………」

 目にしたのは、全身に血を浴びた女性。
 黒一式に身を包んだ、白銀の髪と左右瞳が違うその女性からは、感情など読み取れない。見覚えの無い容姿なのに――それが、瞬時に美咲だと理解した。
 周りに目をやれば、いくつも横たわる何か。壊れ方は違うが、それは全て人のカタチをしていて――俺と、同じ顔をしていた。

「お前にとっては懐かしいだろう?」

 知っている。生まれた時から、何度もこの光景は目にしている。
 時期は違うが、肉体的にも同じ処置を施して生まれたであろうそれには切り傷があり、おそるおそる美咲を見れば、手にしている短剣が汚れていた。

「何故……こんなことっ」

「分からぬか? これも全て、姫を解放する為」

 ざしゅ。ぐちゃ。
 無防備に立つ俺と同じ顔のそれを、美咲は顔色一つ変えることなく斬りつけていく。

「初めは刺すことも出来なかったが、今では見ろ。確実に心臓を刺せるまでになった」

 ……沸々と、怒りが込み上げる。
 あんな血の海、彼女が立つべき場所じゃない。これが美咲の為だと? そんなの……自分の為だろうが!

「……本当、狂ってやがる」

「ふっ、喜ばしい言葉だ」

 空気が変わる。途端、隣にいたエフと使い魔は弾き飛んだ。エフはオレと大差ない体格だが、使い魔は獣のまま。その巨体を弾き飛ばした力は――。

「上出来だ、姫」

 美咲の力が……二人を傷付けた。死に至る傷ではないが、それでもしばらくは動けない程の衝撃を受けているらしい。

「さぁ――次は本物を」

「…………」

 こくり、美咲は小さく頭を動かす。
 ゆったりと向かって来る様はとても優雅で。まるで結婚式でも上げようかと言うほど、厳かな洗練された雰囲気を漂わせている。よく見れば、服は黒いドレス。頭にベールがあれば尚完璧だ。



「主を……殺、せっ――」



 人の姿に戻った使い魔が、振り絞るように言う。
 無防備に近付く今、短剣を取り上げ命を奪うのは簡単だろう。

「…………美咲」

「…………」

 目の前で足を止め、まっすぐ俺の――心臓だけを、美咲は見る。

「たのむっ。早く……ある、じを」

 頭ではわかっている。だが……俺はもう、お前を手にかけたくない。
 心臓に向けられる短剣。
 美咲の手を握ると、オレは笑っていた。
 最初のお前――フロルとの記憶が頭を巡る。本当は俺が死んでいた。お前が助けてくれなければ、魂すら壊れ、こうして会うことは無かっただろう。だから――。

「この命は……お前のだ」

 自分から、握った手を強く引く。
 するり、滑らかに心臓を貫く刃。
 途端、美咲の瞳に正気が揺らぐ。
 事態が把握出来ないのか。小さく、体を震わせている。
 短剣を引き抜くと、美咲の両手を掴み、しっかり目を合わせた。

「わる、い……の、、。オレ、のっ方……だから」

 刺したのは自分。お前に罪は無いんだということを伝えれば――微かに、口が動いていた。その動きは、俺の名前を口にしていない。でもそれは――。

「っぐ!?」

 背中に激痛が走る。どうやら、長が背中を蹴飛ばしたらしい。
 落ちた短剣を握ると、長は美咲を引き寄せる。



「さぁ――至ろう」



 獣の声が木霊する。悲痛な叫びの中、長は歓喜に満ちながら、美咲の腹に短剣を突き立てた。