「お前は馬鹿か! 何故この地から逃げなかった? ここにも影は来るというのに……」

 目の前にいるのは、蓮華が知るディオスではない。どういうことだと悩むも、表情に出すことなく、蓮華は淡々と答える。

「バカはお前だ。――何故、私を助けた。自分の手で殺したいからか?」

「私はお前を殺さない。だが……殺すとしたら、私なのは否定しない」

「意味の分からぬことを。――お前がここに来るなど、あの日以来か。よく来れたものだな」

「目的の為なら、私はなんでもする。――それが、お前に恨まれる行為であったとしても」

 ゆっくり、ディオスは蓮華に近付く。手を伸ばせば触れられる位置に来た時、ディオスはその足を止めた。

「お前は……それでいいのか?」

「いいも何も、私は役目を果たすだけだ。お前こそ、自分の名を汚すなど恥を知れ」

「ふっ。〝洗練された者〟、か。私をそう呼ぶのは、もはやお前たちだけだ」

 一瞬、ディオスの表情が崩れる。それは蓮華が知っている、裏切る前のレフィナドの表情。



「お前……まさかその身に」



 蓮華が触れようとした途端、ディオスはその手を握り、自分の元へ引き寄せた。



「――なんの、真似だ?」



 静かに、蓮華は問う。



「もう、触れることが出来ぬからな」



 そう言って、レフィナドは腕に力を込めた。

「説明になっておらぬ。このようなことをするなど……どうかしている」

「もうすぐ、私でいられなくなる。――その前に、愛しい者に触れたいと思うのは当然であろう?」

 愛しい――者?
 その言葉に、蓮華は動揺の色を隠せなかった。「愛しい者」という言葉が、頭の中で何度も繰り返される。

「ここから逃げろ。でなければ……今度こそ、お前を殺してしまう」

「何を、言ってる? お前は、私を逃がすというのか? はっ、バカなこっ!?」

 言い終わる寸前。蓮華の言葉はかき消された。



「んんっ!……っ、ふぁ」



 その理由は、ディオスによって唇を塞がれたからだった。何が起きたか認識できない蓮華。訳もわからぬまま、次第に、その行為は激しさを増していった。頭がぼうっとしそうな中、ただ、意識を保とうと必死だった。



 ――どれぐらい、続いていたのか。



 唇が離されたと同時、蓮華はディオスを突き飛ばし距離を取った。



「はっ、……はぁ。レ、フィ、、、ナドっ……お前」



 悲しそうな声を出す蓮華。けれど、ディオスはそれを嘲笑(あざわら)う。



「何を情けない声を出している?――お前も、我に従え」



 途端、周りの空気が変わった。それを感じ取った蓮華は、身構える体勢を取る。



「私は――自分にしか従わぬ」



 告げて数秒後――蓮華はディオスに襲いかかった。先手必勝と言わんばかりに、攻撃の手を休めず、次々と拳や蹴りを繰り出していく。
 手に冷たい空気を纏わせると、それが触れた部分は、氷となって固まる。けれど蓮華の手がディオスに触れることはなく、大地や服にかするのでやっとだった。