「これもまた……一つの楽しみか」



 ニヤリ、口元が緩む。
 嫌な雰囲気を察した青年は、ディオスが動くよりも先に襲いかかる。



「――――煩(うるさ)い獣だ」



 つまらなそうに、ディオスは青年の腹を一蹴りする。なんとか体勢を整えると、間髪入れず、青年は再び襲いかかった。
 爪を尖らせ、何度もディオスの顔目掛け振り下ろす。しかし、それが当たることはおろか、掠ることもない。青年が弱いからではない。単に、ディオスの方が遥かに上をいっているだけのこと。
 二人が戦っている隙に、美咲は自分の周りに陣を張り巡らす。半径一メートルにも満たない小さな布陣だが、今はそれでいい。
 最小限の大きさ。
 最大限の防御壁。
 ゆらゆらと、陽炎のような淡い光が美咲を包む。
 準備は整った。後は自分で心臓を突き刺し、完全に死ぬ数分間、結界を固定するだけ。発動者が死ねば、たいていの術はそこで切れてしまう。だが美咲には、その心配が無い。
 だから安心していた。
 この結界には、誰も入って来れないと。



「――――死なせない」



 背後から、何者かに抱きしめられる。
 ディオスかと思い振り向けば、

「勝手に消えるんじゃない!」

 まだ力が回復していないはずの、叶夜だった。



 ――ドクッ、ドクッ。



 心臓が、大きく跳ね上がる。
 手にしたはずの短剣は床に刺さり、美咲が施した陣を消し去った。



「?――――きょう、や」



 瞳が、色を失う。
 その隙を待っていたかのように、ディオスは青年の胸ぐらを素早く掴むと、床に叩き付け思いきり蹴り飛ばした。



「お前にしては上出来だ」



 美咲を奪うなり、叶夜にも重い蹴りを与える。

「戻ってしまったか。――だが、これで何も出来まい」

 怪しい笑みを浮かべると、美咲を球体へ放り投げる。
 豪快な音。かなりの衝撃が与えられたのだろう。苦悶の声をもらしながら、美咲の体はゆっくり、球体の中へ飲み込まれていった。

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 〝また――失ってしまう〟



 そんな思いが過った。
 すぐにでも駆けつけたいのに、体はまだ、まともに動いてはくれない。
 ベッドに横たわっていれば、視界が徐々に曇り始めた。
 あれだけ飲んだというのに……。
 まだ足りなかったのかと思えば、どこかの景色が目の前に広がる。周りは静かで、ぼやけているが、そこが草原だというのはわかった。
 自分を見れば、腕の中に女を抱えていた。よく見れば、そいつは血まみれの状態。その女に、オレはすがりついていた。
 こんな記憶は無い。無いはずなのに――とても懐かしい、けれど虚しいような。いつもそれを体感していると、そんな気がしてくる。



『これで……いい、の』



 虫の息で、女は言う。



『だいっ、じょ……。また……あえ、るっ』



 微笑むと、そいつの体から徐々に熱が消えていく。握りしめた手からは力が抜け、ついに、女の息はこと切れた。



『っ……次、は。――――間違えない。次こそは必ず』



 護ってみせると声を張り上げ、女を抱きしめて泣いた。
 なぜ悲しいのかわからない。見ず知らずの女の為に、ここまで胸を痛めるなど……。
 女の顔が、はっきりと見えだず。抱きしめていたそいつは、護りたいと思う女と同じ色の瞳をしていて――大人びていたが、そいつは間違いなく、美咲と同じだと解った。
 途端、目の前がクリアになる。
 いつの間にか、俺は大広間に来ていた。
 見れば、首元に剣を向ける美咲がいる。
 地面を強く蹴り、彼女の元へ急ぐ。先程まで動かなかった体は、今ではいつも以上に動いてくれる。



 〝もう……間違うわけにはいかない〟



 オレの中で、そんな思いが肥大する。



「――――死なせない」



 もう、あの時の思いは御免だ。
 もう二度と、お前を失うわけには――。

「勝手に消えるんじゃない!」

 力いっぱい、目の前の彼女を抱きしめた。離したくない、失いたくないと思っていたのに……オレはまた、間違いを犯してしまった。



「お前にしては上出来だ」



 長が突如として現れ、美咲を奪われてしまった。
 助けに行ったオレを、長が許すはずもなく。ただ、美咲が飲み込まれていくのを、悔しさの中見ているしかできなかった。