「……家名なしのリリアーヌ、参りました」

 まずは名乗らなければ、とリリアーヌが膝を折って声を震わせながらも挨拶をすると、シャルルがこちらを見た。

 ……彼の青色の目は、翳っていた。普段城で見るときよりも青の色味が濃く見え、それが彼の精神状態を表しているようで心臓がどくどくと鳴る。

 ベッドの男性はリリアーヌをじろじろ見て、ふん、と鼻を鳴らした。

「……思ったほど、見目は悪くない。馬鹿でもなさそうだな」
「父上……」
「リリアーヌといったか。去年没落したラチエ男爵家の娘で、シャルルの補佐官ということだが」

 シャルルに「父上」と呼ばれた男性――デュノア公爵に問われたリリアーヌは、苦いつばを飲み込んでうなずいた。

 リリアーヌは今でこそ「家名なし」の平民だが、元々はラチエ男爵家の令嬢だった。
 金と権力に目がない父親に振り回されてきた彼女は十八歳の成人を迎えると、親の束縛から逃げるような形で王城仕えの文官の職に就いた。

 だがリリアーヌが二十一歳のときに、父親が「縁談だ!」と城に押しかけ、リリアーヌを四十歳も年上の金持ちのもとに嫁がせようとした。

 これに反抗したリリアーヌは、皆が見る前にもかかわらず父親と大喧嘩をして――ちょうど近くを通りがかったシャルルに、声をかけてもらった。
『君、僕の補佐官にならないか?』と。

 当時十六歳で士官になったばかりのシャルルは既に副官のオーレリアンを得ていたが、事務仕事をする補佐官もほしいと思っていた。前々からリリアーヌの仕事ぶりは聞いていたようで、父親に無理矢理職を没収されて嫁がされる前にと、声をかけてくれたそうだ。

 これ幸いとばかりにリリアーヌはシャルルの手を取り、彼の補佐官になった。それから父はしばらくの間、「デュノア公爵令息でもブラン伯爵令息でもいいから、誘惑して既成事実を作れ!」と非常に気持ちの悪いことを言っていたが、リリアーヌは無視し続けた。

 そうしてとうとう父は税に関する不正をしていたことがばれたらしく、去年男爵位を没収された。
 リリアーヌには成人前の弟がいるが彼は男爵位を国に返上することを望んで平民として生きたいと言ったため、リリアーヌも男爵家から離れてただのリリアーヌとしてシャルルに仕え続ける道を選んだのだった。

 そういうことで、今のリリアーヌからするとデュノア公爵は雲の上の存在だ。むしろ、令息のシャルルと姉弟のようなやりとりをしているのが、何かの間違いかと思われるくらいである。