その後も、三年対一年という試合としては善戦したが、なんのことはない、僕はあっけなく負けてしまった。
当たり前といえば当たり前の結果だった。何点かは取れたものの同点に持ち込めた場面すらなく、加藤先輩も、池田先輩も、部長に至っては、まるで歯が立たなかった。最後のほうはレギュラーじゃない先輩に体力の限界でボロ負けして、しまいにはこむら返りで棄権という情けなさ。

誰だよ、本気出したら勝てるなんて思ったやつ。僕だよ。
僕は、皆のプレイスタイルや弱点は知っているくせに、本気でやった時の自分を全く知らなかった。相手データしかなくて、勝てるわけがなかった。
今日、叶居さんが見に来ていなくて本当に良かった。こんなところ見られたら、また失望されてしまうところだった。軽くなったドリンクホルダーの蓋を開けて最後の一滴を喉に流し込み、カラカラに乾いて涙も出ない悔しさを飲み干した。
「カナデ、なんで今まで隠してたん」
「ひいっ!」

いきなり、部長が首の後ろに冷えたペットボトルを押し付けてきた。

「ほい。今日の参加賞」
「あ、りがとうございます」

僕がペットボトルを受け取ると、部長が隣に座って続けた。

「お前、全員の苦手なとこ、狙ってたよな。偶然とは言わせないぞ」
「え、っと……、見てるのだけは得意というか……、その……、でも、全然勝てませんでしたし……」
「ったり前だ! 皆お前より真剣に三年間やってきたんだ、簡単に勝てるわけないだろ」
「で……すよね」
「でもな、そういう観察力があるやつが部には必要なんだ。気付いてたんなら言えよ」

部長が僕の肩をバシバシと叩いて大きな声で笑うと、加藤先輩や他の部員もこっちを向いて笑った。誰の声か分からなかったけれど、もっと早く輪に入ってくれたらインターハイも行けたかもよー、とまで言われて、僕は困惑するしかできなかった。

「弱い後輩は弱点とか言っちゃ迷惑かと」
「んなわけあるかー! 仮にもそう思うんなら言えるように強くなれよ。思ったんだろ、もっと本気になりたいって、強くなりたいって、バドが楽しいって。シャトルがそう叫んでたぞ」
「えっ、シャトルが?」
「おうよ。俺が引退したらバド部の分析担当はお前だからな、頼んだぞ」
僕がずっと気にしていたことは、今までの場面とは違って、ここには必要なものだったらしい。
嫌われてしまうかもと思っていたことは、部長という巨人の肩を借りて部の役に立てることだったらしい。

「おい、泣くなって」

参加賞で貰ったスポドリが、飲んだそばから涙になって止まらない。
勝てるなんて思った馬鹿な自分に泣けて、もっと強くなりたくて悔しくて、部長や皆が優しくて。

夜、叶居さんから引っ越しの荷造りが終わったとLINEがきた。
ボロ負けして悔しかったことを話したら、筋肉ムキムキ笑顔がウザ眩しいアニメキャラのスタンプと一緒に、悔しいのは本気出したからだよ、と返事が返ってきた。

『悔しいのは本気出したからだよ』

叶居さんの声で聴こえた気がした。

叶居さんは明日、この街を離れる。だけど、また会える。約束の日は、支部大会が終わった翌週だ。
約束の朝。目覚まし時計が鳴る前に目が覚めて、カーテンの隙間が縦に白く光っていた。よし、予報通りの快晴だ。
部屋の窓から眩しい朝日と爽やかな風が押し寄せて、僕の冴えない部屋が輝いて見える。
今の気持ちはコンクールで聴いた課題曲『煌めきの朝』がぴったりで、僕は今、『陽キャの朝』の煌めきを浴びて出掛ける準備をしているんだなと可笑しくなった。

目的地までは電車で六時間かかるから、実際の滞在時間はほんの数時間ほどになる。会って話せる時間が短いのは少し残念だけれど、僕は相変わらず会話が苦手だし却って都合がいいかもしれないとも思った。

電車に乗り込み、ローカル線で叶居さんとLINEしながら向かう時間も楽しい……と思ったのは最初のうちだけで、東京駅で乗り換える時に思いっきり迷ってしまった。東京駅、なんであんなに広いんだ。
おかげで時間と気力を無駄に消費してしまった。しかもスマホも充電切れ。最悪だ。
『京』の頭文字に釣られて京浜東北線を目指してしまって、ホームに着いたはいいが大宮方面とあり、これでは逆戻りだと思って反対向きのホームへ行ったら今度は神奈川方面の駅名が書いてあった。僕が向かっているのは埼玉でも神奈川でもなく、千葉なのに。
よくよく確かめ『京』違いと気づいて京葉線のホームへ向かうも、本当にこれで合っているのか不安になるくらい遠くて、下調べ不足の自分を恨みながら案内の看板を信じてひたすら進んだ。
そんなわけでぐったりな上にスマホが使えず暇つぶしもできない、とにかく残りの三時間は虚無だった。
何か本でも持ってくればよかった。

八時半すぎの電車に乗って、乗り換えること三回。叶居さんの住む駅に着いたのは三時近くだった。検索して見た画像どおりの小さな駅で、迷路のような恐ろしい東京駅を思い出してホッと安堵した。

改札は一つ。トンネルのようなこじんまりした改札の横には待合室があった。
映画の『秒速五センチメートル』の駅に似ていて、主人公が電車を乗り継いではるばる好きな子に会いに行くシーンが浮かんだ。なんだか今までの時間と重なって、意外と悪くないかもしれない。
「こっちこっち!」

改札の向こうで叶居さんが両手を高く挙げて振っていた。ぴょんぴょんと小さく飛び跳ねながら手を振るその姿に、僕の心臓も大きく飛び跳ねた。
立ったり座ったり、乗車ホームを間違えたりしながらの六時間は長かったけれど、そんな苦労が一気に吹き飛ぶ。来てよかった。会えてよかった。

遠かったでしょ、と駆け寄る叶居さんには何事もなかったように笑ってみせた。

「あそうだ、ご飯もう食べた?」
「あ。食べてないや。乗り換えとか集中してたから忘れてた」
「わかる! 考え事したり集中してると食べるの忘れちゃうよね。お母さんにご飯呼ばれても返事して行かないとか」
「あるある。それでよく怒られる」
「だよね!」

そうか、疲れの理由は昼食を抜いていたせいかもしれない。

「でね、じゃーん!」

叶居さんが茶色い紙袋の口を開けると、香ばしい肉とソースの匂いが広がった。
「なんかすごい良い匂いする」
「叶居家特製の炭火焼BBQサンド! パパがもうじきお店出すから毎日試作してるんだ。夏は海でも販売するんだって」
「へえ、あ、それで引っ越し」
「うん、そう。あれ、引っ越す理由、言ってなかったっけ」
「初耳だよ」

駅から数分歩いただけで砂浜と海が広がる。道路沿いの歩道と砂浜を区切る防波堤のような長いコンクリート壁に腰掛けて、叶居さんとサンドウィッチを食べる。他愛ないことなのに、非日常感がすごい。
時折吹く潮風が気持ちよくて、叶居さんの持ってきてくれたサンドウィッチが美味しいせいだ。

何より、隣に私服姿の叶居さんがいる。

「おいしい」
「でしょ。たくさんあるよ、残ったらお土産ね」
「いいの? ありがとう」

柔らかい肉とトマトやアボカド、オレンジにナッツと、具だくさんのサンドウィッチを三枚分食べてごちそうさま、と言ったら叶居さんがもっと持ってくればよかったなあと呟いた。
「カナデくん、終電は?」
「えっと、六時五分前」
「そっかぁ、遠いもんね。じゃあ暗くならないけどやっちゃおう」

叶居さんは大きなビニール袋から花火の袋を取り出すと、開けて開けて! といたずらっ子のように肩をすくめて笑った。

「うわ、火薬の匂い。こういう花火、小学校の頃以来かも」
「僕もだ。すごく久しぶりな気がする」

薄っぺらで細長い小分けの袋を開けると、理科室でもあんまり嗅がないような強い火薬臭がした。
ピンク色に染められた木の棒に銀色の火薬がついた手持ち花火が五、六本入っていて、僕はそれを腰掛けたコンクリートに置いた。別の袋には木の棒が青いものや、鉛筆くらいの太さの紙筒でできているものもあった。叶居さんは僕が出した花火を焼き鳥の串のように綺麗に揃えて並べていく。

「先に全部あけちゃったら、湿気らないかな」
「大丈夫だよ、うち毎回こう」
叶居さんは白いロウソクに火をつけてコンクリートにロウを少し垂らし、そこにロウソクを立てて固定した。小学校以来という割に手際が良くて、僕はなんだかマジックショーの始まりを見ているような気持ちになった。てっぺんで小さな炎がゆっくりと揺れて、これでよし、と叶居さんが満足げな目で僕を見て笑った。

並べた花火をひとつづつ手に取って、先端を炎に近づける。風にほんのりと火薬が燃える臭いが漂って、シュウ! という点火の音と同時の閃光に目が眩む。

「点いた!」
「すごい! きれいきれい!」

まだ暗くなりきってもいないのに、ものすごく眩しかった。叶居さんは綺麗と言って喜んでいるけれど、僕は目がチカチカして直視できなかった。
手の先に小さな太陽があるようだと思った。音を立てながら勢いよく燃える火薬はあっという間に短くなって消えてしまう。僕はその早さに急かされて、慌てて次の花火に火を点けた。