「あの……!」
パトリスは決心して声を上げる。
「そのお役目、私が引き受けてよろしいでしょうか?」
一介のメイドに、仕事を選ぶ権利は与えられていない。アンブローズと執事長の頭の中には、パトリス以外の誰かの名前が浮かんでいるかもしれない。
そうとわかっていても、好きな人のもとにいられるチャンスを諦めたくなかった。三年越しの待望の再会なのだ。
「ホリングワース男爵が目の見えない生活に慣れるまででも構いません。ホリングワース男爵のもとで働いて、お手伝いしたいのです」
「もしかしてその声は……パトリス?」
ブラッドに名を呼ばれたパトリスは、びくりと肩を揺らす。ブラッドの力になりたいという思いが高じて立候補したが、ブラッドにはメイドをしていることを知られるのはまだ抵抗が残っている。
心の中で様々な想いが複雑に交差し、パトリスの行動を制止させた。
「パトリス、ここにいるのかい?」
ブラッドはもう一度、パトリスの名を呼ぶ。
ゆっくりと、声の名残を辿るように、顔をパトリスに向けた。しかし橄欖石のような瞳がパトリスの姿を映すことはない。パトリスがどこに立っているのかわからないため、彼女の姿を探して視線を動かしている。
たとえ見えないとわかっていても、パトリスの姿を映そうとしているようだった。その姿に、パトリスは胸を痛めた。
押し黙ってしまったパトリスの代わりに答えたのはアンブローズだった。
「違うよ。その子は三年前からうちで働いている、ハウスメイドのリズだ」
息をするようにごく自然と嘘をつくと、パトリスに向かってパチンとウインクしてみせる。自分がこの場を収めるから安心しなさいと、言っているようだった。
「そうでしたか。知り合いと声が似ているので、勘違いしてしまいました。申し訳ございません」
「いえ、どうかお気になさらないでください。声だけだとなおさらわかりにくいかと思いますので……」
パトリスはホッと胸を撫でおろす。ブラッドを騙して申し訳ないが、彼に気づかれなくて安心した。
「うん、わかったよ。それじゃあ、メイドはリズにしよう」
アンブローズの宣言に、パトリスは心の中で両手を挙げて喜んだ。しかし押さえたところで表情にはありありと喜びが滲んでいる。
そんな彼女の姿を、アンブローズは紫水晶のような瞳を眇めて見守った。
「リズは優秀なメイドだから手放すのは惜しいが、愛弟子の助けとなるならぜひ送り出したい」
「……優秀ならなおのこと、俺の家で働かせるのは申し訳ないです。リズさんの言う通り、俺が目の見えない生活に慣れるまでの契約にさせてください。慣れてからは、執事もメイドも俺の方で雇いますから」
心優しいブラッドは、会ったばかりの架空のメイドのリズことパトリスを心配してくれている。
侯爵以上の高位貴族の屋敷で働くのであればまだしも、下位の爵位である男爵家の屋敷で働かせると、リズの職歴に影響が出ると考えているのだ。
その気持ちは嬉しいが、ブラッドのために申し出ているパトリスには不要の気遣いだ。
できることなら永遠にブラッドのもとで働きたいと思う一方で、期限をつけて引くべきだとも思う。
爵位と領土を賜ったブラッドは、貴族の一員となった。それに付随して彼も政略結婚を結び、自身の立場を強固にしなければならない。
妻を迎えたブラッドを見るのは、さすがに耐えられそうもない。
「リズ、下がっていいよ。荷物をまとめてきなさい。今日からブラッドの家で働くといい」
「ありがとうございます。それでは、荷物をまとめるため失礼します」
「執事長はシレンスに説明してきてくれ」
「かしこまりました。すぐに伝えます」
温室を出たパトリスは、屋敷の西側の三階にある自身の寝室へと向かった。
寝室はホリーとの相部屋だ。部屋の中央を境に左右対称になるようにベッドとクローゼットと机が置いてある。
パトリスは飴色のクロゼットの両扉を開け放つと、一番下の段に置いていた焦げ茶色のトランクを取り出て床の上に広げる。これは、三年前に実家のグランヴィル伯爵家を追い出された時に持っていたのものだ。
この三年間は全く使う機会がなかったため、顔を合わすのは久しぶりだ。
「お仕着せと、下着と、寝間着と……執事長とホリーから貰った本も持っていこう」
あれもこれもと詰めていると、荷物がトランクから盛り上がってしまう。
「う~ん、蓋が閉まりそうにないから、いくつか置いていかないといけないわね……」
パトリスはしゃがみ込んだ状態で頭を抱えた。この屋敷に来たばかりはトランク一つで済んでいたのに、今は思い出の品がたくさんあって入りきらない。
この屋敷に来てから、パトリスはたくさんの楽しい思い出と温かな贈り物を得たのだ。
居残りさせる荷物を決めるべく荷物とにらめっこをしていると、扉を叩く音が聞こえてきた。返事をして扉を開けると、目の前にアンブローズが現れる。
「旦那様!」
「準備は順調かな?」
「トランクに入りきらないので、なにを置いていこうか迷っています」
「迷う必要はないよ。そういうときは、この大魔導士アンブローズ様に任せなさい」
アンブローズが指先で宙をなぞると、パトリスのトランクの周りに金色の光の粒子が現れた。アンブローズがトランクに魔法をかけたようだ。
「魔法でトランクの内部を拡張したから、これでたくさん入るよ」
「ありがとうございます! やっぱり旦那様の魔法は世界一です!」
「可愛い愛弟子にそう言ってもらえると嬉しいよ」
アンブローズはふわりと微笑むと、腕を組んで扉に寄りかかる。そうして、荷造りをしているパトリスの横顔を眺めた。
パトリスは決心して声を上げる。
「そのお役目、私が引き受けてよろしいでしょうか?」
一介のメイドに、仕事を選ぶ権利は与えられていない。アンブローズと執事長の頭の中には、パトリス以外の誰かの名前が浮かんでいるかもしれない。
そうとわかっていても、好きな人のもとにいられるチャンスを諦めたくなかった。三年越しの待望の再会なのだ。
「ホリングワース男爵が目の見えない生活に慣れるまででも構いません。ホリングワース男爵のもとで働いて、お手伝いしたいのです」
「もしかしてその声は……パトリス?」
ブラッドに名を呼ばれたパトリスは、びくりと肩を揺らす。ブラッドの力になりたいという思いが高じて立候補したが、ブラッドにはメイドをしていることを知られるのはまだ抵抗が残っている。
心の中で様々な想いが複雑に交差し、パトリスの行動を制止させた。
「パトリス、ここにいるのかい?」
ブラッドはもう一度、パトリスの名を呼ぶ。
ゆっくりと、声の名残を辿るように、顔をパトリスに向けた。しかし橄欖石のような瞳がパトリスの姿を映すことはない。パトリスがどこに立っているのかわからないため、彼女の姿を探して視線を動かしている。
たとえ見えないとわかっていても、パトリスの姿を映そうとしているようだった。その姿に、パトリスは胸を痛めた。
押し黙ってしまったパトリスの代わりに答えたのはアンブローズだった。
「違うよ。その子は三年前からうちで働いている、ハウスメイドのリズだ」
息をするようにごく自然と嘘をつくと、パトリスに向かってパチンとウインクしてみせる。自分がこの場を収めるから安心しなさいと、言っているようだった。
「そうでしたか。知り合いと声が似ているので、勘違いしてしまいました。申し訳ございません」
「いえ、どうかお気になさらないでください。声だけだとなおさらわかりにくいかと思いますので……」
パトリスはホッと胸を撫でおろす。ブラッドを騙して申し訳ないが、彼に気づかれなくて安心した。
「うん、わかったよ。それじゃあ、メイドはリズにしよう」
アンブローズの宣言に、パトリスは心の中で両手を挙げて喜んだ。しかし押さえたところで表情にはありありと喜びが滲んでいる。
そんな彼女の姿を、アンブローズは紫水晶のような瞳を眇めて見守った。
「リズは優秀なメイドだから手放すのは惜しいが、愛弟子の助けとなるならぜひ送り出したい」
「……優秀ならなおのこと、俺の家で働かせるのは申し訳ないです。リズさんの言う通り、俺が目の見えない生活に慣れるまでの契約にさせてください。慣れてからは、執事もメイドも俺の方で雇いますから」
心優しいブラッドは、会ったばかりの架空のメイドのリズことパトリスを心配してくれている。
侯爵以上の高位貴族の屋敷で働くのであればまだしも、下位の爵位である男爵家の屋敷で働かせると、リズの職歴に影響が出ると考えているのだ。
その気持ちは嬉しいが、ブラッドのために申し出ているパトリスには不要の気遣いだ。
できることなら永遠にブラッドのもとで働きたいと思う一方で、期限をつけて引くべきだとも思う。
爵位と領土を賜ったブラッドは、貴族の一員となった。それに付随して彼も政略結婚を結び、自身の立場を強固にしなければならない。
妻を迎えたブラッドを見るのは、さすがに耐えられそうもない。
「リズ、下がっていいよ。荷物をまとめてきなさい。今日からブラッドの家で働くといい」
「ありがとうございます。それでは、荷物をまとめるため失礼します」
「執事長はシレンスに説明してきてくれ」
「かしこまりました。すぐに伝えます」
温室を出たパトリスは、屋敷の西側の三階にある自身の寝室へと向かった。
寝室はホリーとの相部屋だ。部屋の中央を境に左右対称になるようにベッドとクローゼットと机が置いてある。
パトリスは飴色のクロゼットの両扉を開け放つと、一番下の段に置いていた焦げ茶色のトランクを取り出て床の上に広げる。これは、三年前に実家のグランヴィル伯爵家を追い出された時に持っていたのものだ。
この三年間は全く使う機会がなかったため、顔を合わすのは久しぶりだ。
「お仕着せと、下着と、寝間着と……執事長とホリーから貰った本も持っていこう」
あれもこれもと詰めていると、荷物がトランクから盛り上がってしまう。
「う~ん、蓋が閉まりそうにないから、いくつか置いていかないといけないわね……」
パトリスはしゃがみ込んだ状態で頭を抱えた。この屋敷に来たばかりはトランク一つで済んでいたのに、今は思い出の品がたくさんあって入りきらない。
この屋敷に来てから、パトリスはたくさんの楽しい思い出と温かな贈り物を得たのだ。
居残りさせる荷物を決めるべく荷物とにらめっこをしていると、扉を叩く音が聞こえてきた。返事をして扉を開けると、目の前にアンブローズが現れる。
「旦那様!」
「準備は順調かな?」
「トランクに入りきらないので、なにを置いていこうか迷っています」
「迷う必要はないよ。そういうときは、この大魔導士アンブローズ様に任せなさい」
アンブローズが指先で宙をなぞると、パトリスのトランクの周りに金色の光の粒子が現れた。アンブローズがトランクに魔法をかけたようだ。
「魔法でトランクの内部を拡張したから、これでたくさん入るよ」
「ありがとうございます! やっぱり旦那様の魔法は世界一です!」
「可愛い愛弟子にそう言ってもらえると嬉しいよ」
アンブローズはふわりと微笑むと、腕を組んで扉に寄りかかる。そうして、荷造りをしているパトリスの横顔を眺めた。