そうして事件が起きた一年後、パトリスはまたオルブライト侯爵家でレイチェル監修のもと、花嫁修業を受けている。
 メイドとして働くかたわら、貴婦人としての極意を教わっているのだ。
 
 そうなるに至るまで、決して平坦な道のりではなかった。
 
 父親は養子を迎えるのを止めてパトリスを後継者にすると言い出し、ブラッドとの結婚を認めようとしなかった。
 そのため、ブラッドは更に功績を上げなければならなかった。
 
 愛する恋人のために懸命に任務をこなすブラッドの姿に貴婦人と令嬢――そして王妃までもが感銘を受け、彼女たちが国王に提案してブラッドとパトリスが婚姻するよう命令を下したのだ。
 その一件にアンブローズも一枚噛んでいたことを、二人は後日知ることとなる。

「お姉様、少し休憩しましょう? 無理をなさるとお体に障ってしまいます」

 温室で社交界の要人についての講義を受けていたパトリスは、躊躇いがちにそう切り出す。
 レイチェルは小さく首を横に振りつつ、本人も無意識のうちに自身のお腹を撫でた。
 
「座ってあなたと話すくらい、なんてこともないわ」
「いいえ、春は気温の変化が激しいので、普通に過ごしていても疲れてしまうのですよ。だからこまめに休息をとるべきです!」 
 
 レイチェルのお腹には新しい命が宿っている。
 アンブローズはレイチェルから懐妊を告げられた時、ボロボロと涙を零して喜び、一日中レイチェルにくっついて離れなかった。

 そんな身重のレイチェルが温室で講義をすると言うや否や、パトリスはレイチェルにカーディガンを着せたりブランケットをかけたりと甲斐甲斐しく世話をする。
 使用人たちは体にいいお茶や軽食を用意した。

 一年前はレイチェルと使用人たちの関係性は最悪に近かったが、全てパトリスを想ってのことだと知って以来、彼女によくしている。

「お姉様になにかあったら泣きますからね!」
「ふふっ、そこまで言われるとしかたがないわね。可愛い妹を泣かせたくないもの」 
 
 パトリスがぷくりと頬を膨らませて抗議すると、レイチェルは仕方がなく折れるのだった。
 二人の仲の良さとレイチェルが妹を溺愛している話は、今では社交界では誰もが知っていること。

 パトリスが体に優しいお茶を淹れてレイチェルにティーカップとソーサを渡す。
 レイチェルはその豊かな茶の香りを楽しんだ。

 淡い色彩の花が咲き、麗らかな景色が広がる春の昼下がり。
 風が悪戯に雲を動かし、陽を隠す。
 
「急に肌寒くなりましたね」
 
 ぽつりと呟くパトリスの背中に、ふわりと温かなものがかけられた。見ると、魔法騎士の制服である深い青色の騎士服の上着だ。
 
 振り返ると、優しく微笑むブラッドと視線が交じり合う。
 彼の背後には、こちらを生温かい眼差しで見守るアンブローズの姿もあった。
 
「そうだね。風が少し冷たくて、パトリスが風邪をひいてしまいそうで心配だ」
「ブラッド! 旦那様に会いに来たの?」
「いや、パトリスを迎えに来たんだよ。結婚式のドレスの手直しが終わったそうなんだ。師匠には話しておいたから、一緒に店に行こう」
「もうできたの? とても早いわね」
「師匠とオルブライト侯爵夫人が張り切って……服飾士たちを急かしているらしい。早くパトリスのウェディングドレス姿を見たがっているそうだよ」
 
 ブラッドは苦笑すると、大きな掌をパトリスに向ける。
 パトリスがそっと自分の掌を重ねると、優しく握る。

「そんな師匠たちを差し置いて、あなたのウェディングドレス姿を一番最初に見せてもらう栄誉をいただけますか?」
「ええ、もちろん。喜んで」

 風が雲を押し流し、太陽が再び顔を表す。
 
 柔らかな陽光に照らされたパトリスが微笑みを浮かべたまま目を閉じると、ブラッドは誘われるように彼女を抱きしめる。
 温室の床に敷き詰められている白い大理石の上で二人の影が重なり、一つになった。

 
(結)