王都が寝静まった夜半のこと。
 仕事を終えたパトリスは寝台の上で何度も寝返りを打っては溜息をついた。なかなか眠つけないまま、もう一時間は経ってしまったような気がする。

 目を閉じても頭が冴えたまま。
 頭の中ではレイチェルの言葉が耐えず反芻して止まない。
 
 魔法を使えない自分が魔法騎士として名声を得たブラッドと釣り合うわけがない。
 そんなこと、自分が一番よくわかっている。しかし早急に恋心に区切りをつけられるかどうかは別の話。
 ゆっくりとその想いを消化して前に進もうとしていたのに、その柔らかな想いを土足で踏み込んでくるなんてあんまりではないか。

 悲しみと怒りと不安が胸の中に渦巻き、パトリスの心を蝕んでいる。
 
「……外の空気に当たろうかしら」

 春の夜はまだ寒い。
 パトリスは淡い小麦色のショールを羽織ると、部屋を出た。
 
 外では三日月が玲瓏と輝いている。
 庭の花は蕾を閉じて夢を見ているものもいれば、宵闇の中でも張り切って咲き誇るものもいる。

 パトリスは夜露に濡れた芝生を踏み分け、薄紅色の薔薇たちが咲く生垣の前でしゃがんだ。
 薔薇たちは宵闇の中でほんのりと光を帯びているように見える。

 そのうちの一輪に、そっと話しかけた。

「ここでの仕事が終わったら、この恋を忘れるわ」

 目の奥がじんわりと熱くなる。つんと鼻が痛くなるけれど、パトリスは言葉を続けた。

「忘れるために、街に出てひとりで生活することにしたの。自分の力で生きていける強さを身につけられるようになるまではブラッドに会わないようにするわ。そうしたらいつか、ブラッドが結婚して妻と一緒にいるとことを見ても立ち直れると思うから……」

 ぽたり、と冷たい夜風に冷やされた涙が地面に落ちる。
 パトリスは指で目元を拭うが、涙はとめどなく出てくる。
 
「でも今は、ちっとも大丈夫じゃないのよ」 
 
 彼を想ってきた時間は長く、心の一部であるかのようにずっといるのだ。
 それを取り出してなかったことにするなんて、心の一部を剥ぎ取るのと同じではないか。
 
 パトリスの心が、傷つけないでと叫ぶ。
 それでもパトリス自身がその心に爪を立てて剥がそうとしている。 
 
 行き場のない悲しみが喉を締め付ける。
 パトリスは嗚咽を漏らしてすすり泣いた。 

 夜の静寂だけが彼女を優しく包む。
 しかしパトリスの背後で、木の枝が揺れて葉が擦れ合う音がした。
 
「――パトリス?」

 次いで、聞き慣れた声が自分の名前を呼ぶ。
 声がした方を振り返ると、ブラッドが薔薇のアーチに手をついて立っているではないか。