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「パトリスにかけられているのは間違いなく、あなたが編み出した魔力発動を無効化する魔法よね?」
「……ええ、実は師匠から知らされる前から気づいていました。パトリスに名付けに行った時に一目見てわかりましたから」
「知っていて、なぜあの子に教えてあげなかったの? パトリスはいつも、魔法が使えないことを悲しんでいたのよ?」
「パトリスは生れた時から魔法使いたちのしがらみのせいで苦しめられてきました。魔法絶対主義のこの世界の在り方が呪いのようにあの子を不幸にしているのです。そんな彼女に魔法を解くために誰かを愛して愛されなさいなんて、言えませんよ。その言葉がまた呪いとなって、あの子が人を愛する機会を失くしてしまいます。優しいあの子は呪いを解くために誰かを愛そうとするのではないかと悩むでしょうから」

 アンブローズが編み出した魔力発動を無効化する魔法は、一風変わった方法で解くことができる。
 それは、心から愛し合う者とのキス。アンブローズはその条件を魔法の魔術式に組み込んだのだった。
 
「たしかにあの子ならそう思うかもしれないわね……」
「それに、教えなくてもパトリスはいつかぜったいに魔法を解けるとわかっていましたから。いつかあの子を愛し、あの子のためなら命を賭けることも惜しまない人が現れる。二人で協力して、どんな困難も愛の力で乗り越えられると思って黙っていたのです」
 
 夫の楽観的でややロマンチックすぎる考えに、レイチェルは思わずため息をついた。

「あなたって子はいつから魔法にロマンを求め始めたのかしら。魔法を解く条件として心から愛し合う者とのキスを魔術式に組み込むなんて、本当にふざけているわ。どうしてそんなものを条件にしたの?」
「ただの思いつきです。あの魔法はもともと、犯罪者を無力化させるために編み出したものなんですよ。そういう魔法を作ってほしいと騎士団の魔法騎士部隊隊長から依頼を受けて編み出しましたし、実際に彼ら以外の魔法使いが使用することは禁じられています。――そんな魔法を使われた人物でも、誰かを愛していて、その相手に愛されているような者であれば、更生できると思ったんです」 
「……もしもパトリスがホリングワース男爵と恋仲になって魔法を取り戻せば、あの子は大きな力を手にすることになるわ。それを魔法使いたちが気づかないわけがない。それなのにあなたはあの二人の仲をくっつけるつもり?」
「ええ、私の大切な弟子たちを誰も傷つけられない世界にするので問題ありません。明日の作戦でプレストン伯爵を見せしめにして、魔法使いたちに警告するつもりですから」

 アンブローズの言う作戦とは、彼とブラッドとオルブライト家の使用人、そしてレイチェルとグランヴィル伯爵が共同戦線を張って行われる。
 このところパトリスの行方を掴もうと嗅ぎまわっていたトレヴァーと彼に協力しているプレストン伯爵家の面々を今度こそ追放するための作戦だ。

 実際には既に始まっており、一週間ほど前から各々が人を雇ってパトリスの居場所に関して様々な噂を流していた。

 片やグランヴィル伯爵家のタウンハウス。片やその領主邸。オルブライト侯爵家の領主邸とも噂させた。同時にプレストン伯爵家に密偵を送り込んで内情を探らせていた。
 そして三日前、密偵から知らせがあった。トレヴァーたちが噂の流れている場所に人を送りこんでパトリスを誘拐する計画を立てているらしい。
 アンブローズたちはわざと彼らに屋敷を襲わせ、証拠を残したうえで捕える算段だ。

 その計画が実行される日が明日。
 だからアンブローズはブラッドたちに、外に出ないよう伝えた。敵を欺くために本物のパトリスは隠しておかなければならないし、彼女を守る護衛たちには彼女のそばにいてもらいたい。

「彼らが二度と銀色の髪を持つ者たちを実験材料にしようなんてふざけた考えを持たないように、トレヴァー・プレストンたちは徹底的に罪を償ってもらいます」
 
 アンブローズが仄暗く笑うと、レイチェルは背筋が凍るような感覚を覚えた。
 彼は以前、師匠というのは弟子のためなら卑怯者にもなれると言っていたが、今の彼はさながら魔王のようだ。
 
「上手くいくといいのだけど……」

 レイチェルは馬車の窓から夜空を見上げる。
 そうして、同じ星空のもとにいる大切な妹を想った。