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 レイチェルは彼女の告白通り、前世の記憶を持ったまま生まれた。
 前世の彼女は奇遇なことに今と同じエスメラルダ王国に住んでおり――歴代最少年で大魔法使いになった、オーレリア・エアルドレッド。

 生まれ変わったと気付いた時には既に揺りかごの中にいて、自分の手が赤子のそれになっていることに気づいてとても驚いたものだ。
 中身は一度目の人生のときのまま、体だけ変わってしまったのである。

 体は赤子のため言葉を話すことはできず、しかたがなく赤子として世話をされて過ごした。
 平民として生きてきた記憶があるため、なにからなにまで世話をしてもらうのは正直に言って気が引けた。

 おまけに父親はかつて部下として接していたグランヴィル伯爵。
 とりわけ仲がいいとも悪いとも分類されなかった部下だが、貴族の両親と上手くやっていけるか不安だった。しかしその心配は杞憂に終わり、グランヴィル伯爵もその妻も善良な人物であったため好きになった。
 特に父親は、自分たち家族を大切に想う人物なのだとわかって好感が持てた。前世で見た彼はいつも気難しそうな表情だったが、妻や子どもの自分に向ける眼差しは優しく慈愛に満ちていたのだ。

 しかし心残りがいくつかあった。それは遺してしまった妹や両親、そして弟子のアンブローズのことだ。
 彼らの現状を把握するために大人たちに話し声に常に耳を傾けていた。

 あいにく平民である家族たちの現状は掴めなかったが、アンブローズについてはすぐにわかった。
 彼は大魔法使いになり、その後プレストン伯爵を失脚まで追いやったらしい。

 その話を聞いたレイチェルは嘆いた。アンブローズを復讐に巻き込みたくなかったのに、結果として彼にそうさせてしまったのだ。

 アンブローズが妹や家族たちを自身の領地に匿ってくれていることも知った。
 自分は彼にたくさんの借りを作った。そう考えたレイチェルは、成長した暁には恩返ししようと心に誓った。
 
 アンブローズは父親の同期で仲がいい。
 いつか彼の成長した姿を見られるのではないかと心待ちにしていた。

 真面目なレイチェルは話せるようになるとすぐに勉強をしたいと父親に強請り、家庭教師をつけてもらった。いつまでも子どもらしくしていることが耐えられなかったのだ。

 前世の記憶があったレイチェルはほとんどの教科で優等生ぶりを発揮して家庭教師たちを唸らせた。
 貴族の礼儀作法については前世では未修得だったが持ち前の勤勉さですぐに自分のものにした。
 
 魔力や魔法の知識も前世と変わらなかったため、家庭教師は教えることはもうないと言って辞めてしまった。
 この時からレイチェルは社交界で、グランヴィル伯爵家の才女と呼ばれるようになった。
 
 そんなある日、レイチェルに妹ができた。
 レイチェルは素直に喜んだ。しかし母親に抱かれている赤子の髪の色が銀色だとわかるや否や、不安のあまり固まってしまった。

 もしも前世の妹のようにこの妹も例の高度な癒しの魔法を使えるのだとしたら、悪い魔法使いたちに狙われてしまうのではないか。
 そんな不安に駆られたレイチェルは、暇さえあればパトリスのそばにいて彼女を守ろうとした。

 妹が生まれてから五日ほど経ったある日、父親がアンブローズを屋敷に招いた。
 レイチェルが妹のいる揺りかごに寄り添っていると、父親と一緒に部屋を訪ねてきたのだ。

 久しぶりに見るアンブローズは記憶の中よりうんと大人びて、美しい男性へと変貌していた。
 大人たちの話によるとアンブローズは今も未婚らしいが、これは王国中の令嬢たちが放っておかないのではないかと思う。

 じっと見つめているレイチェルの視線に気づいたのか、アンブローズと目が合った。
 レイチェルを観察するような眼差しに、もしかして自分がオーレリアだと気付いたのではないかと淡い期待を抱く。しかしアンブローズは余所行きの微笑みを浮かべるだけでなにも言わなかった。

 アンブローズはパトリスを見ると、一瞬だけ痛ましげに表情を曇らせた。しかしすぐに微笑みを取り繕うと、妹にパトリスと名付けたのだった。
 
 グランヴィル伯爵家の次女が銀髪だという話は瞬く間に社交界や魔法使いたちの間で広まった。それと同時に、その次女が魔法を使えないという話も併せて広まった。

 魔法使いの中には自分がパトリスの師となって彼女が魔法を使えるように指導すると言い出す者がいたが、全て父親が断った。
 そうして断られた貴族の中に、レイチェルを弟子として迎えたいと申し出る人物が現れた。

 レイチェルにとって憎くてしかたがない存在。プレストン伯爵家の現当主、トレヴァーだ。

 正直に言うとレイチェルはトレヴァーと関わりたくもなかったが、これはチャンスだとも考えた。
 大人たちの話によるとアンブローズはプレストン家が前当主を切り捨てて一族の存続を守ったらしい。ならば彼らを決定的に追放するために彼らのそばで見張ろうと思いついたのだ。

 両親はプレストン家の評判が良くないためすぐに断ろうとしたが、レイチェルはその話を引き受けた。
 そうして当時五歳だったレイチェルは、高慢で高圧的なトレヴァーのもとでの鍛錬に耐える日々が始まった。

 それから予想外の悲劇が起こった。
 レイチェルがトレヴァーの弟子となって二年後、母親が流行り病を患った。まだ治療法や治療薬のない病だった。

 母親は日に日に衰弱していたが、最期までパトリスを心配していた。だからレイチェルは彼女の手を握り、「なにがあっても、どんな手を使ってでも妹を守り抜く」と誓った。

 その言葉を聞いた母親は微笑みを浮かべて、息を引き取った。
 彼女が犯した罪を遺書で知ったのは、その翌日だった。