手紙を読んだレイチェルと父親は話し合い、パトリスにかけられている魔法を解かないことにした。
 もしもパトリスが魔法を使えるのであれば、彼女があの高度な癒しの魔法を使えるのではないかと目を光らせる魔法使いたちが現れるはずだと、彼らも思っていた。
 
 それからの日々は地獄だった。
 レイチェルも父親もパトリスを避けなければならず、パトリスが悲しそうな顔をするたびに胸が痛んだ。

 彼らのパトリスへの態度が急変して、使用人の中にはパトリスに嫌がらせをする者が現れた。その度に二人は密かにその者を罰して辞めさせたのだった。
 
 父親がパトリスを屋敷から追い出したのは、レイチェルにとっても寝耳に水だった。
 彼女は父親から話を聞いてすぐに、アンブローズと結婚してパトリスの近くにいようと決意した。

 どうしても妹を近くで守りたかった彼女は、アンブローズと結婚してから侯爵夫人の権限でパトリスを領主邸に異動させ、後に自分は療養という名目で移り住もうと企てていたのだ。
 それが彼女の考え得る最善策だった。
 
 弱く儚い妹の安全を他人に任せるつもりはなかった。
 たとえその相手が当代の大魔法使いであったとしても、任せたままにせず自分の手で守り抜きたい。

 なにがあっても、どんな手を使ってでも妹を守り抜くと母親に誓ったし、パトリスを守ることは彼女自身が長年向き合ってきたとある事情に関わることでもあった。
 
 レイチェルはすぐに行動を起こしたが、初めは上手くいかなかった。アンブローズはレイチェルを警戒して全く取り合おうとしなかったのだ。
 
 なんせ彼女の師は天敵のプレストン家の現当主であるトレヴァー・プレストン。いくら可愛い弟子のパトリスの姉で親しい同僚の娘と言えど、トレヴァーの弟子と関わるなんてまっぴらごめんだ。

 だからレイチェルはアンブローズにありのままの事実を話して協力を求めた。
 パトリスが本当は魔法を使えること、そして彼女は高度な治癒魔法を使えること、母親がパトリスに魔力発動を無効化する魔法をかけたこと――そして、自分は彼女を守るためにプレストン伯爵家を没落させようと企てていること。
 
 アンブローズはそれでもレイチェルをすぐには信じられなかったため、魔法契約書という特別な魔法をかけられた書類を使って契約を交わすことを条件に結婚を受け入れると言った。
 魔法契約書で一度契約を取り交わすと死ぬまで解除できない。おまけに書いている契約内容を破ると契約書の魔法が発動し、心臓を潰されて死んでしまう。

 レイチェルはその条件を受け入れてアンブローズとの結婚にこぎつけた。
 そしてその時、アンブローズは契約書には記していない、とある条件をもう一つ付け加えている。それは、この結婚は白い結婚であるということ。
 アンブローズには想い人がいるため、レイチェルを愛せないと言ったのだ。
 
 レイチェルはそれさえも二つ返事で承諾すると、父親にアンブローズとの結婚を提案した。パトリスを守るために必要なことだと説得するのだった。
 こうして表向きは二つの家門の結びを強くするための政略結婚が成立した。

 ――それなのに、今の夫はなぜか妻を心から愛している夫のように触れてきている。
 レイチェルは大いに困惑した。
 
「……()()()、いつまでこうしているつもりですの? そろそろ離れてくださいませ」 
「ずっとこうしているつもりだと言ったら、どうする?」
「ご冗談を……あなたには想う相手がいるから、私を愛することはできないと仰ったではないですか。あなたのその想いとは一年やそこらで霧散するほど薄っぺらいものだったのです?」 
 
 いったいなぜ彼がこのような行動をとり始めたのかわからない。
 アンブローズはブラッドの屋敷へ自分を迎えに来てからずっと離れないし、紫色の瞳は蕩けさせているのに見つめられると不思議と背筋がぞくりとするほどの強い怒りに似た感情を感じ取ってしまう。
 
 ありったけの皮肉を込めて行ってみたが、アンブローズは眉一つ動かさない。年下の妻に皮肉を言われて憤ることも、その発言を鼻で笑うこともせず、至極真面目な面持ちでレイチェルの手を恭しくとる。
 そしてその指にそっと唇を当てた。
 
「いや、私の想いは全く変わらりません。永遠に――師匠、あなたを愛しています」
「……っ、なにを言っているの……?!」
 
 彼の口から出た懐かしい呼び名に、レイチェルは驚きで声が裏返ってしまった。
 びくりと肩を揺らしたその動きをアンブローズは決して逃さない。彼は確信に満ちた笑み眼差しでレイチェルを捕らえた。