「どうして私をホリングワース男爵家まで迎えに来ましたの? あそこにいる使用人が連絡を寄越したのかしら?」
  
 ブラッドの屋敷からの帰り道の馬車の中。
 レイチェルはうんざりした様子で、隣に座って彼女の肩を抱きこんでいるアンブローズに非難めいた口調で問う。 
 
「シレンスが連絡してきたのは当たっているよ。迎えに行ったのは――そうだね。あなたがパトリスをあの屋敷から連れ去るのではないかと危惧していたからだよ。私の目を盗んでパトリスを領地まで運ぶのではないかと思っていた」
「当主であるあなたへの断りもなしにそのようなことをしませんわ」
「……そうだね。あなたはきっとそのようなことをしない。曲がったことが嫌いで、卑怯な手を使えない。……相変わらずだね」

 アンブローズがくすくすと笑うと、彼の耳元で青色の魔法石のピアスが星明かりを受けて輝く。
 彼の愛する師の瞳の色と同じ、青色の魔法石のピアス。レイチェルはその魔法石をこっそりと盗み見た。
 
「ねえ、レイチェル。いつから私をローズと呼んでいたのかな? 私がいないところではそう呼んでいたのかい?」
「先ほどたまたま呼び間違えただけですわ。今後は間違えないように気をつけますからもうその話は止してくださいませ」
「まさか。妻が愛称で呼んでくれて喜ばない夫はいないはずさ」

 その言葉にレイチェルは眉根を寄せた。
 
 いつもの彼なら決してこんなにも密着してこない。それどころか隣に座りもしない。
 それが内密に白い結婚を宣言した二人の心の距離を表していた。
 
 アンブローズとレイチェルは表向きではグランヴィル伯爵からアンブローズに打診があって取り決められた政略結婚だが、実はその前にレイチェルからアンブローズに契約結婚を持ちかけられていた。
 
 レイチェルはパトリスが勘当されて屋敷を追い出された後にアンブローズの屋敷にいると父親から聞いた。
 なぜ危険な外の世界に出したのかと問い質すレイチェルに、父親はこれが最善策だからだと答えた。事前にアンブローズに手紙を送っており、彼ならすぐにパトリスを助けて匿ってくれると信じていた。
 大魔法使いで侯爵家の当主である彼のもとなら、パトリスは安全に暮らせる。

 そう語る父親はすっかり憔悴していた。いつも厳格で少しも弱さを見せない父親がこんなにも弱々しい姿を見せるなんて、愛する妻に先立たれて以来ではないだろうか。

 父親は自分の判断の甘さがパトリスを危険に晒してしまったことを悔いているのだと、レイチェルは悟った。
 彼は日ごろからパトリスを閉じ込めていることに負い目を感じていた。そのためつい、外に出たいという彼女の願いを叶えてあげたいと思ってしまったのだろう。
 
 レイチェルも父親も表面上はパトリスを疎ましく思っているように見せていた。しかし実のところ二人ともパトリスを愛しており、彼女を守るためにわざとそのような演技を続けている。
 
 きっかけは、レイチェルとパトリスの母親が遺した手紙だった。
 はやり病を患い死に直面していた彼女は、夫とレイチェルそれぞれに手紙を書いた。そこに記されていたのは、自身が犯した罪と真実の告白。

 パトリスは本当は魔法を使える上に、銀色の髪を持つ者と高度な癒しの魔法も使えるらしい。
 彼女は二度ほど、パトリスが無自覚で発動させたその癒しの魔法にかかったそうだ。

 幸にもまだ、彼女以外誰もパトリスがその魔法を使えることに気づいていない。
 悩んだ末に彼女は、他の者がパトリスの力に気付く前にアンブローズが編み出した魔力発動を無効化する魔法をかけて抑え込んだ。

 この国で魔法が使えない者は最弱者となってしまうことはわかっていた。そうなればパトリスが周囲からどのような目で見られることになるのかもまた、わかっていた。
 それでもよからぬ魔法使いたちが娘を餌食にするかもしれないと思うと恐怖が勝り、魔法をかけてしまったという。
 
 彼女が恐れるのも無理はない。魔法使いの中には自身の研究のためなら悪魔に魂を売ったとしか思えないような所業を行う者さえいる。
 いくら魔法大家の魔法使いが束になって我が子を守ったとしてもいても、相手が倫理や立場をかなぐり捨てて襲ってきては太刀打ちできないかもしれない。

 そうであればパトリスの可能性を潰してでも彼女を守りたかった。