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 アンブローズは宣言通り、翌日の朝やって来た。二台の馬車を引き連れて。
 一台目にはアンブローズが乗っており、二台目にはホリーと身支度用の道具たちが乗っている。

「じゃあ、リズは部屋でホリーに身支度してもらってくれ。とびっきり美人にするように言っているから、全部ホリーに任せるんだよ。もちろん、リズは元から美人だけどね」
「ええっ……?!」

 戸惑うパトリスの肩を、ホリーががっしりと掴んだ。まるで、パトリスの逃亡を阻止しようとしているかの如く。
 
「私に身支度だなんて……そんなこと、してもらっていいのですか?」

 着飾らせるのであれば、寧ろブラッドの方だろう。なんせパトリスは一介のメイドに過ぎないのだ。
 すると、アンブローズはやや大げさに肩を竦めた。
 
「何を言っているの? おとぎ話には、ヒロインを助ける魔法使いが必要不可欠でしょ?」
「ヒロインだなんて……。私はただのメイドですのに」
「細かいところは気にしないの。この優秀な魔法使いに任せなさい。とはいえ、実際に変身させてくれるのはホリーだけどね」

 アンブローズはパトリス越しにホリーを見遣る。二人は共犯めいた笑みを浮かべると、無言で頷き合った。

「ホリー、存分にやってくれ」
「かしこまりました! エスメラルダ王国一の美女にします!」

 ホリーはシレンスに身支度用の道具を運ぶようお願いすると、パトリスの肩を掴んだまま我が物顔で屋敷の奥へと進む。
 こうして、パトリスは自室へと連行されるのだった。

「はい、使用人仲間みんなからの贈り物よ。開けてみて?」

 自室に着くと、ホリーが薄桃色のリボンのかかった若草色の箱をパトリスに手渡す。
 
「ど、どうして?」
「違う場所で働くパトリスを応援するためによ。それにあんた、よそ行き用の服を持っていないでしょう?」

 パトリスは実家を追い出された時に必要最低限の持ち物しか持ってきていなかった。ドレスは着ることがないだろうし、荷物になるから置いてきたのだ。
 
「ホリーから貰ったブラウスやスカートがあるよ?」
「お下がりを着て行かせるわけにはいかないわ。実は、旦那様が執事長に言いつけて服の用意をさせていたからね、私たちがパトリスに贈りたいと願い出たの」

 パトリスはホリーに目で促されると、そっとリボンに触れる。するりと解き、箱の蓋を開けると、中には水色の可愛らしいワンピースが入っていた。

 首元は詰まっているデザインだが、共生地でフリルがあしらわれているから堅苦しくない。
 パフスリーブで、袖口にもフリルがあしらわれている。胸元はチュールレースを用いた切り替えとなっており、腰の辺りから足元までふんわりとしたシルエットになっている。
 
「素敵……本当に、私がもらっていいの?」
「もちろん。返品不可だからね?」

 ホリーは片眉を上げて念を押す。パトリスがふふっと笑うと、一緒になって笑った。

 貰ったワンピースに着替えたパトリスは、ホリーに誘導されて椅子に座る。目の前にいるのは、メイク道具を持って今にも飛びかかってきそうな勢いのホリーだ。 
 
「さあ、パトリス。化粧するからじっとしてね?」
「は~い……」

 逃げようのないパトリスは、観念して目を閉じる。
 
 誰かに手入れをしてもらうのは三年ぶりで、化粧をしてもらうのは初めてだ。グランヴィル伯爵家にいる時は、化粧は縁遠かった。部屋に閉じ込められているパトリスには不要だとされていたのだ。
 そんなパトリスに化粧を教えてくれたのは、ホリーを始めとしたオルブライト侯爵家のメイド仲間たちだ。
 
 彼女たちが教えてくれたのは化粧だけではない。
 仕事はもちろんだが、皆でふざけ合う楽しさや、真夜中に食べるお菓子の美味しさなど、毎日を楽しく過ごす方法を教えてくれた。
 どれもグランヴィル伯爵家にいた頃のパトリスは経験できなかったことばかりだ。
 
 パトリスはそれまで、閉じ込められる日々も理不尽な状況も受け入れて息を潜めることしかできなかった。オルブライト侯爵家に来て間もない頃も仕事以外の時間は誰にも迷惑をかけないよう部屋に閉じこもって本を読んでいた。しかしホリーたちがパトリスの知らない事を経験させてくれたおかげで、パトリスは自ら毎日を彩る術を覚えたのだ。
 
「パトリスは栗色の髪もよく似合うわね」 

 ホリーは鼻歌を歌い出しそうなほど上機嫌だ。
 おしゃれ好きのホリーは以前から、いつかレディースメイドとしてオルブライト侯爵家に来る女性の主人の身支度を整えたいと言っていた。しかしレイチェルが来てからはそう言わなくなってしまった。
 ホリーはパトリスの身の上を知っているため、どうもレイチェルを目の敵にしてしまうのだ。
 
「急に髪の色が変わったから、驚いたでしょ?」
「まあね。だって、パトリスは急に屋敷を出ることになったし、見送りに行ったらパトリスの髪の色が栗色になっているんだもの。みんなとっても驚いたわよ」
「なのに、誰も理由を聞かなかったね」
「……みんな、あんたが訳ありなのを知っているからね。髪の色を変えておいた方がいいって旦那様が判断して変えたんだって、みんなわかっているわ。むしろパトリスが安全に過ごすためにそうした方がいいって」
「うん……そうなの。銀色の髪は珍しいから……」

 それ以上は言葉が続かなかった。ホリーやオルブライト侯爵家の使用人仲間たちの想いを知って、胸がいっぱいになったのだ。

 オルブライト侯爵家の使用人仲間たちはみんな優しい。パトリスに何があっても受け入れて、見守ってくれている。
 
(勘当されたときはとても辛かったけど……勘当されたからこそ、こうして優しい人たちに出会えたのね)

 辛いことがあっても、その後にはいいことも起きてくれる。
 そう思えば、この先なにがあっても乗り越えられる気がした。
 
「――できたわよ。我ながらいい出来だわ。まあ、素材がいいものね!」

 パトリスは机の上に置いてある鏡を覗き込むと、わっと小さく声を上げた。
  
「お、お姫様みたい!」
「ええ、もう妖精の姫って感じね。このまま外に出してしまって大丈夫なのかしら~? 男どもに言い寄られないか心配だわ。まあ、いざとなったらホリングワース男爵が守ってくださるわよね」

 ホリーは上機嫌でパトリスの手を引くと、アンブローズたちが待つ応接室に連れて行った。
 
 アンブローズはパトリスを見るや否や、目尻を下げて微笑む。
 
「リズ! 本当に綺麗だよ。水色がよく似合うね」
「ええ、リズの瞳の色に合わせて選びましたから!」

 ホリーが得意気に胸を張る。
  
「……そうか、リズさんの瞳の色は水色なんですね?」

 ブラッドがぽつりと呟いた。どこか確信めいた響きに、パトリスはヒヤリとする。
 正体がバレてしまったのではないかと、恐れるあまり両手をぎゅっと握りしめた。
 
「髪の色は?」

 そう聞かれ、パトリスはおずおずと「何の変哲もない栗色です」と答えた。
 
「そんなことはないですよ。優しい色です」
 
 嘘をついて騙したのに、ブラッドから優しい言葉を受け取っている。そのことに罪悪感を覚えた。
 それでも、彼に本当のことを言えない。まだ今の自分を知られたくないのだ。

「君たち、そろそろ出かけたらどうかい? そうしていると、外に出る前に日が暮れてしまいそうだ」

 アンブローズに急かされ、パトリスとブラッドはアンブローズが手配した馬車に乗り込む。アンブローズは二人が乗り込むのを見届けると、ホリーと一緒に来た馬車に乗り込んだ。

「いってらっしゃい、二人とも楽しい外出を」
「ありがとうございます。いってきます」
 
 パトリスは手を振って見送るアンブローズとホリーに手を振り返した。