パトリスは元グレンヴィル伯爵家の令嬢だ。両親と三つ年上のレイチェルの、四人家族だった。
 父親は白金色の髪に水色の瞳、母親は銀色の髪と金瞳の髪を持っている。パトリスは父親から瞳の色を、母親から髪の色を受け継いだ。顔立ちは母親に似ており、優美さがある。
 一方でレイチェルは髪の色も瞳の色も父親と同じで、整い過ぎて冷たい印象を与える顔立ちも似ている。
 
 魔法大家に生まれ、王立魔法使い協会に所属する上級魔法使いの両親の血をひいたのに、生まれてから一度も魔法を使えた試しがない落ちこぼれ。
 そんなパトリスは三年前に起きた事件に巻き込まれたことがきっかけで父親から勘当され、家名のない平民となった。失意のパトリスに手を差し伸べてくれたのは、今の雇用主で魔法の師でもあるアンブローズだった。

 アンブローズはパトリスの家族とは異なり、魔法が使えないパトリスを優しく支えてくれた。一度も彼女を落ちこぼれ扱いしたことはなかった。
 
 とはいえパトリスは家族と平穏に過ごしていた頃もあった。家族はパトリスがいつか魔法を使えるかもしれないと希望を持っており、毎日欠かさず魔法の練習をさせた。
 特に母親はパトリスを常に気にかけ、些細な変化も見逃さないよう、そばに置いていた。

 全てが変わってしまったのは、パトリスが五歳になる年――パトリスの母が病でこの世を去った日のこと。
 父親とレイチェルは大切な人を失った悲しみで変わってしまったのか、パトリスを疎むようになってしまった。

 エスメラルダ王国の魔法使いの世界は厳しく、常に強さや秀でた力が求められる。魔力量が多く魔法を操る才のあるものは一目置かれた。一方で、魔力が少なくすぐに魔力切れを起こす者や魔法を上手く操れない者は淘汰される。
 魔法を使えないパトリスは、魔法使いの世界では最弱者だ。
 
 父親はパトリスをタウンハウスに閉じ込めた。もとよりあまり他家との交流がなかったパトリスは、すぐに他家の人々から忘れ去られてしまった。
 
 閉じ込められた当時のパトリスは、たった五歳の子どもだった。本来なら家の外に出たがる年齢だが、魔法が使えないことに負い目を感じていたため、自室に閉じこもって大人しくしていた。
 
 そうしてパトリスが閉じこめられてから一年後、アンブローズと彼の弟子であるブラッドがグレンヴィル伯爵家のタウンハウスを訪れた。ちなみにこのブラッドこそが、数年後に師の跡継ぎとなることを丁重にお断りした例の愛弟子だ。
 二人は執事長の案内で、パトリスの自室に来たのだった。当時のパトリスは、突然の来客に心底驚いた。
 
「こんにちは、パトリス嬢。久しぶりに会えて嬉しいよ。私はアンブローズ・オルブライト。君のお父さんの同僚で、君の名付け親だよ。前に会ったのは、君が生まれて間もない頃だったんだ。大きくなったねぇ」

 アンブローズはパトリスの目の前まで歩み寄ると、床に膝をついてパトリスに目線を合わせてくれた。

 初めてアンブローズを見たパトリスは、まるで絵本に描かれている王子様のような人だと思った。
 華やかさと甘さのある顔立ちで、微笑みを湛えており、優しい印象の男性。肩のあたりまである少し長めの深紅の髪は手入れが行き届いて艶やかで、パトリスを見つめる紫水晶のような瞳は見惚れるほど美しい。

 左耳には青色の魔法石のピアスをつけている。その青い魔法石が深紅の髪によく似合う。
 
 服装は洗練されており、仕立ての良い白のシャツに銀糸の刺繍がほどこされた黒のベストと、黒のスラックスとジャケットを着こなしている。
 その上から魔法使いらしい黒色のローブを羽織っており、動く度に銀糸が控えめに輝いた。
 
 アンブローズはパトリスの頭を撫でつつ、背後にいるブラッドに声をかけた。
 
「ブラッド、君も挨拶しなさい」
「はい」

 ブラッドもまた端正な顔立ちをしていたが、こちらは騎士のような精悍さがあった。漆黒でさらさらの髪は師匠とは異なり短く、瞳の色は橄欖石のような柔らかな緑色。
 アンブローズのように目線をパトリスに合わせはしなかったが、優しい眼差しを向けてくれている。
 
 ブラッドは簡素な白シャツと装飾のない黒いベストを着ており、ローブは羽織っていない。
 魔法使いのローブとは、一人前になったと師に認められるまでは羽織れないのだ。
 
「お初目にかかります、お嬢様。アンブローズ様の弟子のブラッドと申します」

 ブラッドは子どもにしては落ち着いた声音と話し方で、大人っぽい少年だ。
 パトリスは今まで、姉のレイチェル以外の子どもに会ったことがなかった。ほとんどの時間を大人に囲まれて過ごしてきたため、ブラッドのことがとても気になった。

 アンブローズは、パトリスがチラチラとブラッドを窺う様子を見ると、ゆるりと唇に弧を描く。
 
「ブラッドはパトリス嬢より八歳年上だから、お兄さんにはちょうどいいよね?」
「お兄さん?」
「うん、お兄さん。いや、兄弟子と言った方が正しいのかな。兄弟子はね、同じ師につく年上の弟子のことを言うんだよ。パトリス、今日は君を勧誘しに来たんだ。私の弟子にならないかい?」
 
 パトリスは幼いながらも、弟子になるとはどのようなことかわかっていた。魔法使いはいつか、師のもとで魔法を学ぶものだと、母親から教えてもらったことがあるのだ。
 
 以前のパトリスなら近い将来、自分も誰かの弟子になるのだと思っていた。しかし周囲の人間から落ちこぼれのレッテルを貼られてしまった今では、それさえも叶わない夢となってしまった。
 
 パトリスはしゅんとして、肩を落とした。
 
「弟子には、なれません。私は、魔法が使えないのです。きっと、ご迷惑をおかけします」
「迷惑だなんて……」

 アンブローズは言いよどむ。形の整った眉を下げ、目の前にいる少女に同情した。
 魔法が使えないから、迷惑をかける。すぐにそのような言葉が出てくるほど、少女は追い詰められているのだ。

「パトリス嬢が私に迷惑をかけることはない。私はね、暇つぶしで師匠をしてるんだ。だから、私の暇つぶしに付き合うと思ってくれるといい」
「師匠、暇つぶしとは、何なのです……?」
「あはは、ブラッドったら、怖い顔をしているよ? パトリスが泣いてしまうから笑ってよ」
「もうっ、話しを逸らさないでください!」
 
 ブラッドが半眼で、もの言いたげに師を睨む。しかしアンブローズは、「あはは」と声を上げて笑うだけ。
 二人の関係性とブラッドの気苦労が、透けて見えた瞬間だった。
 
「私は名付け親として、パトリス嬢には幸せでいてほしい。だから、君に会う理由がほしいんだ。これは完全に私の我儘だよ。どうか、その我儘に付き合ってくれるかい?」
 
 アンブローズがかけてくれた言葉のひとつひとつが、ボロボロだったパトリスの心に優しく沁み込む。
 愛情に飢えていたパトリスは、アンブローズの手を取った。