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 ブラッドが国王陛下から賜った屋敷は、アンブローズのタウンハウスから馬車で二十分ほどかかる場所に位置する。王都にある貴族の居住区画では、財力や身分が中位ほどの貴族のタウンハウスが並んでいる場所だ。
 パトリスは馬車の窓に顔を近づけ、外の景色を堪能した。生まれてからずっと高位貴族が住まう区画にいたパトリスにとっては新鮮な眺めだった。
 
「着きましたよ。門を開けますね」

 馬車が停まると、御者が扉を開けてくれる。パトリスが先に下り、ブラッドから預かっていた鍵で門を開く。その間、シレンスがブラッドの体を支えて彼を馬車から下ろしていた。

 屋敷はオルブライト侯爵家のタウンハウスの三分の一ほどの大きさが、三人で住むには広すぎる。
 三階建ての屋敷の外壁は橙色の煉瓦で、白い窓枠との対比が美しい。
 黒色の屋根には煙突と窓があり、屋根裏部屋はかなり広そうだ。

 この屋敷の以前の所有者は、かつて大魔法使いとして名を馳せたオーレリア・エアルドレッド。
 彼女の死後、遺言によりこの屋敷を国王に献上した。王国に貢献した才ある者にこの屋敷を贈ってほしいとの条件をつけたのだった。

 屋敷は新築ではないが手入れが行き届いており、おまけに日当たりがいいため屋敷全体が明るい。
 調度品は決して多くはなく、豪華ではないが、どれも洗練された美しさがあるものばかりだ。
 
 パトリスとシレンスはそれぞれ寝室を割り当ててもらった。パトリスは屋根裏部屋、シレンスは一階の裏口近くにある部屋だ。どちらも使用人部屋として用意されており、各々の希望でその部屋に決めた。
 
「わあ! 素敵な部屋!」
 
 手荷物のトランクを置きに屋根裏部屋へ行ったパトリスは、新しい寝室を見回して歓声を上げる。

 白地に緑色の格子模様柄と薄紅色の薔薇の絵が組み合わされた壁紙と温かな色の木のパネリングが優しい印象を与える部屋だ。突き出し窓から入り込む光で室内は明るく、きちんと掃除されているため清潔感がある。
 この屋敷はオーレリアから国王に献上された後、王宮の使用人たちが日々掃除して美しさを維持してきたのだ。
 
 明るい色の木で作られたベッド、同じ色の木で作られた蓋つきの書記用机と椅子、それに植物の意匠が凝らされているクローゼット。
 どの家具も温かみがあり、パトリスを歓迎しているように見える。
  
「お休みの日に花瓶を買いに行こうかしら。窓辺に飾ったらきっと素敵!」
 
 パトリスは白い木で作られた突き出し窓にそっと触れる。
 まだこの部屋に足を踏み入れたばかりなのに、早くも好きになった。
 
 手荷物を置いたパトリスは一階にある厨房でお茶を淹れると、二階にあるブラッドの執務室へと向かう。椅子に座っているブラッドは、手元の書類に手をかざしており、なにやら魔法をかけているようだ。
 
「ホリングワース男爵、お茶をお持ちしました。砂糖はいりますか?」
「ありがとう。砂糖は一つだけお願いします」
「かしこまりました。ティーカップを二時の方角に置きますね。今のホリングワース男爵の手の場所から拳二つ分先です」
 
 目の見えないブラッドがティーカップの場所を把握しやすいよう、細かな位置を伝える。
 パトリスはカップを置くと、思いきってブラッドに問う。

「書類に魔法をかけていますよね? どのような魔法を使っているのですか?」
「インクに反応する魔法を使って文字に魔力を流し込んでいるんです。そうすると、魔力が文字の形になってくれるので目が見えなくても書類を読めるんですよ」
「そんな魔法があるんですね!」
「魔法兵団にいた時に編み出したんです。遠征中は共同生活なので、夜に書類を読むときに明かりをつけると部下たちを起こしてしまいますから。暗闇の中でも読める魔法が必要だと思ったんです」
 
 パトリスは暗闇の中で書類を読むブラッドの姿を頭の中で思い描くと、口元を綻ばせる。部下の安眠のために魔法を編み出すブラッドの優しさに、パトリスは心の中が温かくなるのを感じた。
 
 騎士となり隊長を任され、さらに男爵位を得ても、昔と変わらず思いやりに溢れている。パトリスが愛するブラッドのままでいてくれていることが嬉しくてならない。
 
「これから夕食の準備をしますね。食べられない物はありますか?」
「……空芋の入っている料理は、苦手です……」

 ブラッドは躊躇いがちに答えた。苦手な食べ物を言うことが子どものようで照れくさいのか、頬がやや赤くなっている。
 
 空芋とは、切った断面が青色の一風変わった芋だ。
 栄養満点で体にいいが、非常に苦みが強い。エスメラルダ王国では薄くスライスしてサラダに和えて食べることが一般的だが、薄くしても苦みは変わらない。そのため子どもの大半はこの芋が苦手で、大人も苦手とする人が多い。
 
「まあ、そうでしたか」
 
 パトリスは素直に驚きを口にしてしまった。ブラッドは好き嫌いがないと本人からの申告を聞いていたから、まさか苦手な物を答えるとは思ってもみなかったのだ。
 
(私の記憶では、実家で一緒に昼食をとっていた時は空芋のスライスを食べていたはずだけど……騎士団に入ってから好みが変わったのかもしれないわね。なんでも完璧に見えたブラッドにも、意外と苦手な食べ物があるのね。可愛い) 
 
 好きな人の新しい一面を見ることができて嬉しいパトリスは、上機嫌で部屋を後にした。
 ブラッドはパトリスが扉を閉める音を聞くと、机の上に肘をついて頭を抱える。

「はあ、リズさんはパトリスの声に似ているから……好きな人に嫌いな食べ物を告白しているようで、恥ずかしかったな……」

 ブラッドは昔から空芋が苦手だった。しかし兄弟子としてのプライドから、パトリスには見栄を張り、食べ物の好き嫌いがないと申告していたのだ。
 そのためグランヴィル伯爵家でパトリスとアンブローズと一緒に食事をとる際に空芋が出てくると、平静を装って食べた。正確に言うと、なるべく味を感じないように飲み込んでやり過ごしていた。

 オルブライト侯爵家では空芋が苦手と公言して残しがちだったブラッドが、パトリスの前では全くそのような素振りを見せずに一生懸命食べている。
 アンブローズは、弟子のいじらしい様子を密かに眺めてはニマニマと口元を歪めていたのだった。