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「……ろ……さい……」
夢と現実の狭間。ふわふわの空間。
遠くの方から、ぼんやりと男の人の声が聞こえる。
何を言ってるんだろ。
「……いー。…さいー…」
イーサイ?
e……sin?
…数式?
「……か…ろ………い……」
うーん。理解不能。
でも、これだけは分かる。
アタシ好みの声じゃない。
「……い。……い!」
よし。ダメだ。諦めよう。
「……かーさーいーー!!!」
「ええ?アタシの名前じゃん」
突然、頭上にふってきた、
しゃがれた怒声にビックリ。
見上げると、鬼の形相のせんせーの顔。
さっきまで漂っていた、
ピンクっぽいふわふわの空間は消えちゃって、
一気に、茶色の地味〜な教室の風景へと引き戻された。
「さっきから何回も呼んどるだろ!起きろ!
もーまったく…ただでさえ補習組なのに」
「待って!寝てないよ!
ちょーっと、まどろみの中にいただけ!」
「それを寝てると言ってるんだ!」
いつものクラスメイトよりも、少人数の補習教室で、
控えめな笑いがおきる。
「笠井……いいのか?
みんなと一緒に進級できなくなるぞ」
「え、怖っ。
…ごめんなさーい。ちゃんと起きときまーす」
あーあ。
せっかくのクリスマスイブなのにさ。
補習だし。せんせーに怒られるし。脅されるし。
ため息出ちゃう。
今頃、栞は……
「不安なメンバーだ」とかなんとか言いながらも、
3人で楽しくキャッキャしてんだろーな。
くそー。
これが、ステージに立つ推しを愛した代償か……。
「笠井さんって、面白いよね」
10分休憩に入った直後、
初対面の、他クラスの男の子から話しかけられた。
「どーも」
名前も知らない子だけど、
ふと気になったことがあって、
彼の顔をじっと見てしまった。
「な、なに?」
「いやー…
眼鏡かけてる人も、補習になるんだなって」
「…それ偏見じゃない?眼鏡に対する」
「あはは、ごめんごめん。数学苦手なの?」
「うーん。得意って訳じゃないけど、
今回は風邪でテスト受けられなくて」
「えっ、可哀想」
こういう人も、
補習受けなきゃいけないんだな。
「笠井さんは、苦手なの?数学」
「まあ、苦手は苦手だけど…
補習を受けるほどじゃないよ。いつもは」
「いつもは?」
「うん。
今回は、勉強時間を全て犠牲にして、
推しのライブのために全力を注いだ結果、
こーなった」
「お、推し……?…ふはっ」
男の子が、吹き出して笑った。
そんなに?ってほどウケている。
「…なに?バカにしてる??」
「いや、ちが…!なんか、素直な人だなって」
彼は、涙まで出てきたのか、
目元を拭うために眼鏡をとって………
「…ん!?ちょっ、ちょっと待って!!」
「えっ!?」
眼鏡をかけ直そうとする手を制して、
彼の顔をまじまじと見ると……
「斗真くん!?」
眼鏡を外した彼の顔は、
推しNo.35、舞台俳優の斗真くんに、
驚くほどそっくりだった。
くっ。
校内のイケメンは、全てチェックしたはずなのに。
こんなところに刺客がいたなんて…。
これは[南条高イケメン同好会(非公式)]のメンバーに報告しなくては…!
ウチの高校では、他学年の子の情報が中々入らないから、
この同好会での横のつながりは、かなり重大だ。
「トウマ…?
藤白の下は、蓮…だけど」
「フジシロ……ってどうやって書くの?」
「あ、名字すら知られてなかったんだね、僕。
藤の花の藤に、白色の白だよ」
言いながら、空書きで教えてくれる。
あ、指が長くて、綺麗。
「僕は笠井さんのこと、去年から知ってるのにな」
「…えっ、ウソ!なんで?!」
私が驚いたと同時に
『ガラ』っと扉が開く音がした。
「おーい。休憩時間終わったぞー。席つけー」
もう、せんせーのばかっ!
気になるとこで…!!
眼鏡をつけ直しながら、軽く手を振って、
「またね」と席に戻っていった藤白くん。
なんか…
かっこよかったな。
流星くんとか純くんには無い、
余裕みたいなものもあるし。
…あ、どうしよ。
同好会での横のつながりは命のはずなのに。
報告したくない……。
だって、知られてほしくない。
私だけが知ってていたい………なんて。