——不意に、シトラスのような柑橘系の香りが鼻を掠める。
気づけば体が、あたたかい何かに包まれていた。


一体、何が起こっているんだろう。
わからないけど……すごく落ち着く。

恐怖で冷え固まった体が温められ、
全身に入れてしまっていた力が、緩まった。


「大丈夫ですか?」


この声…


「ま、真澄くん…」


頭をあげると、心配そうな真澄くんが、
正面から私をぎゅうっと抱えてくれていた。


か、顔が近い。


突然近づいた私の顔に驚いた真澄くんは、
ぱっと両手を挙げ、一歩後退った。


「きゅ、急にすんません…!
呼びかけたんですけど、聞こえてへんみたいやったし、震えとったから…その…」


…そうだったのか。
全力で耳を塞いでいたから、気づかなかった。


「い、いや、私こそ……
ってか、私が勝手に行動したから…ごめん。
あれ?流星は……」

「斉藤とは、分岐のとこで二手に分かれたんです。
こっちが行き止まりなんやったら、あっちはもう出口が近いんちゃいますかね」

「そ、そっか…」


「それよか、栞さん怖いんやろし、早よ出ましょ。立てますか?」

真澄くんが手を差し伸べてくれる。

「あは、この前と逆だね。
ちょっとまってね…、いま、すぐ……」


その手をとって、立ちあがろうとした……が。


「あ、あれ?」


うまく力が入らない。


「…………真澄くん。
こ、腰が抜けて……立てなくなっちゃった」

「えっ」


う。ほんと恥ずかしい。
私、年上なのに……。


「……ごめん、先いってて」

「いやいや、なにゆーてるんですか!
ほっとけるわけないでしょ」


くるっと、真澄くんが私に背中を向けた。

「後ろ乗ってください。
…イヤかもしれんけど、今だけ我慢して」

「えっ」

「はよせな、後ろ来てまいますんで」


そう言いながら、真澄くんは、
ぐいっと私の手を引いて、自身の両肩においた。


「持ち上げますから、
しっかりつかまっといてください」

「わっ!」

ふっと、自分の体が持ち上がる。


「ほな進みますけど…
目ぇつぶっとったら、こわないですからね」


…ほんとだ。

いろんな音は聞こえてくるけど、
見なければ怖くない。

真澄くんの体温も、安心をくれる。


「…ありがとう。ごめんね、呆れたでしょ」

「ええ?呆れたりなんかしませんよ」


優しさが、心に染みる。
おかげで、だんだんと怖い気持ちが薄れてきた。


「真澄くん…」

「はい…なんかありましたか?」

「やっぱ、おにーちゃんだね」

「ええ、は、はい。一応…長男っすけど…
…でも栞さんの兄やないですよ」

「えー、なんでそんなこと言うの。傷つくじゃん」

「うっ……でもこれについては譲りません。なんでもです」

珍しく強情だな。
そんなに否定しなくてもいいじゃん。


「…ねえねえ、このシトラスの香りってなに?何か使ってるの?」

「へ?しとらす?
…あー、ボディーシートのにおいかも」

「へえー、いいね、この香り」

「ちょ、あんま、におわんといてくださいね!!」

「あははっ」


「…よかった、もう平気そうスね」


平気…
うーん、平気、なのかなあ…?

なんか、顔があついし、変な汗が出てる気がする。
それに、聞こえる鼓動の音が、すごく早い。私のものだろうか。


今ばかりは、暗くてよかったな。