結局、部屋のことも聞けず、呼び方のことも聞けないまま、夏目の運転する車で出社。
 昨日と同じように次から次へと仕事をしているうちに、あっという間に定時の17時半になってしまった。

「今日は9時45分出社でしたので、18時45分まで働いてもらってもいいですか?」
 時差出勤ということで、と夏目に微笑まれた美沙は「はい」と返事をするしかなかった。
 荷物が西郷CEOのマンションにあるからだ。
 私一人では行くことができないし、入ることもできない。
 それに、なにより自分のマンションに帰りたくない。

「とりあえずコーヒーを淹れましょう」
 豆を挽くところから!
 美沙は夏目に教わりながらコーヒーと格闘した。

「……冷めているな」
「すみません」
 下手ですみません、不慣れですみません。
 コーヒーミルも初めて、ドリップも初めてです!
 普段コーヒーはインスタントですから!
 少し薄いとダメ出しされた美沙は「精進します」と項垂れた。

 パリとのオンラインミーティングを西郷が終えたのは18時30分。
 サラッと何かをメモした西郷はおもむろに立ち上がり、夏目にメモを渡す。
 すぐに何件か電話をした夏目は手で丸を作って西郷に合図した。

「行くぞ」
 帰るぞってこと?
 時計は18時45分。業務終了の時間だ。

 統括室の鍵を閉め、エレベーターで地下の車へ。
 会社の外に翔太の姿が見えた美沙は息が止まるかと思った。
 もし今日も普通に帰っていたら……?

「……ストーカーだな」
 西郷の呆れた声に美沙の肩がビクッと揺れる。
 その姿を見た西郷は「心配するな」と不敵に笑いながら長い足を組んだ。

「……ここって?」
 西郷CEOのマンションに向かっているのだと思っていた美沙は、到着した場所に戸惑った。