バスに揺られてビルがたくさんある地区に入った後、私はくれはちゃんの家にたどり着いた……はずなんだけど。
「でかっ」
 目の前の建物は、私の家なんかくらべ物にならないくらい大きかった。庭には花がこんもり咲いていて、お家はテレビの中でしか見たことのない、ヨーロッパのお屋敷みたい。 たぶん、豪邸ってやつだと思う。
 くれはちゃんは門の前で待っていてくれた。見れば、目の周りが真っ赤になっている。
「真由子! ごめん、いきなり……あれ? 丸井くん?」
「よっ! 幌月くれは! 誘拐事件が起きたそうじゃないか」
 くれはちゃんが、とたんに探るような目つきになる。
「真由子? この前まではスイで、今は丸井くんとデート?」
「ち、ちがうの! 話せば長くなるんだけど……それより、ここってくれはちゃんの家?」
「そうなの。びっくりしたよね」
 くれはちゃんってもしかして、大金持ちのお嬢様なのかな。でも今は、そんなことを考えている場合じゃない。
「いなくなったクーちゃんのこと、詳しく教えてくれる?」
「クーちゃんは、忙しいパパとママがプレゼントしてくれた、ポメラニアンのロボット。ずっといっしょにいたのに」
 完璧クールビューティ・くれはちゃんの弱点が、まさかポメラニアンのロボットだったとは……。
「電話では、クーちゃんが逃げるはずないって言ってたよね?」
「うん、そう設定してるの」
 くれはちゃんは豪邸を見上げた。
「クーちゃんが一匹だけで歩き回れるのは、この門の中まで。外に出るには設定し直すか、私がいっしょに散歩に行く時だけ」
 くれはちゃんはポケットからスマートフォンを取り出した。画面をタップして、ほまれ町の地図を出す。
「クーちゃんは、もしいなくなった時のために、位置情報がスマホでわかるようになってるの。なのに……」
 しばらく画面にくるくると輪っかの表示が出たあと、大きな文字で『現在位置が見つかりません』とでてきた。
 冷静にお話ししていたくれはちゃんが、またしゃくりをあげた。
「これって、誰かがクーちゃんをこっそり連れ出して、こ、壊しちゃったんじゃあ……」
「ロボット破壊事件だ!」
 うう、そうなったらただごとじゃないよ。
「わたし、クーちゃんがいないと、生きていけないっ!」
「まだ決まったわけじゃないよね? 外に出さない設定だけが壊れちゃって、本当の犬みたいに迷子になってるってこともあると思うんだ。やっぱり、ご両親に相談しない? 今どこにいるの?」
 するとくれはちゃんは、人さし指をほまれ町で一番高いビルへむけた。
「あそこ」
「え、あんなでっかいビルで働いてるの!?」
「働いてるんじゃなくて、働かせてるの」
「えっ?」
「幌月コーポレーションって言って、パパが社長で、ママが最高経営責任者」
「へ、へえ……」
 びっくりして顔がひきつりそうになった。
 祝日なのに、家族でランチに行ったあと、ご両親だけすぐに会社に戻って行ってしまった理由がわかった。社長さんっていうのは、休みも関係なく働くものなのかもしれない。
 どうすればいいかわからずなんとなく黙り込んでいると、突然スマホが『ピコーン』と音を立てた。画面を見たくれはちゃんの顔が、パッと明るくなる。
「クーちゃんの位置情報が復活した!」
「うそ!」
 三人でおでこがくっつきそうになりながら、画面に食い入った。クーちゃんの位置を知らせる青い丸が何度か点滅して、だけど一瞬でまた消えた。
「今の、どこ!?」
「ここからちょっとはなれたところにある、丘の上だったな! 公園があって、学校のピクニックとかでよく行く」
 丸井くんの言葉を受けて、くれはちゃんがスマホを両手でぎゅっと握りしめた。
「わたし、探しにいく!」
「ひとりじゃ大変だよ。いっしょに探そう!」
「で、でも」
「くれはちゃんが困ってるのに、このまま放っておいて家に帰るなんてできるわけないよ」
 私が言うと、くれはちゃんがぎゅっとくちびるを噛みしめた。
「ありがとう、真由子」
「なあ! オレもいるぞ! オレも!」
 三人で丘に向かった。
 急いでやってきたせいで汗をかいたけど、太陽が雲に隠れてくれたおかげで丘の上は涼しい。周りにはいくつか木のベンチが置かれていて、ビニールシートでピクニックに来ている人がまばらにいる。
「探してみよう!」
 手分けして、クーちゃんを探した。私は日光浴をしていた人に声をかけてみた。
「あ、あの! ここでポメラニアンを見ませんでしたか? 誘か……迷子なんです!」
「いや、見てないね」
 少し離れたところでは、くれはちゃんがクーちゃんの名前を呼ぶ叫び声がうっすらと聞こえる。丸井くんは高速であちこちを走り回っていた。
 そうしている間にも雲がどんどん空に増えてきて、ピクニックに来ていた人もみんなビニールシートを片付けて帰ろうとしている。
 結局、クーちゃんは見つからなかった。
「クーちゃん、移動しちゃったのかな」
「そうだな。ここに来るまで数十分かかったからな!」
 そのとき、くれはちゃんのポケットからまた『ピコーン』という音がした。スマートフォンを、三人で見つめる。
 今度の青い丸は、ついた瞬間に消えてしまった。
「見逃した……!」
 くれはちゃんはその場にしゃがみこんで、膝を抱えた。
「クーちゃん、どこにるの……?」
 ずっと頑張って力を振り絞っていたけど、くれはちゃんはもう限界に近い。心がぽきっと折れてしまいそうだ。
 どうにかしないと。でも、どうすれば……?
 そのとき私の頭の中で、ぴかっと光る電球みたいに、一つのナゾが浮かんだ。
「ねえ丸井くん、どうして、クーちゃんの位置情報は出たり消えたりするんだろう?」
「たしかに……ッ! オマエ、すごいヒラメキだな!」
 丸井くんが、目玉が飛び出そうなほどまぶたを見開いた。
「クーちゃんが完全に壊れてしまっていたら、位置情報がついたり消えたりするのは、おかしい。今もずっと移動し続けているとしたら、位置情報が消えるのには、壊れている以外の理由があるはずだ」
「理由って?」
「わからん!」
 がっくし。あまりにもまっすぐな声に、私は肩を落とした。
 そうだ! お父さんに聞いてみれば……。
 いやだめだ。今日は偉い人と一日中打ち合わせだって言ってたから、電話に出られるわけがない。
 じゃあ、この疑問に答えてくれるひとは──!
「二人とも、ちょっと待ってて!」
 スマートフォンを取り出して、初めて家に電話した。
『もしもし、石英です』
「スイ!」
 今まで不安だった心に、優しい声にじんわりと入り込んできた。
「私! 真由子です! 助けて!」
『……どうしたんですか』
 声が一気に固い早口になった。
『ケガをしましたか? 無事ですか? 事故ですか? 大丈夫ですか? どこに行けばいいですか? いま助けに行きます』
「あ、ちがうの! 私は大丈夫!」
『無事なんですね?』
「う、うん。ごめん、勘違いさせて」
 私はスイに、今までのことを説明した。
 クーちゃんが消えたこと。位置情報が一瞬復活したこと。丘まで探しに行ったこと。
「それでね、クーちゃんの位置情報は壊れてないのに、クーちゃんの居場所がついたり消えたりするのは、なんでかな? スイならわかるかもって思って電話したの」
『……たとえば、エレベーターのような金属の箱の中だと、スマホなどに届くはずだった電波を金属が吸い取ってしまって、通信そのものができなくなることがあります』
「エレベーター?」
 誘拐された(かもしれない)クーちゃんが、ずっとエレベーターの中に閉じ込められているなんて、ありえるのかな?
 しかも最後にクーちゃんがいたのは丘の上だ。ここにはエレベーターどころか、金属らしいものは何もない。
『だとすると残るは……』
「残るは?」
『水の中です。海水とか、水道水とか、真水以外の色んな成分の入った水だと、たとえちょっとの深さでも端末が水に浸かれば電波が届かなくなります』
 そばにいたくれはちゃんの顔が、サッと青くなった。
「この丘の先にある裏山に、川があるの……」
「川!?」
 私は、小さなクーちゃんが流れの速い川を一生懸命泳いで、沈んだり浮かんだりする場面を思い浮かべた。
 もしかして、位置情報がついたり消えたりしている理由って──!
「クーちゃんが川で溺れているかもしれない!」
「あ、おい! 幌月!」
 くれはちゃんはダッと走りだす。丸井くんがくれはちゃんを捕まえようと手を伸ばしたけど、間に合わなかった。
『真由子さん! 子供たちだけで川に近づくのは危険です。今朝の雨で水位は確実に上がっているでしょうし、これから確実にまた雨が降ります』
 スイの言葉が合図だったかのように、私の鼻の先に雨水が落ちてきた。
「でも、くれはちゃんが走って行っちゃったよ! 放っておいたらクーちゃんを助けようとしてくれはちゃんまで川に溺れちゃうかも!」
『その『くれはちゃん』さんというのは、お友だちのお名前ですね?』
「うん」
『では、今から僕がそちらに行く許可をください。そして合流するまで、絶対にくれはちゃんさんが川へ入らないよう、お友だちを引き止めておいてくれませんか』
 スイの声が、一段低くなった。
『真由子さん、ご命令を』
「お願いスイ、こっちに来て私たちを助けて!」
『承知しました』
 スイとの通話が切れた。
「おい石英、これはちょっとまずいぜ! オレは大人を連れてくるからな!」
 私は丸井くんと別れて、先に行ってしまったくれはちゃんを見失わないよう、必死に追いかけた。