ほまれ超で迎えたゴールデンウィークの初日。今日の朝からずっと降り続けていた雨も午後にはやんで、雲のあいだから太陽がちらちらこっちをのぞき込んでいた。
 今日は、とある人と待ち合わせをしている。私はいきおいよく玄関に出ると、洗濯カゴを持ったスイとぶつかりそうになった。
「ひゃっ」
 足でブレーキを踏んだら、靴下のせいで床をすべった。こ、転ぶ……!
「おっと」
 腕が引っ張られた。ぐいっと体を引き寄せられて、スイとおでこがくっつきそうになる。
 近づいたスイの瞳は、よく見るとうっすら深緑色をしていた。きれい……。
「大丈夫ですか?」
「あ、ご、ごめん」
 気づけばスイがにっこり笑って、私の腕をはなしてくれた。
 ああ、どうしよう……。いやいや、スイは私が転びそうになったから無視できなかっただけ。
「これからおでかけですか? お買い物なら僕もいっしょに……」
「だ、大丈夫! 友だちと会うだけだから、一人で行けるよ」
「そうですか。夕方からまた雨が降るかもしれないので、気をつけて行ってきてくださいね」
 スイの声を背中に受けながら、靴をはく。
「お友だちは、男の子ですか、女の子ですか?」
「……え?」
「人間は思春期になると、異性への関心が強くなるというデータがあります」
 振り返ると、スイは模範的すぎるくらいニコニコしていた。
「ヘブンズモールで服を探していた行動といい、今日の可憐な服装といい、真由子さんはこれからデートに行かれるのかな、と予測しまして。真由子さんは統計的にも魅力的な外見をしていらっしゃいますし、お声がけする男の子もいらっしゃるでしょう?」
「ち、ちがう! ちがうからっ! 行ってきますっ!」
「そうですか、行ってらっしゃい」
 ぜんぜん、ぜーんぜん、ちがうんだから! スイのポンコツ! ……そう言いたいのをこらえて、私は玄関から外へ飛び出した。
 スイってば、ちょっと前までクールだったのに、私と話し合った日から、あんなにおしゃべりになっちゃって。それに、デートって言うなら、ヘブンズモールへスイと一緒に行ったのを、デートって言うんじゃない!
 でも、スイはロボットだから、私が命令すれば逆らえないし、どこにだって付いていく。スイにとって二人でお出かけなんて、特別な意味はないんだ。
 私がスイの持ち主だったら、何か特別な〝喜び〟を感じてくれたかもしれないけど……。
 スイの持ち主は、あくまで伊丹潤博士だ。
 ロボットは持ち主の指示を一番大切にするらしい。私と博士の指示なら、スイは博士の言うことを聞くってことだ。そう考えると、今度は胸がざわざわしはじめた。
 そばにいてスイの悩みを聞いたり、聞いてもらったり、支えたり、支えられたりするのが、私だったら……。
 ──私がスイの持ち主になれたら、いいのにな。
「……ハッ!?」
 これって、よく考えたら……ワガママだ!
 思い出して、真由子! 『ワガママ迷惑、ダメ、ゼッタイ』だよ!

 待ち合わせ場所は学校近くの公園だった。急いで向かってみると、待ち人はもう来ていた。
「遅いぞ! 石英真由子!」
 丸井広人くんだった。実を言うと、私から「会いたい」と丸井くんに連絡していたのだった。
「今日呼び出されたってことは、ようやく、やっと、『イリス暴走事件』の調査に乗り気になってくれたってわけだな!」
「え、ちがうよ」
「な、なんだってーっ!?」
 丸井くんは大げさにのけぞった。
「オレの相棒になるって話じゃないのかっ!?」
「ちがうよ。それにこれ、デートでもないんだからね!」
「え……えっ?」
「わかった!?」
「あ、うん、なんかよくわからないけど、わかった」
 丸井くんに無理やり納得してもらって、私たちはブランコに座った。
「あのね、この前話した時、丸井くんはロボットに詳しそうだなって思って。実は、壊れたロボットを直したいの。だから協力してくれない?」
「ロボットが壊れたんなら、会社や研究所に修理をたのむといいぞ」
「修理で直るようなものじゃないみたい。喜怒哀楽が壊れちゃったんだ」
 私は、スイが笑い以外の表情をできなくなったことを丸井くんに説明した。すると、丸井くんはこらえきれずに笑う。
「喜怒哀楽? オマエ、ヘンなこと言うんだな」
「え? どういう意味?」
「ロボットに心はないからな。きっと、まだどこかが故障したままなんだよ」
「そんなことないよ! だってお父さんが故障を見逃すわけないもん!」
 ブランコから降りて、丸井くんに近づく。丸井くんはのけぞった。
「私、スイを助けたいんだ! スイだって、ちょっとずつ変わってきてるし! ね!」
「お、おう……わかった。そのスイってロボットにすごく熱心なんだな、石英は」
 そう言われたとたん、私は冷たい水を頭からかぶせられた気がした。
 丸井くんの言葉が、すごく、私を非難しているように聞こえたからだ。
 もちろん、スイを好きかきらいかって言ったら、好きだ。でもこれって、誰かを好きになる感情なの? スイはロボットだよ?
 この感情は、やっぱりおかしなものなのかな……? 丸井くんや周りの人に言ったら、バカにされちゃうような、恥ずかしい感情なのかな……。
「よしっ、わかった!」
 丸井くんの声で我に返った。彼はブランコから思い切り立ち上がり、私のことをビシリと指さした。
「交換条件だっ! オレがオマエの悩みに協力する代わりに、オマエはオレの事件調査を手伝え!」
「ええっ!?」
 正直、イリスのことに首を突っ込みたくない。だけど、丸井くんに協力してもらうには、それしかないみたいだ。
「う、うん……わかった。手伝うよ!」
「おおっ……!」
 丸井くんは感激のあまり、両手に拳を作り、思い切り力を込めた。
「デュフフフ……オレが名探偵になる計画が、どんどんふくらんでいくぞ……」
 今の丸井くんは、ふつうに怖いし、怪しすぎる。悪魔の契約に手を出しちゃった気分。
「あ、あの、相棒っていうやつには、ならないからね。協力するだけだから。それに、スイのことも忘れないでね」
「そんなに相棒がイヤなら、チームで探偵事務所を立ち上げるのもいいな。たしかに、欲を言えば、もう一人くらいブレーンが欲しいところだ」
「あ、えっと、そういう意味で言ったんじゃなくて」
「探偵事務所を立ち上げたら、もちろんオレが所長だ。『探偵たちよ、事件だ! 現場へ向かえ!』って。あ、でも現場に出るなら所長は動きにくいポジションだな……」
 丸井くんの妄想が、暴走してる。
 その時、ポケットに入れていたスマートフォンがバイブした。くれはちゃんからの電話だった。私は妄想に花を咲かせている丸井くんから少しはなれて、通話ボタンを押した。
「もしもし、くれはちゃん? どうしたの?」
『……ま、真由子……助けて……』
 立ち止まった。
 電話越しに、鼻をすする声がする。もしかして、泣いてるの?
「どうしたのくれはちゃん!? 何かあったの!?」
『クーちゃんがっ』
「え?」
『クーちゃんが……消えちゃった、いなくなっちゃった……わたし、ど、どうすれば』
 そのあとは、ほとんど何を言っているのか聞き取れなかった。
 くれはちゃんがこんなにくしゃくしゃに泣くところを見るは、初めてだ。 ただごとじゃないよ、これ……。
「くれはちゃん、ゆっくりでいいよ。ちゃんと聞いてるからね」
「事件か!」
 丸井くんが走り寄ってきたので、音声をスピーカーモードにして、くれはちゃんから少しずつ話を聞いてみた。
 クーちゃんっていうのは、くれはちゃんの家で飼っている犬の名前だった。犬種はポメラニアン。くれはちゃんがすごく大切にしている家族の一員だ。
 それが今日の昼ごろ、ご両親とランチに出かけている間に、いなくなっちゃったんだって。
『クーちゃん、ゆ、誘拐されちゃったんだ、きっと』
「ユーカイ!?」
 丸井くんが叫ぶ。
「だ、だって犬だよね? 戸締りをし忘れて、ドアから逃げ出しちゃったとか……」
『ありえない、だ、だってクーちゃん、ロボットなんだもん! 勝手に逃げるわけない!』
「あっ」
 スイの時と同じで、また早とちりしそうになった。忘れそうになるけど、ここはロボットの町だった。
『両親は今日、そのまま仕事に戻っちゃって、誰もいなくて、心細くて……』
 電話のままじゃ、事情を飲み込むにも時間がかかりそうだ。
「ねえ、今からそっちに行っていい? 一緒に探すの手伝うから」
『き、来てくれるの?』
「ご迷惑じゃなかったら……
 くれはちゃんから家の場所と道順を聞きだして、いったん電話を切った。
「オレも行くぞ! 幌月は秀才だから、ブレーンにふさわしい。恩を売ったら探偵チームに入ってくれるかもしれない!」
「下心ありすぎ……!」
 とにかく、人手は多いほうがいい。お父さんに『友だちの家に行ってきます』とメッセージを送って、さっそく自動運転バスに乗り込んだ。