──だけどもちろん、初めからすいすいと調査がうまくいく、なんてこともなく。
 ヘブンズモールを探し回ったけど、清掃員・ノザワさんの姿は影も形もなかった。今日は、清掃用のロボットがゴミ箱からゴミを回収している。
「出鼻をくじかれたね」
 くれはちゃんはタピオカミルクティーを飲みながら、これぽっちも残念そうじゃない声で、言った。
「最初から犯人が捕まっちゃあ面白くないだろ。さっそく次の手だ!」
 丸井くんが高らかに宣言する。え、もう対策を考えているの?
「犯人のノザワは、クーちゃんを誘拐するために、幌月の家の周りのことはよく調べていたと思うんだ」
「つまり、わたしの家の周りをうろついていたってわけね」
「冷静に言うことじゃないよ、くれはちゃん!」
「ずばり、『犯人は現場に戻ってくる』! 幌月の家の周辺に行ってみよう!」
 私たちはカップの底に沈んだタピオカを一生懸命ストローで追ったあと、くれはちゃんの家がある高級住宅街へ移動した。
 みんな、すごいなぁ……。丸井くんは行動力があって、くれはちゃんはどんな時でも冷静だし。
 私は今のところ、何もしていない。迷惑……というか、お荷物になっていないかな。
「真由子さん」
 スイの柔らかい声に、私は顔を上げた。見ると、スイが手を差し出してくれる。
「手分けして周辺を調査することになりましたよ。……少し顔色が暗いですね」
 差し出された手の意味を聞く前に、スイは私の手をつかんで、つないだ。
「あ、ちょ、ちょっと……」
「失礼をゆるしてください。でも、真由子さんがまた危険な目に遭わないように、手をはなさないでいたいのです。それに……」
 耳元に近づかれて、ささやかれた。
「こうすれば、あなたも元気になるかな、と」
 手をつないだだけなのに、酸欠の金魚みたいに口がパクパクして、言葉がつむげなくなる。心臓が跳ねてうるさい。
 周りで誰かが見ていないか、キョロキョロと周囲を確認してしまった。
「ご迷惑でしたか?」
 スイが尋ねた、首を横に振って、うつむく。
「迷惑……じゃない」
 むしろ、すごくふわふわする。うそみたいで、うれしい。ヘブンズモールで初めて二人で出かけた時は、何をしても、文字通りロボットとしてのリアクションしかなかったのに。
 人間にそっくりのロボットと一緒に、手をつないで歩いている。
 今、私たちは周りにどう見えているんだろう。
 スイがロボットだと知ったら、手をつないでいる私たちに、周りはなんて言うだろう。
 でも、バカにだけはされたくない。私たちは、好きな人と手をつないでいるんだって、みんなが勘違いしてくれたらいいな。
 そうか……私、スイのことが──。
 私の気持ちは、もしかしたら、普通じゃなくて、おかしいのかもしれない。この気持ちを伝えたら、スイは迷惑に思うかな。スイだけじゃなくて、お父さんや、持ち主の伊丹博士だって。
 人間じゃなくて、ロボットのことが好きだなんて……誰にも言えない。
「あれ……」
 胸がきゅっと、しめつけられる。
 誰かを好きになるって、こんなに苦しかったっけ。
「──うわああッ!」
 そのときだった。曲がり角の向こうで叫び声がした。低い男の人の声だ。
「こ、こら坊主! 何をする!?」
「オジサン、ノザワだな!?」
「なんで私の名前を……ぎゃあ! 痛い!」
 低い声とは別の声は、丸井くんだ! 私たちは、スイを先頭にして角の向こうがわまで走った。すると……。
「あっ!」
 間違いない、そこにいたのは、ヘブンズモールにいた清掃員のおじさん──野沢さんだった。野沢さんに、丸井広人くんが飛びかかって髪を引っつかんでいる!
「この悪党め! 今度はなにを企んでいるんだ!? おりゃあ!」
「待ってください! 乱暴はだめです」
 スイは強い力で、丸井くんを野沢さんから遠ざけた。
「彼は犯人と決まったわけではありません」
「犯人って、なんのことだい? 失礼だなきみたち!」
「──みんな! 待って!」
 私たちの背後で声がした。振り返ると、息を切らしたくれはちゃんが、スマホを手に持ちながら、こちらに走り寄ってきた。私たちの元までたどり着くと、思い切り叫ぶ。
「その人は、犯人じゃない!」
「ええっ!?」
 私と丸井くんが、声を合わせた。
「今、パパから電話が来てるの! ノザワさんはパパの知り合いだったの!」
 くれはちゃんは走ってきたせいか頬を赤らめながら、通話中のスマホをこちらに見せて、スピーカーモードにした。
『もしもし、こんにちは』
 野太くて、ものすごい美声がスマホから流れた。くれはちゃんのお父さんの声だ。つまり、幌月コーポレーションの、社長さん!
 引っ張られた髪の根元を押さえていた野沢さんが、涙目になりながらスマホに近づいた。
「その声、幌月さんじゃないか!」
『野沢さん、お久しぶりです。イリスの暴走や、娘のペットを誘拐した犯人として、子供たちに疑われているそうじゃないですか』
「なんだかよくわからないけど、私はたまたま散歩をしていただけなんだ! なのにこの少年がいきなりやってきて、私に飛びかかってきて、犯人がどうとかって。幌月さん、たのむよ……身の潔白を証明してくれ!」
「ヘブンズモールでイリスを暴走させて、クーちゃんを川に投げ込んだのはオマエだろっ! 清掃員として自由に入れたし、クーちゃんを投げた川はノザワの私有地だし!」
 電話越しの幌月社長が、スピーカーが割れるくらいの大音量で笑った。
『それできみは野沢さんに飛びかかったと? いささか軽率すぎたね、名探偵』
 丸井くんは怒りなんだか、悔しさんなんだか、顔を真っ赤にした。
「ど、どうしてだよっ!」
『野沢さんはほまれ町の大地主なんですよ。ここらの大人で知らない人はいない。裏山の川のみならず、きみの家、わたしの家、どこもかしこも本当なら野沢さんのご先祖の土地なのだ。きみは野沢さんの持つ土地の上で起きた犯罪はみな、彼なら可能だったと言うつもりかね?』
「うっ……! だけど、あんたと知り合いなら、クーちゃんのことも、野沢は知ってるんだろ! 清掃員としてイリスをいじっても疑われない立場だし、やっぱり怪しいじゃないか」
『よい反対意見だ、我が社の社員に聞かせたい。しかし──野沢さんに、ロボットをクラッキングする技術がないのは、知り合いの私が証明します。したがって、野沢さんにイリスを暴走させる機会はあっても、手段はない』
 ほれぼれするような幌月社長の美声が、丸井くんを完封してしまった。くれはちゃんはすごく申し訳なさそうに、肩を縮こませる。
「ごめん……わたしがもっと早く知ってたらよかったんだけど」
 スイが「はい」と手を挙げた。
「大地主ということは、働かなくても一生困らないお金持ちだということですよね? どうしてヘブンズモールで清掃員をされているのですか?」
「あれはボランティアだよ」野沢さんが答えた。「本当なら清掃なんてロボットが全部やってくれるけど、動かないでいると、体がなまってしまうからね。私から会社にお願いして、清掃の仕事をしているんだ」
 つまり、イリスを暴走させ、クーちゃんを誘拐した犯人がノザワだというのは、完全に丸井くんの早とちりだったわけか。
 みんなでいっせいに、ドッと肩から力が抜けた。
 丸井くんが、ものすごく……ものすごーく不服そうな顔で、頭を下げた。私たちも慌てて頭を下げる
「犯人だと疑って、いきなり飛びかかったりして、すいませんでした」
 幌月社長の存在もあって、野沢さんは、私たちをこれ以上とがめなかった。
『早いうちに電話をして正解だったな』
「ごめんパパ、仕事中なのに、迷惑かけて……」
『いいや? いつも連絡を後回しにしている私が悪かった。寂しい思いをさせていないか心配だったけど、よいお友だちもいるようで、安心した。今度うちに連れてきなさい』
「う、うん」
『ただし、調査はほどほどにすること』
 幌月社長は『では、失礼』と短く言って、通話を切った。
 くれはちゃんの顔を見ると、嬉しそうな、だけど泣きそうな顔をしていた。
「パパは、私のことなんかぜんぜん関心がないと思ってた……こんなこと言われたの、初めて」
 そして、スマホを持つ両手にぎゅっと力を込めた。
 事件は振り出しに戻ってしまったけれど、ほまれ町・事件とお悩み対策室は、くれはちゃんの隠れたモヤモヤを、スッと解決してしまったようだった。