スイの話が終わる。リビングはシンと静まり返って、私は何も言えずにいた。
 思わず、涙が出た。
 となりでソファが軋む音がして、スイが視界に入ってくる。
「やはり、僕の話は人を悲しませるのですね」
「ち、ちがうの。悲しいのはそうなんだけど」
「僕はいつも、人の役に立てなくて、なのにどこが故障しているのかもわからなくて……僕の何が悪いのか」
「何も悪くないよ」
 涙をぬぐって、困り顔のスイの手をにぎって、力を込めた。彼にこんなつらいことがあったなんて、知らなかった。
「スイも悲しかったよね」
「え?」
「お母さんに助けてもらえなくて、いやなことを言われて、悲しかったよね」
 スイはぐっと眉根を寄せて、もし人間だったら、泣いていたかもしれない表情をした。
「そうかもしれません。僕は悲しかったのかも……いいえ、きっと悲しかったんです」
 喜怒哀楽の……哀。スイの、私の手をにぎる力が、ぎゅっと強まった。
「真由子さんといると、忘れていた色々な〝感情〟を思い出します。不思議ですね。あなたは持ち主ではないはずなのに……」
 スイの声は震えていた。
「お弁当を作って、掃除をして……同じ作業でも、あなたが喜んでくれる姿を回路の中で予測するたびに、壊れていたはずの機能を取り戻していくような気がします。僕にとって特別なあなたを……そばでずっと、支えられたら、と」
「うん……」
「僕は以前『あなたのお母様が見つかるといい』と言いました。ですが今は『あなたと一緒にお母様を見つけたい』と思うのです」
 ロボットだからいつもと同じ口調のはずなのに、今のスイの言葉には、なんだかいつもより熱がこもっているような気がした。
「初めて感じるこの思考パターンには、まだ名前がないのです。……真由子さんなら、正しい名前をつけてくださいますか?」
 熱は下がったはずなのに、頬が火照って、のぼせそうだった。
 その名前をもしかしたらもう、私は知っているかもしれない。でも、ちがうかもしれない。だから、スイにはまだ言えなかった。
「だったら、私と……仲直りしてくれる?」
「そんな表情をされて、断れるロボットはいません。仲直りする上で、僕はどうしたらいいですか?」
「自分のことを『役に立たない』とか『いらない』って、言わないと約束してほしいの。私も、ワガママを言わないように、迷惑かけないように、頑張るから」
「承知しました。約束します」
 スイはまっすぐ力を込めて、答えた。
「ありがとうございます。真由子さん」
 やっと、仲直りができた。
 スイが自分のことを話してくれたおかげで、今まですれちがっていた会話のキャッチボールが、うまくできた気がする。
 スイを見ていると、照れくさくて、胸がきゅっとなった。
「僕からも、いいですか?」
 私たちがにぎっていた手をはなすと、スイが言った。
「ワガママを言わないように頑張る、とあなたはおっしゃいましたが、真由子さんなら、迷惑でもワガママでも、なんでも僕に頼って欲しいんです」
「えっ……?」
「真由子さんを支えるためなら、僕はなんでもします」
 スイは、私が迷惑をかけてもいいっていうの……?
「知りたいんです、あなたのことなら、ぜんぶ」
 私の手は、スイの手にもう一度つつまれていた。
「あ、そ、その……」
 さっきも手をにぎりしめていた。なのに今はなぜか、心臓が壊れるくらいにドキドキする。うつむきそうになって、だけど、視線をはずせない。
「他に持ち主がいるのにこんなこと言うのは、ロボットとしていけないとわかっているんですけど、僕、真由子さんが」
「わ、私が?」
「真由子さんが、僕の──」
 その時、スイが口を開いたまま、苦しげに動きを止めた。くちびるを震わせて、何度も、何かを言おうとする。
「僕は……っ」
 まるで、呼吸を無理やり止められて、それでも一生懸命、息を吸おうとしているみたいだった。
「ぼ、僕は……真由子さんの──!」
「スイ……! 大丈夫!?」
 スイは苦しげな顔のまま、するりと手をはなしてしまった。
「……ロボットには、権限がないのか。持ち主を選ぶ権限が……」
 何かをつぶやくと、スイはさっきまでの苦しそうな様子がウソみたいに、穏やかなほほえみを浮かべて、ソファから立ち上がった。
「スイ、なんて言ったの? き、聞こえなかったよ」
「いいえ、何も言いませんでした。……部屋を掃除しますね」
 その時見せたスイの笑顔は、今までで一番まぶしくて、そして……哀しげだった。