クーちゃんを無事に助けたはずなのに、心はずぶ濡れのまま。私たちはひとこともしゃべらずに、丸井くんの呼んだ大人たちを待った。
 家に帰ったあと、お父さんにはこっぴどくしかられた。きっとくれはちゃんも今ごろ、ご両親にしかられていると思う。
 次の日はカゼをひいて寝込んだ。幼稚園の頃も熱や喘息で入院していたけれど、この感覚もずいぶん久しぶりだなあ。
 のどが痛いし、意識がずっとぼんやりする。もう記憶はうっすらとしかないけれど、小さい頃はよく病院のベッドでお母さんが手を握っていてくれた。
 あの時は手のぬくもりがあるだけで、そばに誰かがいてくれることに安心できた。でも、お母さんは私がそう思っている時も、ずっと「どうして健康に生まれてこなかったんだろう」って、泣いていたのかな。
 お母さんを助けられなかった分、スイを助けるってお父さんと決意したのに。なにか私にできると……何か役に立ちたいと思っていたのに。
 何もできなかった。それどころか、壊れたってかまわないのにどうして危険なことをしたんだって、怒られた。
 私は考えが足りなくて、足だけが勝手に動いて、ただただ周りに迷惑をかけてしまう。
「げほっ、げほ」
 胸が苦しい。私、これからどうすればいいの?
 ここ、どこだっけ。私、また病院にいるのかな。
 お母さん、どこ……?
 ぬくもりを探していると、手がそっと暖かい何かに包み込まれた。ぼんやりとした視界の中に、人影がある。
 手を包んでいる暖かさに、ぎゅっと力がこもった。
 お母さん……!
「おかあさん、さびしいよ」
「大丈夫ですか、真由子さん?」
 耳元でやわらかくささやかれた声は、お母さんとはぜんぜんちがう声で。
 まばたきを何回もすると、お母さんだと思っていた人影は……スイだった。
 うそ。私、いつの間に病院にいる夢を見てたの?
 暖かさを感じる手を見下ろすと、そこには両手で包まれたスイの手がある。
「あ……っ」
 風邪をひいたのとはちがう熱を、頬にぶわっと感じた。
「うなされていましたよ」
 手を払う。スイの姿が見えないように寝返りをうった。はずかしくて、顔を見られたくない。
「驚かせてすみません、つらそうだったから……。お薬を持ってきたんです。あと、おかゆも。食べられそうですか?」
「出てって」
 部屋がしんと静まり返る。足音のあと、ゆっくり扉が閉まる音がした。
「……私のばか」
 ありがとうって言うべきだったのに。
 早く、仲直りしなきゃ。じゃないと、時間が経つほどスイと話がしにくくなっちゃう。
 でも、私なんかがどれだけ頑張っても、スイはロボットだから何も感じない。
 今さら仲直りなんて、できっこない。
 とまどいと、申し訳ない気持ちと、怒りとで、頭の中がぐちゃぐちゃだった。

 ゴールデンウィークは風邪のせいで、ほとんど家のベッドの上でつぶれてしまった。だけど最終日には体調もずいぶん楽になったし、くれはちゃんが家までお見舞いに来てくれた。
「真由子、体調は大丈夫?」
「うん。もうすっかりいいよ。クーちゃんはどう?」
「修理を済ませて、今までと同じように家の中にいるよ」
 スイとはケンカになってしまったけれど、クーちゃんを無事に助けられたことだけは本当によかった。
「クーちゃんが誘拐された件は、ちゃんと警察に届けておいたから」
「やっぱり、誰かがクーちゃんを外に連れ出したの?」
「伊丹博士に調べてもらったんだけど、家の敷地を出ないようにする設定は壊れてなかったみたいから、それしかない」
 誘拐犯が今もほまれ町のどこかにいると思うと、くれはちゃんも百パーセント安心はできないだろうな。
「そういえば、どうやってここまで来たの? 私の家の場所がよくわかったね」
「実はパパと一緒に来たの。石英博士とパパは知り合いだから」
「ええ!? うそ!」
「幌月コーポレーションは、ほまれロボット研究所とは何度も取引していて、真由子と待ち合わせたあの家にも、研究所の人を招いて親善パーティを何度かしてるんだ。研究所の人なら約束なしでわたしの家に来ても、お手伝いさんたちがお茶を出すくらいには仲がいいと思うよ」
 知らなかった……。
「な、なんで席が横になった時に言ってくれなかったの?」
「だって、真由子が私の名字を言ってもぜんぜんピンときてないのが、新鮮だったから」
 幌月コーポレーションは、ほまれ町に住んでいれば誰もが知っている大企業の名前らしい。有名人の娘というだけで、くれはちゃんは小学校の時に、誰かから羨ましがられたり、ちょっかいを出されたりしたこともあったらしい。だから私には内緒にしていたのだとか。
 そう言って笑ったくれはちゃんが、椅子からベッドの横に移ってきた。
「ごめんね。危ないことに巻き込んじゃって。真由子危険に巻き込んだと思うと、取り乱した自分が情けなくて」
「ううん。後先考えないで、突っ走っちゃった私がいけないの。私、昔からワガママで人を困らせてばっかり。お母さんだってそれでどこかに消えちゃったし、スイにだって怒られたし」
 この休みのうちに、心の中に閉じ込めていたモヤモヤがまた、ぶわりと私の心を包み込んだ。
 『ワガママ迷惑、ダメ、ゼッタイ』。この町に来るまではそう決めていた。
 それがスイと出会って、心のどこかで何かをいい方向に変えられるって思っていた。だけどそんなもの、私の思い込みだったんだ。
 やっぱり私は、何も行動しないほうが、よかったんじゃないか。ヘブンズモールへ行かなければ、スイを壊すこともなかった。クーちゃんだって、私が余計なことをしなければ……。
 スイの喜怒哀楽を取り戻すことも、やらないほうがいいのかな。
「ただ、他人を困らせたくないって思っているだけなのに、ぜんぜんうまくいかないんだ。勝手に早とちりして、足が動き出しちゃって、気づけばいつも失敗しちゃう。お父さんや、スイや、くれはちゃんに迷惑かけて、こんな私じゃあダメだよね」
「真由子」
 真剣な声が耳元でして、両手をぎゅっと握られた。
「迷惑だなんて、ぜんぜん思っていない。真由子は優しくて、まっすぐで、正直なの。いま気にしてることぜんぶ、真由子のいいところで、わたしの好きなところだよ」
「え……?」
「周りのことをよく見てるし、誰もが思いもしなかった点に気がつくでしょ? クーちゃんの時だって『クーちゃんの位置情報が消えたりついたりするのはなんでだろう』って疑問に気づいたじゃない」
「そうかな?」
 誰だって気づくようなことだと思っていたけれど。
「他人が困っているときにとっさに走れるのだって、みんながみんなできることじゃない。真由子がいっしょにクーちゃんを探すって言ってくれた時はほんとうに嬉しかったし、救われたんだよ」
 くれはちゃんの言葉が、すっと胸に染み込んでくる。目の周りが熱くなった。
「だから、自分を迷惑だとかダメだって言わないで。もちろん危険なことはして欲しくないけど、真由子は真由子のまま、まっすぐでいてほしいな」
 いつもかっこよくて、勉強もできて、美人なくれはちゃん。そんな周りの憧れみたいな人が、私の好きな部分を言ってくれた。
 こんな嬉しいことってある?
「迷惑をかけたのは、むしろわたしのほう。今だって、真由子が危険な目にあったのをわたしのせいにしてよかったのに。今日は絶交覚悟で謝りに来たんだよ」
「そんなことしないよ。だって私たちは友だち……だよね? 友だちになってくれる?」
「わたしたちはもう、とっくに友だちだよ! 迷惑って言葉なんかじゃなくて、つらいことは助け合って、楽しいことは分け合おう?」
 こらえきれずに、目から涙が出てきた。
「ありがとう……うれしい」
 どれだけ迷惑をかけないように頑張っても、今まで友だちだけは、一人も作れなかった。そんな私をくれはちゃんが友だちだと言ってくれた。
 私がやっていることは、無駄なんかじゃない。それを証明できたんだ。
 だったら、私が誰よりも信じればいい。スイには喜怒哀楽があるんだって。心があるんだって。スイと出会えてよかったんだって。
 早くスイに、私の想いを伝えたかった。