『■の先■■■ 関■■■、■■ては■■!』
 文字が擦り切れて読めない古びた看板を通り過ぎ、裏山の中に入った。そのころになると、さっきまでぽつぽつしていた雨が、本格的にしとしとと降り始めていた。
 私はやっとくれはちゃんに追いつき、両肩をつかんだ。
「はなしてっ!」
「くれはちゃん、落ち着いて! これ以上私たちだけで入ったら、危ないよ!」
「でも……!」
「いまスイが来てくれるから、それまで待とう? 二人より三人のほうがいいよ」
「……ごめん、真由子。わたし……」
 くれはちゃんが、その場にへたり込んだ。
「わたしのこと変だと思うよね。犬のロボットひとつでこんなに……人工知能は、人間の思考の道筋をなぞることができても、あいまいな思考はできない。クーちゃんは、生きているわけじゃないし、心なんてない。頭ではわかってるのに……」
「変だなんて、思わないよ」
 ヘブンズモールでの一件があって、私もスイを大切にしたいと思った。だから、ロボットを家族の一員と思う人の気持ちは、痛いほどわかる。
 くれはちゃんはしゃくりをあげた。
「両親が仕事でずっと忙しくて、小さい時はずっと鍵っ子だったの。習い事も多くて、すごくつらくて大変で……誰にも愚痴とか、自分の気持ちを吐き出せなかった。でもクーちゃんがいてくれたおかげで、わたしはここまでやってこれた」
「うん」
「いまもこの裏山のどこかに、クーちゃんがいると思うと……」
 両手で何度も涙を拭くくれはちゃんに、私は寄り添って手をつなぐしことしかできなかった。
 そうして数分なのか、数十分なのか、時間の感覚がわからないままじっと待っていると、ざっ、ざっ、と足音がこっちに向かってきた。
「真由子さん!」
 やってきたスイは、雨がっぱを着ていた。フードの中から透き通った肌ときれいな目が見え隠れしている。
「スイ……!」
 柔らかい笑顔を見たとたん、緊張がふっと解けた。私も泣きそうだった。
「ケガはないですか? そちらのお友だちは……幌月さんとおっしゃるんですね。とにかく、このままだと風邪をひいてしまいます。お二人の分の雨がっぱも持ってきましたから」
 笑ったままの優しい口調とは裏腹に、スイは私の腕を強い力でつかんだ。
「真由子さん、少しいいですか?」
「え?」
 スイに腕を引っ張られ、私たちはくれはちゃんの声が聞こえないくらいに距離を取った。
「このままだと幌月さんは、おそらくずっとクーちゃんを探し続けて、危険な行動を繰り返すと思うのです」
 スイは声をいっそう小さくする。
「クーちゃんは犬のロボットだと聞きました。あれらはあまり耐水性がよくありません。であれば、川に長時間水没していて、壊れている確率のほうが非常に高いと思います」
「で、でも位置情報はちゃんと……」
「位置情報がまだ機能していようと、思考をするAI部分が壊れていることもあるんです。岩場などに打ち上げられて、たまたま位置が知れただけなのかも。そうなったら、クーちゃんを確認しに行った幌月さんがショックを受けると思います」
 スイの言いたいことが、いまいちよくわからない。
「どのみちこの雨です、お二人には先に帰ってもらいます。ここは僕が代わりにクーちゃんの姿を確認しに行き、あとから幌月さんにはこうお知らせするんです。
『クーちゃんは無事だった。だが損傷した箇所があるので、しばらく新太さんに修理をお願いする』……と。 たとえ壊れていても、いなくてもです」
「ウソをつくってこと……?」
「その間にクーちゃんとまったくおなじタイプの新しいロボットを用意するのはどうでしょう? ほまれロボット研究所なら、同じ機能を持った犬のロボットは簡単に用意できますし、それならウソをついたことにはなりません。まったく同じロボットが戻ってくるわけですから」
 私は、スイの言っていることがにわかに信じられなかった。 まばたきを何回もするけど、スイは穏やかな表情で、とてもふざけたことを言っているようには見えない。
「それ、本気で言ってるの?」
「ロボットの僕に本気というものはないですが……。その方法なら誰も傷つかずに済むんじゃないでしょうか。機能は一緒ですし」
「くれはちゃんがいままで一生懸命探してきたのは、〝犬のロボット〟じゃなくて〝クーちゃん〟なんだよ?」
「ですから、機能はまったく同じ……」
「ぜんぜんちがうよ!」
 思わず叫び出しそうになって、口を手で押さえた。
「あのね、スイ。もし私たちがそうやって新しいロボットをクーちゃんだって言ってあげたとして、くれはちゃんは必ずちがいに気づくよ」
「機能が同じなのであれば、理論上それはありえません」
「でもね、わかるの」
「なぜですか?」
「小さい頃から一緒にいて、ずっとクーちゃんを大切にしてきた時間があるんだもん!」
 私たちがひきょうなことをしたと知ったら、くれはちゃんは今よりももっと傷つく。へたをすると、一生!
「では、幌月さんが壊れたクーちゃんを目撃するほうがまだいいと、真由子さんはおっしゃるんですか? どっちにしても新しいロボットを買うことになるんです」
「クーちゃんとお別れする時間を取り上げるなんて、私にはできないよ」
 私だって、お母さんがお別れも言わず突然いなくなって、本当にショックだった。くれはちゃんに同じ気持ちは味わってほしくない。
 スイは首をかしげて、しばらく黙り込んだ。すると、静かだった空間にいきなり『ピコーン』と電子音が鳴り響いた。音がしたのは、くれはちゃんのスマホだ。
 クーちゃんの位置情報が、また復活した!?
 今度こそチャンスを逃すまいと、くれはちゃんは瞬時にスマートフォンを取り出して、画面を見た。
「このすぐ先みたい! 百メートルもないよ!」
 くれはちゃんがスイにスマホの画面を私たちに見せた。
「おねがい、川が危険なのは知ってる。帰ったほうがいいとは思う。でもせめて、クーちゃんの姿を確認だけさせて!」
 スイが私の顔を見つめた。たとえこの先にあるのがどんな結果でも、クーちゃんはクーちゃん。一匹しかいない大切なくれはちゃんの家族だ。私はスイにうなずいた。
「では……確認だけしに行きましょう。もちろん、危なそうならすぐに引き返しますね」