「「え」」
声が重なる。
浴場にいたのは、フィリックス。と、キィルー。
風呂に入って、上がったところ。
つまり身にまとうものなどなにもない状況。
湯気と広い浴場でフィリックスということと、そのフィリックスが全裸だということしかわからない。
いや、それがわかっただけで十分だろうか。
「リョウちゃんーーーー!?」
「ウキキ!?」
「ごめんなさーーーい!」
スパーンと扉を閉めて踵を返し、ダッシュで脱衣場から出る。
どこをどう走ったかよくわからないが、気づくと勝手口から隣のアパートが見える空き地に来ていた。
そこで一気に息を吐き出す。
「ああぁ……! やってしまったぁー!」
「コンコーン」
「ぽんぽこー」
すりすりと左右からおあげとおかきが慰めてくれる。
顔を両手で覆い、しゃがみ込む。
完全に涼のミスだ。
ロッカーの忘れ物確認を怠った。
ちゃんと確認していれば、使用中のロッカーがあることにも、人が浴場にいることにも気づいたはずなのに。
「……で、でも……見てない……し」
肌色はわかった。
けれど肝心なところは多分見てない。
咄嗟だったのでわからなかった。
いや、そんな話ではなくて。
「ちゃんと謝らないと……」
はあ、と溜息を吐き気合いを入れて立ち上がる。
しかし、すぐにしゃがみ込む。
以前ベッドの中に引き摺り込まれた時のことを、どうしても思い出してしまう。
あれは完全に寝ぼけていたフィリックスが悪いのだが、今回は涼が悪い。
ケーキで手を打ってもらったけれど、フィリックスはどうしたら許してくれるだろうか?
(はっ! リグと二人きりにしてみるとか? ……いやいや、私の失敗にリグをつき合わせるのはダメだよね)
さすがに思いとどまるだけの理性は残っている。
それならば直接本人に聞いてみるしかない。
改めて立ち上がり、左右から慰めるように擦り寄るおあげとおかきを撫でて脱衣場に戻った。
「フィ、フィリックスさん、お着替え終わりました……?」
「終わったよ。あ、えっと、今はおれとキィルーしかいないから大丈夫。もしかして忘れ物のチェックかな?」
「い、いえ、お湯を抜きに……」
「そうだったんだ。気にせず行ってきていいよ」
優しい。
いつも通りに接してくれる。
ありがたいけれど、より一層罪悪感に苛まれてしまう。
「あの、さっきは本当にすみませんでした! 私の確認不足です! なにかお詫びさせてください!」
お風呂のお湯を抜き終わり、脱衣場に戻るとキィルーをタオルで拭いていたフィリックスに頭を下げる。
すると嬉しそうな声で「それじゃあキィルーを乾かすの手伝ってくれる!?」と言われた。
え、と顔を上げると、機嫌が悪そうなキィルー。
「ウキウキ!」
「ダメだ、ちゃんとドライヤーで乾かさないと。風邪ひくぞ」
「ウキキキィ!」
「こら! 逃げるな!」
「ウキアーーー!」
「「あ!」」
フィリックスの手からタオルを奪い取り、ロッカーの上に逃げていくキィルー。
さすが猿。
どうやらドライヤーの音が嫌いらしい。
ヤダヤダ、とタオルでわしゃわしゃと洗った毛を拭いている。
しかし、フィリックスの言う通りタオルだけでは不十分だろう。
「もー、いつもああなんだ。風呂も体を洗うのも好きなんだけど、ドライヤーだけは嫌がって……」
「そうなんです――ね」
いつも通り。
だから不意に顔を上げて返事をした。
けれどフィリックスの顔を見たら一気に色々思い出して顔を背けてしまう。
そんな涼に、フィリックスも「あー」と複雑そうな声。
「ご、ごめんね……」
「え」
「いや、あのー……年頃の女の子に見せていいモンじゃないっていうか……」
「いえ! 完全にあれは私が悪かったので! むしろフィリックスさんは被害者なので! わ、私がなにかお詫びをしなきゃ……あ、き、キィルー、お願い! 私にお詫びさせて!」
「ウキィ」
だからこそのキィルーのドライヤー。
ロッカーの上のキィルーに叫ぶが、返事は「やだ!」である。
そこをなんとか、と手を合わせるがプイっとされてしまう。
「キィル〜〜〜」
「ウキキッ」
「コンコーン!」
「ぽんぽこ!」
「「あ」」
困っている涼を見かねておあげとおかきがロッカーの上に飛び上がる。
しかし、素速さではキィルーの方が上。
嫌な予感がした時にはもう遅い。
「わー! おあげ! おかきダメー!」
「や、やめろキィルー落ち着けぇー!」
「ウキキキキー!」
「コンコーン!」
「ぽんぽーこぽーーーん!」
大運動会とでも言えばいいのか。
三匹が脱衣場を駆け回り、ゴミ箱を倒したりロッカーの扉をへこませたり、大変なことになってきた。
涼とフィリックスが慌てて三匹を捕まえようとするが、速すぎてなかなか追いつけない。
「んあぁ!」
「リョウちゃん!」
体重計を蹴り飛ばし、またロッカーに登ったおあげを捕まえようとした時、浴場から出たところのマットに思い切り滑る。
その横には扇風機。
しかも動いている。
がたん、と滑った先の扇風機にぶつかり、動いている扇風機が転んだ涼の上に倒れてきた。
「いっ――!」
「フィリックスさん!」
「ウキ!」
「コ、ココココーン!」
「ぽ、ぽんぽーん!」
右肩の後ろを思い切り嫌な音が掠めていく。
服の上からでも滲む血におかきが慌ててぽこぽこと叩いて治癒を行なった。
すぐに緑色の光が溢れて怪我を治していく。
けれど、やらかしたのは涼だ。
「ああぁ……ほ、本当にごめんなさい……ごめんなさい……っ」
「いや、大丈夫だよ。ちゃんとおかきが治してくれたし」
「でも、でも……私……っ」
最悪すぎる。
うっかり全裸まで見て、怪我までさせて。
今日の自分はとんでもなく失敗しすぎだ。
情けなくて涙が出てきた。
いくら怪我をおかきが治せるといっても、それで怪我をさせた事実がなくなるわけではない。
「キィルーのドライヤーを頼んだのはおれだし」
「でも、その前に私が……!」
「キ、キィ……」
「ううん、私が悪い、全部私が……! ごめんなさい、ごめんなさい……!」
キィルーにまで謝らせてしまった。
本格的に泣き出した涼の額に、フィリックスがふと手を置いた。
「そんなに泣かないでほしい。おれはきみが守れて誇らしいくらいなんだから」
「っ……! そんな……!」
「謝るより、おれは別な言葉がほしいな」
「――」
ハッと顔を上げる。
笑顔で見つめられて、涙を拭う。
「た、助けてくれて……ありがとうございます」
「うん。どういたしまして」
「……な、なにか、お礼を……」
「それじゃあ、明日の朝起こしてくれるかな? 正直起きられる気がしない」
「あ」
涙がぴたりと止まる。
優しい笑顔が困ったような笑顔になっていて、その切実さを察した。
そうしたら、なんだか笑いが込み上げてくる。
「ふ、ふふ……わ、わかりました」
「本当にどうぞよろしくお願いします。リグにはまだ知られたくないし」
「は、はい。内緒にしておきます、ね」
頭まで下げられてしまった。
でも、そのお願いの仕方は違う。
頬に手を当てて、上向かせる。
「気にしないでください。お詫びと、お礼なので」
「……うん」
どこまでも優しくて、守る側の人。
そんな人にこんな形で頼られるのは、正直に嬉しかった。