ノインがミセラの手伝いで留守にする間、ミセラの相棒召喚魔が(リョウ)(ジン)、そしてカーベルトの護衛をやることになった。
 申し訳ない、と断ろうとしたがシドに言われたことを思い出す。
 自分の中に三千人の人間の体と魂が分解され、魔力として収まっている。
 これを守らねばならない。
 そのためならなんでも使う。
 だからありがたく申し出を受け入れたのだが、紹介された時はそれはもう、驚いた。
 
「いかがですか? わからないところはありますか?」
「い、いえ。どれも初めて学ぶところばかりで……それにすごくわかりやすくて助かります」
「私もここまでわからないところはありません」
「では、次に進みますね。送還魔法についてです」
 
 きた!
 (リョウ)がペンを持ち直す。
 ミセラの相棒召喚魔――【神霊国ミスティオード】の天使アラベル。
 丸い眼鏡に紫色の髪をクロワッサンみたいに左右で巻いて結ぶ、十代前半風の女の子。
 知識の天使らしく、とても頭がいい。
 (ジン)と二人、煮詰まっていた召喚魔法についてさらなるお勉強が進む。
 
(頑張って勉強しなきゃ。みんなを元の世界に帰すんだ)
 
 幸い勉強は苦ではない。
 勉強のやり方は得意だ。
 それしか特技らしい特技がないとも言える。
 あまりにもどんどん吸収していくので、アラベルに「リョウさんは教え甲斐がありますね」とニコニコされるほど。
 
「お三方。そろそろ日が暮れるよ。天使のお嬢さんは帰らなくていいのかい?」
「はい。ワタクシ、こちらでこのお二方の護衛を務めさせていたたきます。それがノインさんをミセラがお借りする条件ですので」
「ミセラさんね……しかし、まさかレイオンさんと同じ英雄様がうちに来るとは」
 
 リータももはや乾いた笑い。
 それは本当にそう。
 (リョウ)は詳しくないけれど、英雄アスカの他にも有名な英雄は七人ほどいるらしい。
 そのうちの二人がカーベルトにいるのだから、確率が凄すぎる。
 
「失礼する」
「む?」
「なんだいなんだい! 今日はもう店終まいしてるよ!」
「黙れ! 火急の用事だ! ここにリョウ・カガミという異界の女がいるな!? 出せ!」
 
 突然入ってきたのは警騎士だ。
 もちろんフィリックスたちではない。
 召喚魔法の使えない警騎士たちは制服が違う。
 ズカズカと入り込むが、アラベルが(リョウ)(ジン)、リータの前に立つ。
 
「お黙りなさい! 乱暴な者たちですね。名前と所属を名乗りなさい。ワタクシは王宮召喚魔法師ミセラ・ルオイの専属召喚魔アラベル。火急の用事とはなんのことですの?」
「「え」」
 
 二人、三人、四人とどんどん食堂に入ってくるが、先に入ってきた者がアラベルの前に立ち止まるので後ろがつっかえる。
 相手は王都、王宮召喚魔法師の相棒。
 しかも英雄の、だ。
 最終的に五人の警騎士が食堂の玄関で立ち往生してしまう。
 
「わ、我々はその娘を本部まで連れてくるように仰せつかっておりまして……」
「その理由を聞いているのです。なぜですか?」
「それはその、その娘と誘拐された第三王子を交換すると犯人からの要求があったためです」
「――っ」
 
 (ジン)が立ち上がる。
 (リョウ)の前に立ち、庇うように。
 
「第三王子殿下の件は箝口令が敷かれているはずです。軽率に口に出すなんて、信じられませんね」
「な――そ、それは! それは、あなたが……!」
「だとしても濁しようはいくらでもありましたよね? 人のせいにしてはいけません。そして、その話が本当だとしたならまずは今回の捜索作戦の指揮官であるミセラにまずは相談すべきでしょう。それをなさらないということは、その要求を受け取った方の独断でしょうか?」
「……っう」
 
 驚いた。
 小さな少女の姿の天使が、屈強な大人の男五人を黙らせている。
 
「ミセラに連絡を取り、要求を受け取った方に詳しく聞き取りを行います。その方はどちらにおられますか?」
「ほ、本部に……」
「了解しました。そのように連絡しておきます。あなた方はこの場で待機してください」
「え? な、なぜ……」
「直接ミセラにその話をしていただきますから。他に質問がないようであれば、待機の姿勢で待機してくださいね」
「「「「「はっ!」」」」」
 
 元気のよい返事のあと警騎士たちが後ろに手を組み、肩幅に足を開いて泣きそうな顔のまま直立不動となる。
 リータさんは迷惑そうな表情だが、それを尻目にアラベルは通信端末でミセラと連絡を取った。
 それが終わると(リョウ)を振り返り、にっこりと微笑む。
 
「リョウさんとジンさんは引き続き勉強をいたしましょう」
「え、あの、でも」
「大丈夫ですわ。要求を受け取った者の予想はついておりますの。それに、先程彼らが言ったことは内密にお願いいたしますわ。機密情報ですから」
「わ、わかりました」
「ま、王侯貴族のことなんてアタシらには関係ないからね」
「オレも、誰にも話しません」
「ご協力ありがとうございますわ」
 
 にこり、と微笑まれて乾いた笑いを返す。
 それからだいたい一時間ほどでミセラとベレス、案内役に駆り出されていたミルアとオリーブが帰ってきた。
 ミルアとオリーブのガチガチ具合は若干可哀想なものがある。
 が、そんなものはまだ序の口であった。
 
「あらあらあらあらあら。わたくしではなくて直接交渉を始めてしまいましたの? それはそれは、その方はずいぶんと偉いのですわねぇ。わたくしより偉い方なのかしら? 知りたいですわ〜。教えてくださいますわよね?」
「あ……エ、エジソン・ドールマン署長の指示です!」
 
 あっさりゲロった。
 署長、三秒で売られる。
 
「署長かぁ。どうします? ミセラさん。ボクが決闘申し込んでみます?」
「不要ですわ。引き摺り下ろすなら後釜を用意してからでないと」
 
 売られて二秒後には終了のお知らせが流れているような気がする。
 いくら人がいないと言っても、食堂ですごい話をされていないか?
 
「ですが、その誘拐犯がなぜリョウさんを人質交換の相手に指名したのかがわかりませんわ。リョウさんはなにから心当たりがありまして?」
「えっ!? さ……さあ?」
 
 幼い男児の誘拐であれば、誘拐犯に心当たりがある。
 ――ダロアログだ。
 ダロアログならば(リョウ)を交換条件にするのも理由がわかりやすい。
 当然、応じれば世界が危険にさらされる。
 リグは(リョウ)(リョウ)の中の三千人分の肉体と魂の魔力を「なんでもできる」「できないことが少ない」と評した。
 そんな力をダロアログに渡してろくなことをするはずがない。
 
「もしや、その首輪の黒魔石が目的かもしれません」
「ああ、確かに……王族の命と天秤にかけても不思議ではない逸品ですよね」
「ヒッ」
 
 そう言われてゾッとしてしまう。
 この首輪の黒魔石、確かに貴重なものであるとは聞いているけれど、幼い王子の命と同等に扱われてしまうとは。
 ベレスが目を爛々と輝かせて、であるのならば急いで娘から首輪を外す方法を調べ上げましょう!」と近づいてくる。
 そんなベレスの首根っこを掴み「気持ち悪いですわよ」と制止してくれるミセラ。
 (リョウ)の前に(ジン)とノインが立って、庇ってくれる。
 なんだかいつも人の後ろにいて守られがちになっている気がして、複雑な気持ちになる(リョウ)
 
「けれど、それってつまり誘拐犯はこの黒魔石の使い方がわかる方ということですわよね」
「ユオグレイブの町にいるA級広域指名手配犯の可能性が高まりましたね、ミセラ」
「ええ。ということは、そんなヤツが貴族街に平然と歩き回っている可能性も出てきたということですわね」
「そんな! ありえません!? 貴族街には【機雷国シドレス】の防犯システムが、街中に張り巡らされているのです! 不可能ですよ!」
 
 警騎士の一人が告げると、ミセラは優雅に微笑んだ。
 その笑顔の美しさに、ゾッとする。
 
「ええ。そうですわね。普通は不可能ですわ。どうして可能なのでしょうね? うふふ、困りましたわね。レイオンが戻ってくるまで待っていてもよかったのですが……向こうがその気でしたらこちらも相応の対応をしなければいけませんわ。やっぱりノインくんに手伝っていただこうかしら?」
「なんですか? なんでもやりますよ?」
 
 ワクワクしているノイン。
 話の内容はちっとも楽しそうではないのだが。
 
「そうですわね、では……取引に応じてみましょうか」
「え? え! リョウさんを巻き込むつもりですか!?」
「一網打尽にいたしますわ」
 
 にこり、と微笑むミセラに、その場の全員の背筋が冷えた。
 これはむしろ、敵さんも終了のお知らせでは。
 というか、犯人がダロアログであれば(リョウ)の事情を話しておいた方がいいのでは。
 
「ノインくん」
「え、あ、なに?」
「ミセラさんと二人だけで話したいことがあるんだけど、いいかな? 召喚魔法のことで聞きたいことがあるんだけど、その、ちょっと人に聞かれると恥ずかしいことで……」
「あ――あー、なるほど。わかったよ」
「ん? なんですの? もしかして女の子ならではの相談でございますの? ええ、ええ、わたくしでよろしければいくらでも相談に乗りますわよ!」
 
 ありがたいことにウキウキでつき合ってくださるらしい。
 二階の自室に案内して、アラベルとミセラに首輪のことも含め、リグのこと、召喚された理由、シドの【無銘(むめい)魔双剣(まそうけん)】とダロアログの【無銘(むめい)聖杖(せいじょう)】のこと、二つの“鍵”を用いて開く――(リョウ)という“聖杯”の話をした。
 それを聞いて最初は驚いていたミセラとアラベルは今や、すっかり頭を抱えている。
 
「なるほどですわ。とっても了解ですの」
 
 言ってることと表情が合致しない。
 非常に頭が痛そうだ。
 アラベルがミセラの頭を撫で撫でしているほどに。
 
「それならばやはり戦力は増やした方がいいですわね。確認ですけれど、ハロルドの息子たちは敵ではありませんのね?」
「はい。シドもリグも私を守ってくれます。この子たちも、シドが召喚して私の護衛につけてくれたんですよ」
「コーン!」
「ぽんぽーこ」
「稲荷狐と治化狸(ちばけたぬき)ですわね」
「とても珍しい種ですよね。【鬼仙国シルクアース】の小さな農村地帯に祀られ、信仰されてきた神獣。あらゆる災いから人々を護り、流行病を退けたという伝承がある」
「え。そんな伝承がある子たちなんですか?」
「あら、知りませんでしたか?」
 
 アラベルに聞いた二匹の話は初めて聞く。
 いつも一緒にいるのに、まだ知らないことがあるのだ。
 そういえば、シドにも「稲荷狐は大妖」と言われていたような気がする。
 
「シドはそんなにすごい召喚魔を、私に預けてくれたのですね」
「コンコン!」
「ぽこぽん!」
 
 二匹の頭を撫でる。
 頬にぐりぐりと擦り寄られて、左右からの圧で酸欠になりかけるほど。
 愛が重い。
 
「でしたら使えるものは全部使いましょうか。王子殿下はもちろん、あなたを召喚した者を助けるためにも、あなた自身を守るためにも」
「あの、こんなことお願いして申し訳ないとも思うんですけど……シドのことも、どうか――!」
「五十人以上の警騎士と召喚魔法師を壊滅させたようなヤツ、助けが必要ですの?」
「シドにこれ以上人を殺させたくないんです」
 
 それは、リグの願いでもある。
 シドもまた力を正しく使える人だ。
 そのためには――本人を日向に出した方がいいと思う。
 
「彼らは確かに罪人の子どもかもしれませんが、彼ら自身が悪人なわけではないんです。少なくともシドは、好んで人を傷つける人ではありません。人を殺めたのもリグを守るためだと聞きました。物を盗んだのもリグを食べさせるためだと。正直シドの罪状には情状酌量の余地があると思います」
「ふむ。……そうですわね。実はわたくしもそれについては調べるつもりでしたの」
「え」
 
 意外な答えに顔を上げる。
 彼女が腕につけていた腕輪は、フィリックスたちがつけていた広域指名手配犯を判別する機能のあるもの。
 それに流れてくる内容に、ミセラは最初から違和感を持ったらしい。
 
「シド・エルセイドの罪状に強姦とあるのですが」
「はい! それ、私も不思議に思ってたんです。そんなことするような人じゃないのに」
「いえ、この罪状が彼につけられたのはおよそ十二年前ですの」
「……。んぇ?」
 
 十二年前?
 シドは二十歳のはず。
 十二年前では八つだ。
 
「やってできないことはないのでしょうが、被害人数は八名とありますの。しかも、特定の地域に被害が集中しておりますわ。彼が本当に当時から女性に乱暴するような男なら、それ以降彼が出没した地域で被害が出ていないのは奇妙ですの」
「そ、そうですね?」
「でも、それ以降もその地域は女性への暴行事件が続いておりますの。つまり――」
「え、それって……シドに罪を被せた人がいるってことですか……?」
「おそらく」
 
 ぞわ、と背筋が冷えた。
 八つの子どもに、強姦の罪をなすりつけた者がいる――。
 
「多分貴族か、警騎士ですわ。情けない。本当にこの国は腐ってしまっていますわ。ここから立ち直らせるのは本当に大変ですわね。とはいえ、この国以外も似たり寄ったり。せめて自分の住む国には綺麗になってほしいものですの」
「調べて、もらえますか……?」
「ええ。ハロルド・エルセイドと戦った者として、彼の子どもがそのような人生を送ってきたのには責任を感じますの。レイオンもきっと同じ気持ちだったのでしょう。だからあなたにも協力してほしいんですの」
 
 手を握り締める。
 心強い。
 シドとリグを助ける。
 いや、シドはきっと、そんなこと(リョウ)には望んでいないのだろうけれども。
 それでも――。
 
「はい! なんでもします!」

 そのためにこの世界に残ると決めたのだから。