(この世界に来てもうそろそろ二ヶ月も経つんだな)
 
 (ジン)のストーカー状態だった女性たち四人に絡まれてから数日。
 早いことで、『エーデルラーム』に召喚されて二ヶ月が過ぎた。
 部屋の中に洗濯物を干してから、ヨシ、と気合いを入れる。
 
「みんな忙しそうだし、栗を使った新メニューを考えよう!」
「コンコン?」
「そう。前に言っていたデザートだね」
「ぽんぽーこ?」
「うん、ケーキ。本当はフィリックスさんが持ってきてくれたケーキパーラーカブラギの新作ケーキを、食べた後にしたかったけど……」
 
 フィリックスは相変わらず忙しそうで、最近寮にも戻っていない。
 レイオンもスラムの子どもの件で忙しなく、ノインと(ジン)も稽古と勉強に夢中。
 (リョウ)も勉強は毎日しているけれど、さすがにそろそろ知識が(ジン)追いついてきてしまった。
 独学の限界を感じつつある。
 
「今日は気分転換も兼ねてケーキを焼いてみよう。早く外出禁止が解かれるといいんだけどなぁ」
「コンコン!」
「ぽこぽん!」
「う。わ、わかってるよ? 狙われている自覚は一応、あるし」
 
 左右から釘を刺されて若干居心地が悪い。
 外出禁止になっていても絡まれたばかりなので、なにも言い返せないのがつらいところ。
 部屋の扉にしっかり鍵をかけて、一階の食堂に降りるとリータが「おはよう」と声をかけてきた。
 
「おはようございます、リータさん。あれ? ノインくんと(ジン)くんは……」
「あの子たちなら畑の手入れをやってくれているよ。柵も直してくれたから、新しい野菜の種を蒔こうと思ってね」
「わあ……! なにを作るんですか?」
「やっぱりよく使うジャイモかねぇ。すーぐなくなっちまう。マカルンが来てくれれば、パルテオ村から直接仕入れてもいいんだけど……この間の行方不明事件で向こうもかなりバタバタしてるみたいだし、無理そうなんだよねぇ」
 
 確かに、誘拐されたのはパルテオ村の霊獣、聖獣が中心だ。
 リグがまた誘拐されて塔からいなくなったのも、おそらくちょっとした騒ぎになっているだろう。
 
「リョウも興味があったら畑の端の方を使って、なにか作ってもいいよ。種はあたしが買ってくるからさ」
「え、ええと、そうですね……どうしようかな」
「まあ、今すぐじゃなくても構わないさ。それで、今日はなにをするんだい?」
「あ、キッチンを貸していただけないかと……。ケーキを作ってみようと思うんです」
「まあ! あんたケーキまで作れるのかい!?」
 
 必要なものは揃っているし、多分できると思うのだ。
 それを説明すると瞳をキラキラさせるリータ。
 ケーキはお高いし、食堂を切り盛りするリータには食べる機会がなくて憧れのものらしい。
 
「あ、あの、でも飲食店街に売ってるようなものでは、ないと思いますよ、多分」
「そんなのいいさ! ケーキであることが重要なんだよ!」
「は、はあ」
 
 いきなりハードルが駄々上がりしたような気がする。
 しかし、キッチンを借りられたので腕まくりして手を洗う。
 いざ、と材料を作業用テーブルに並べ始めた時だ。
 
「ごめんくださーい!」
「失礼いたしますわ。リョウさんはご在宅でしょうか?」
「え? あ、は、はい。私です、けど……あれ? ミルアさんとオリーブさん?」
「お! リョウちゃん! 久しぶり! ちょうどよかったよー! 休みの日なのにごめんね! 今ちょっといいかな!?」
「は、はい」
 
 キッチンから入口の方に出ていくと、ミルアとオリーブの他にもう一人――機械兵を連れた男がいた。
 背は低く丸まっており、目元は黒く窪み不健康そう。
 
「この人はベレスというの。後ろの機械兵はベレスの相棒でゼルベレスト。機械兵なんたけど、戦場の衛生兵の役割がある医療従事型の機体なんだって。つまり見た目ほど怖くないよ!」
「は、はあ」
「ミルア、説明が脱線していますわよ。ごめんなさいね、ミルアがポンコツで。ええと、ベレスさんは王都からあなたの首輪について調べに来てくださった研究職の召喚魔法師ですの。かなり前に申請していたのですけれど、ようやく都合がついたそうですわ」
「初めまして。まあ、色々持ち出し許可が必要な機材などもありましてね……許可が下りるまでどうしても時間がかかったんですよ。……で、モノはあなたの首についてるそれですかな?」
「あ、は、はい」
 
 すっかり頭から抜け落ちていた。
 フィリックスに「王都から人を呼ばなければ調べられないだろう」と言われて二ヶ月経つのだから無理もない。
 
「どこか座れるところの方がよいでしょうが……こちらの席をお借りしても? 貴重な機材もありますから、扉は閉めていただいた方がよいでしょうな」
「わかりました」
「本当は人目につかない部屋があればそちらの方がいいのですが……」
 
 確かに、機械兵――ゼルベレストは大きくて頑丈そうな鞄を背負っている。
 持ち出し許可が必要な機材となると、貴重なのだろう。
 しかし、ミルアとオリーブ「ここでいいよね」「ここで大丈夫ですか?」と確認してくる。
 とりあえず食堂のテーブルで行うことにして、窓際の一席に座った。
 テーブルに頑丈そうな鞄が置かれ、中から鏡のような機材が組み立てられる。
 さらに分厚い本を開く。
 装飾品のついた、美術品のような本だ。
 
「では、始めよう。申し訳ないが召喚魔を退けてくれるかな」
「おあげ、おかき、少し離れていてくれる?」
「コンー」
「ぽこぽん」
 
 床に降りてくれる二匹。
 いざ、と向き直るとまずはベレスが綿のついたピンセットでなにやら首元をかさかさとしている。
 視界の下で、なにをしているのかわからない。
 
「どうだ、ゼルベレスト」
『検索結果――該当スル 黒魔石ノ アーティファクト ハ アリマセン。未発見ノ アーティファクト デアル可能性ガ高イデス』
「ふぅむ……だとしたらむしり取ってでも研究所に持ち帰りたいところだが――魔力量は?」
『計測ヲ開始シマス』
 
 鏡を首筋につけられて、鞄の中の計測器が反応を示す。
 あれは魔石の魔力を測定する計測器だったらしい。
 不思議な形だなぁ、と計測器の数値を見ていくと、四桁から五桁……まだ上がっていく。
 
「え? え? あの、魔石ってこんな量の魔力は入ってないんじゃないの?」
「それは普通の魔石の話だ。黒魔石は古の失われた技法で製造され、通常とは比較にならない魔力を保有している。それはたった一つで上位、もしくは伝説……伝承存在すら、召喚可能にする魔力量にもなると言われている」
「ええええっ……そ、そんなすごいものだったの!? リョウちゃんの首についてるやつ!」
「黒魔石のことは召喚魔法師学校で習うはずだがね?」
「え」
「ミルア、あなたはちょっと黙っておいでなさいな」
 
 にこり、と微笑むオリーブに、ミルアは顔を背けて唇を尖らせ口笛を吹くふり。
 吹けてない。
 
『魔力量測定完了。百二十万ヲ越エマシタ。アーティファクト ト 認定シテ差し支エアリマセン』
「つまり未発見のアーティファクトに間違いないと」
『現時点デハナントモ。出自ガ遺跡デアレバ、コノ場デソノヨウニ認定シテモイイカモシレマセンガ』
「ふうむ……ということだが、どうかね?」
「え」
 
 どうかね、と言われても困る。
 ミルアの方を見てもニコ、と笑われるのみ。
 仕方なく最初から事情を話すことにした。
 この世界に召喚されてきてすぐに、ダロアログに取りつけられたこと。
 魔力がなく、首を切り落としてでもダロアログがこの首輪を取り戻そうとしたことなど。
 
「つまり、出自は不明か」
「そうなります、かね」
『ダロアログ・エゼド。A級広域指名手配犯デスネ。場所ハ“甘露ノ森”デスカ。確カニ、アノ ダンジョン ハ、未調査ノ洞窟ガ多数アリマシタ。根城ニシテイテ偶然発見シタノカモシレマセンネ』
「ダロアログ・エゼドか。確かヤツは『聖者の粛清』創設メンバーの一人であったはずだ。ならば黒魔石の価値もわかるか……生捕りにして詳しく聞きたいところだな」
 
 ダロアログが、『聖者の粛清』の創設メンバー。
 それは初めて聞いた。
 そんな男が『聖者の粛清』リーダーの息子であるリグを捕らえて軟禁し、ある意味育てていたというのは、そういう繋がりがあったからなのだろうか。
 仲間の息子だから育てた――と。
 そんな殊勝な人間には到底見えないが。
 
「そんなに小さな石にそれほどの濃度の魔力が入っているなんて、にわかには信じられませんわね」
「だからこそ厳重に管理されなければならないのだ。伝承存在の中には『エーデルラーム』を滅ぼそう、手にしようと画策する魔王や冥王、邪竜などもいる。黒魔石のアーティファクトを用いれば、召喚ができる可能性が高い。我が国には英雄アスカがおられるが、『レンブランズ連合国』と『エレスラ帝国』にはこのレベルの黒魔石が二つあるという。あれがかの国々の切り札。我が国で新たにこうして黒魔石が発見されたのは、国際バランスを崩しかねない」
「「「え」」」
 
 (リョウ)だけでなくミルアとオリーブも驚いて硬直する。
 ちょっと待ってほしい。
 さすがにそれはまずいものすぎないだろうか。
 
(待って待って待って! リグと、多分私も[異界の愛し子]で、世界のバランスを崩しかねない存在っていわれてるのに――その上ここにきてまた新しくそんな要素が出てきちゃった!? む、無理なんですけどー!?)
 
 これ以上どうしたらいいのだろうか。
 フィリックスもまさか本物だとは思っていなかったが、そんな代物だとは。
 カタカタと半泣きで震える(リョウ)に、ベレスはあの分厚い本を開いて近づける。
 
「非常に強い魔力が込められているが……用途は――ふぅむ、この黒魔石は内包している魔力を封印に用いられているようだ。一体なにを封じているのか……普通に考えれば君の魔力だが……」
「っ……!?」
「魔力がないと診断されたのだったな。それほど強力な封印が施されていれば、そりゃあ魔力など一欠片も感知されないだろう。だが、ううむ……不可思議な……なんだ? この封印陣は……うぐぐ……【鬼仙国シルクアース】と、【神林国ハルフレム】……それに、【神霊国ミスティオード】……ありえん……ありえん! 複数の異界の封印魔法を組み込み、【機雷国シドレス】の技術で管理している? なにを封印してあるというのだ……!」
「なんかすごいの?」
「そんな言葉で片づけられんわ!」
 
 ミルアが覗き込むと、ベレスが怒鳴る。
 並べられた言葉を聞くだけでも、すでにありえない代物だというのがうかがえた。
 それを聞いて確信する。
 
(これ、リグが作ったんだな)
 
 と。
 もはや悟りの境地のような気持ちで天井を見上げた。
 
「……無理だ。これほど複雑怪奇なもの、こんな状況で解析することなどできない! せめて首から外してもらわねば!」
 
 ですよねぇ。
 と、首を傾ける(リョウ)
 どうやらあの分厚い装飾品のついた本で、首輪の効果を解析しているらしい。
 残念ながら(リョウ)の首についたまま、時間をかけてじっくり解析することなど不可能。
 頭を掻きむしるベレスに、ミルアがドン引きしている。
 
「こんなアーティファクトは初めて見た。というか、この首輪でなにかを封印していたのだとしたら――それを持ち出しているという状況ではないか。その封印されている“モノ”は大丈夫なのか? 封印が緩んでいるということでは!?」
「え、なんかやばい感じ!?」
「この首輪の効果は“封印”だと言ったろう? 遺跡にあったのだとしたら、この首輪はなにか強力なよからぬモノを封印していたと考えられる。それがないのたぞ!? 大至急『甘露の森』の洞窟をしらみ潰しに探した方がいいかもしれん」
「わ、わかった。本部に戻ったら冒険者協会に依頼を出してもらうわ」
 
 どんどん大ごとになっていく。
 それに、つまり(リョウ)はどうしたらいいのか。
 
「あの、それじゃあこの首輪って……もしかして外れません、か?」
「悔しいが我輩の知識ではゆっくり時間をかけねば調べきれぬ。貴重なアーティファクトを破壊するわけにもいかんし……」
 
 フィリックスの給与十八年分と言っていたからな。
 そりゃダロアログも(リョウ)の首を落として首輪を回収しようとするわけである、
 若干そんなモノと命を天秤にかけられて、命の方が軽く見られた事実に絶望を感じてしまうが。
 
「できれば君ごと王都に来て、少しずつ調査を行えればと思うのだが――どうかね?」
「そ、それはちょっと。私、こちらの民宿食堂で働かせていただいてて、すごくお世話になっているので……」
「うむむ……では、我輩もこちらに部屋を借りてもいいかね? しっかり調べさせてほしい」
「それは……リータさんに聞いてみませんとなんとも」
 
 ちら、とミルアとオリーブを見ると、二人とも表情を顰めている。
 どうやら反対らしい。
 それにまったく気づかないベレス。