彼の前と(リョウ)の後ろに、二人ずつ黒服がランプを持ってつき従う。
 入り組んだり、先程のような隠し扉を数回潜ると階段が見えてきた。
 
「ここで待ってろ」
「お気をつけて」
「来い。上だ」
「は、はい……」
 
 シドに少しだけ雰囲気が似ている。
 けれど、決定的に違う。
 この男は(リョウ)になんの感情もない。
 姿を見れば安堵を感じるシドと、決定的に違った。
 階段を登ると、今度は瓦礫の間にある岩の階段を登る。
 
「おい、届けもんだ」
「あ? ……はぁ」
 
 あまり体力がある方ではないので、階段を登ったあとの坂道はしんどかったが、頂上にシドが座っているのを見てホッとした。
 やはり、姿を見ただけで安心する。
 断崖絶壁になったそこは、『廃の街』の真上。
 その断崖絶壁の縁に座って見下ろしているのだから、さすがの度胸といえるだろう。
 ただ、(リョウ)の顔を見るなり溜息を吐く。
 なんでと言わんばかりの顔だ。
 
「殺さねぇとは思ってたけど、お前に配達されてくるとは思わなかったわ」
「俺もまさかターゲットを間違えて、こっちをとっ捕まえるとは思わなかったわ。――で?」
「っ!?」
 
 肩を抱き寄せられ、顎を掴まれる。
 上向かされると、顔が近い。
 
「テメェの趣味がコレとは思わなかったぜ。なんとなーく黒髪が好みなのは知ってたけどよ」
「はぁー、うっせ。なんでもかんでもそこに繋げんなよ。きっしょ」
「はぁ!? わざわざ連れてきてやっただろうが!?」
「ンなもんテメェのミスだろうが。まあ、手ぇ出さず連れてきたのは褒めてやるわ」
「何様目線だマジテメェ」
 
 立ち上がったシドの尊大な態度に怒鳴るアッシュ。
 今にも殺し合いでも始めそうな空気に、(リョウ)が縮み上がる。
 おあげもおかきも離され、ナイフも取り上げられ、抵抗する術が一つもない。
 元の世界ではそれが普通だったのに、この世界ではそれがこれほどまでに不安になるとは。
 
「まあけど、テメェがどんなふうに抱くのかは興味あるなぁ」
「マジで言ってる? 俺はお前が女抱くとこなんてこれっぽっちも興味ねぇわ。ごめんな?」
「マジムカつくんだよなァ! 俺もねぇよ! 少しは乗れよ挑発の一つや二つによォ!」
「ヤダよ面倒クセェ。すんなよ挑発なんざ、ガキじゃあるめぇし」
 
 はあ、と深く溜息をついたあと、歩み寄ってきたシドに腕を引き寄せられて解放された。
 そのままぽすん、と胸に抱き寄せられる。
 
「――っ!」
 
 近い。どころか。
 そのままマントの中にしまわれてしまう。
 顔が一気に熱くなった。
 見た目よりもずっとガッチリとした腕と胸板の感触。
 これで意識するなというのが無理な話だ。
 
「アッシュ、気をつけろ。罠に食われるのはテメェらかもしれねぇぞ」
「あん? どういうことだ?」
「餌に食いついたのはテメェらかもってことだ。街の周りに人の気配が多い。撒かれた餌は召喚警騎士の女だろう? 依頼主は――」
「ッ! チィ! バカにしてくれるじゃねぇか!?」
「懸賞金一億ラームに目が眩んだんじゃねぇの。この町の貴族は金にがめついらしい」
 
 二人の会話がよくわからない。
 というより、しっかり抱き込まれてそれどころじゃなかった。
 首筋が見える。
 体温が感じられて、声もとても近い。
 
(う、う、う、腕、強い。胸、広い……あったかい……ひ、ひぃっ)
 
 目を閉じても、話し声が遠くに聞こえてどうするのが正解なのかがわからない。
 アッシュは敵意がないけれど、それはシドがいるからだ。
 ――この腕の中がきっと世界で一番、安全だからだ。
 そう思ったら、なんとも言えない気持ちになっていく。
 
「シド、テメェはどうする?」
「状況見てトンズラするわ。相手するだけ面倒クセェ」
「チッ……だなァ。クソつまんねぇ真似してくれやがる。タダで済むと思うなよ」
「面白そうなら手伝ってやるから声かけろよ」
「おー。そん時ゃ声かけるわ。じゃあな」
 
 と、あっさり立ち去るアッシュ。
 姿が見えなくなってから、ようやくシドが(リョウ)を離した。
 白いマントがかかる腕。
 その中にいると、この世界一悪い男がまるで王子様のようにすら見えてきてしまう。
 金髪碧眼の美しい顔立ちが、それに拍車をかける。
 ああ、だからこそ“世界一悪い男”なのかもしれない。
 リグと同じ顔なのに、どうしてこうも違うのか。
  
「あ、う……あ、あ、あの……あ、ありが……」
「手遅れそうだな」
「――え?」
 
 顔を上げたシドが、崖の下を見る。
 フィリックスとミルア、オリーブ、ノインが黒服たちと闘い始めた。
 ガウバスが地面に柱を突き立てて、中の黒服を追い出している。
 合流した彼らが、四ヶ所同時奇襲を始めたのだ。
 
「ど、どういうこと? なにが手遅れなの?」
「アッシュが戻って情報を伝えるのが遅れた。餌に食いついたと思った『赤い靴跡』を、それ自体を餌にして釣り上げようとしているクズどもがいたってことだ」
「え!?」
 
 戦闘が始まった地上を改めて見直すと、『赤い靴跡』と戦うフィリックスたちも巻き添えに召喚魔の攻撃が放たれた。
 さらにフェニックスが応援に向かおうと軌道を変えたところに、超巨大な象が水を吹きかける。
 
「フェニックスが!」
「【神霊国ミスティオード】の水の精霊だ。デカいだけであまり強くはないが、フェニックスとの相性は最悪だな」
 
 フェニックスが行動不能になると、地下通路からゾロゾロと警騎士たちが現れた。
 ものすごい人数が次から次へと地上に駆け出して、瞬く間に四方に分かれていたフィリックスたちと『赤い靴跡』を囲んでいく。
 最初こそ「増援」と思ったが、紛れた召喚警騎士が召喚魔に命じて容赦のない攻撃を浴びせる。
 まるで第七部隊の三人とその相棒は、敵の一部であるかのよう。
 
「なんでフィリックスさんたちまで攻撃するの!?」
「平民の命なんて、奴らにとっては消耗品同然なんだよなぁ」
「そんな! 助けないと!」
「どうやって」
「ど――」
 
 どうやって。
 どうやって?
 はく、と口が開いては、言葉を紡ごうとして失敗する。
 
「……っ」
 
 力のない小娘が、彼らをどうやって助けたらいい?
 目の前が暗くなって、代わりに涙が滲み始めた。
 そんな術、なに一つ持ち合わせていない。
 
(シドに頼む……? そんなの聞いてくれるわけがない。だってフィリックスさんたちとシドは敵同士だし、そんなことしてもお互いの立場は変わらない。フィリックスさんとノインくんがリグを助けようとしてくれてるって説明しても、それでもシドはフィリックスさんたちが捕まえるべき相手)
 
 ミルアとスフレはリグのこともシドの事情も知らないのだ。
 けれど、断られるかもしれないけれど、(リョウ)には縋る以外の選択肢が――ない。
 
(でもこのままじゃ――!)
 
 遠距離攻撃の召喚魔の攻撃を、『赤い靴跡』の黒服たちとともに避けている。
 しかしそれもいつまで持つか。
 今、縋らなければ間に合わなくなる。
 
「どうしたい」
「…………」
 
 見上げる。
 どうしたいか、聞かれると思わなかった。
 助けたいに決まっている。
 でもそれは、()()()()()