その日以降も、どちらかが誘ったわけでもなく私達は一緒に勉強している。

「もしかしてさ、これ苦手?」

「へ?」

「いや、ペン動いてないから」

 この問題を解きはじめて、まだそんなに時間は経っていないはずだ。それなのに彼は私の苦手な部分を言い当ててしまった。

「よく見えてるね」

「そう?」

 私はペンを置いてふっと息をつく。向かい側では青山くんが参考書とにらめっこしている。この風景にも少し慣れてきた気がする。日が経つごとに出てくると思っていた梅雨の空気のような感覚も、出てくることもない。教室にいるよりもここにいる時の方が、ちゃんと自分でいられる気がする。

「よーーし、終わったー。あれ?....まだ解けてないの。教えてあげよっか」

「え、.....いい。これくらい解けるよ.....ていうか待って、近いよ距離」

 青山くんは『そう?』なんて言っていたけど、あんまり仲良くし過ぎるとウワサになってしまうし...先生に距離感がどうのなんて言われるのもめんどくさい。同性同士でも適切な距離感なんて分からないし、だいたい節度ってなんなんだよ。

「ん、できた」

「ここ、間違えてる」

「え、まじで...?」

 驚いている私を見て、青山くんはクスリと笑う。

「雉真さんってそんなことも言うんだな」

「ん?なに」

 私の顔は少し不機嫌に見えていたかもしれない。その顔を見てまた彼は笑う。何がそんなにおかしいんだ。

「いや、雉真さんっていつも大人しくて、ニコニコ笑ってるイメージが強かったからさ。なんていうの?..そんな不機嫌そうな顔っていうの?見た事なくて新鮮でさ」

「うるさい、私だって不機嫌な顔くらいするよ」

 そう言い終えた後で私はハッとする。目の前には笑いを堪えている青山くん。

「雉真って結構ズバズバ物言うタイプなんだ....イメージ変わったわ....」

 そう言いながら声を出さないように笑う彼。こんなに自然に素の自分を出したのは、初めてかもしれない。それが自分にとっていいことなのかは今の私には分からなかった。

「よしよし」

 そう言って私の頭を撫でようとする。やめてよ、誰かに見られたらどうしてくれるんだ。それに私はもう高三だ。ランドセルを背負(しょ)ってる小学生とは違う。

「子供扱いすんな.....やめて。大人の余裕みたいなの出さないで」

 頭の中でたくさん考えたのに、口から出てきた言葉はたったのこれだけだった。大人は苦手だ。物知りな癖して曖昧なことしか言わないし、そもそも何言ってるかわかんないし。青山くんのことは素敵だと思うけど、時々出てくる『大人』の部分を見ると少しだけ身構えてしまう。

「可愛い顔するよな雉真って」

「なに?今度はナンパ?」

 大人はこんなこともするのか。いつの間にか呼び捨てにされてるし。大人ってずるいな...本当に。まるで、いつか読んだ少女漫画とかで見る王子様キャラのようだ。

「可愛いとかは本当に好きな人に使いなよ。本当の私なんて誰も可愛いなんて思わないよ多分」

「そうだな、大分生意気」

 彼はニヤリと笑いながらそんな事を言う。やっぱりさっきのは前言撤回。きっと王子様キャラの前に【いじわる】がついてる。

「何その顔、っていうかどさくさに紛れて呼び捨てにしてるし....」

「なに、嫌なの?生意気な奴にはこれくらいって思ったんだけど?」

 そうニヤリと笑って言う彼はとても楽しそうだ。こっちは全然楽しくない。いつだって同じ位置にいたいのに、青山くんはいつも私の上を行くから。背伸びをしたって到底届かない高さまで。

「ずっと大人の真似してんの、なんかヤダ」

「だって実際に大人だし」

 小さな声だった。きっと周りには聞こえていない。二人にしか聞こえない声でそんな事を言う。それが何故か私をむず痒いような、なんとも言えない気持ちにさせる。

「何、顔赤いけど」

「そんな事ない」

 絶対に気づかれてはいけない。そんな気がしている。