私たちが通う学校は、進学校ではない。スポーツの方が有名な学校だ。

 上空から見ると、扇形をしていて、その中心に校舎が横たわっている。正門から校舎までは、大きくうねった通路がある。わざわざうねりに合わせて歩く生徒などいるはずもなく、誰もが校舎に向かって直進していく。学校とは、こんな所にまで生徒を道通りに誘導したいものなのだろうか思う。

 学校と道路を隔てる金網には、大会で優秀な成績を残した生徒たちの垂れ幕が掛かっている。

 見つめる度に、何を誇りたいんだろうと思う。ただ自校を自慢して、満足するのだろうか。結果は一時の輝きしか放たないのに。グラウンドでは、運動部が短い青春を胸に刻みつけようと、声を掛けあい練習に打ち込んでいる。ふと、この中から卒業してプロを目指す人間は、何人いるのだろうかと思った。

 隆は県大会の常連で、その世界では知られた人間だった。放課後の練習では、遠目から何人かの女子生徒が、いつも憧れの眼差しで視線を送っている。隆はそんな女子生徒、一人一人に笑顔を返して、練習に励んでいる。

 二人が付き合いだしたことは、すぐにその女子生徒達にも知れ渡った。騒ぐわけでもなく、ただ静観している。それが、返って不気味だ。いっそ、智子に言いがかりでもつければいいのにとも思う。

 智子は智子で、素知らぬふりして学校生活を送っていた。

 二人は私に気を遣っているのか、学校ではあまり話さなかった。外では仲良くやっているのだろう。

 学年でもトップクラスの学力を誇る智子は、勉強の相談もよく受けていた。相談に来るクラスメートには、丁寧に自分の勉強法を教えていた。中には、智子の勉強法で飛躍的に成績が伸びた子もいるみたいだ。

 私は智子に勉強を教わろうと思ったことはない。私は中学生まで、勉強もスポーツも人間関係も、そつなくこなしてきた。高校生になって、急に周りが大人に感じるようになってきた。中学校の間は冴えなかった子が、急に大人びて見える。メイクの魔力と分かっていても、そのギャップには驚かされた。

 置いて行かれまいと、私も自分を着飾ってはみたが、心は虚しくなるばかり。入学した頃は仲間と騒いでいたが、いつの頃からか仲間といても孤独を感じるようになっていた。

 次第にその輪から離れていき、周りも見限って誰も声を掛けてくれなくなった。

 孤独にも慣れてくると、一種の武器になることに気付いた。

 孤独でいると、他人を傷付けないし、自分も傷付かない。不思議な魔法のようだ。私は、いつの間にか臆病になっていた。孤独を理由に、周囲のことから逃げている。誰にでも線を引いて、自分の領域を侵されることを恐れているのだ。

 智子と隆にも、幼い頃は心を開いていた。成長する過程で、自分を偽ることを覚えた。嘘をつけば嘘を塗り重ねるしかないように、一度偽ると偽り続けるしかない。二人も変化にはとうに気付いているだろう。それを気付かないふりをして接してくることが、悔しくてしょうがなかった。心を見透かした上で、笑顔で迫ってくる様は、まるで詐欺師のようにも思える。これだけ変わっても、側にいてくれる人間をそのように呼ぶのは、罪だろうか。

 下校時刻になり、校舎の三階から一階まで、猛然と駆け降りた。こんな気持ちを取っ払いたかったからだ。下駄箱まで行き、ローファーを手に取って乱雑に地面に落とす。結局、その程度では何も変わらなかった。

 外に出て校門の前で立ち尽くしていると、自転車にまたがった隆が、不意に声をかけてきた。

「芹奈、そんなところで何突っ立ってんだ?」

「何でもいいでしょ。私の勝手」と愛想なく答えた。

「一緒に帰ろうぜ」

 隆は白い歯をこぼして答えた。

「……いいけど、どうせ暇だし」

 校門を出ると、退屈な梅雨を追い越そうとして、夏の雲が姿を現していた。耳を澄ませば、蝉の鳴き声が今にも聞こえてきそうだ。

 思わず心が高鳴る。隆を見つめると、同じような笑顔を浮かべていた。

 隆と二人きりで帰るのはいつぶりだろう。気付けばいつも三人でいる関係だから、誰か一人が欠けていることはあまりない。いや、今は二人が付き合っているのだから、私は必然的に独りだ。

「後ろ乗るか?」

「いやよ。はずかしい」

「いいから乗れよ」

 背中越しに隆は言った。

「わかったわよ」

 そう言って、私は自転車にまたがった。手の置き場に困って、仕方なくシャツの後ろの膨らんだ部分を軽く掴んだ。

「久しぶりだな。このツーショット」

「そうね。久しぶり」

 二人になると会話はあまりないが、それが心地よかった。

「最近、どうだ? 学校は楽しいか?」

 隆は少しだけ振り向いて、話しかけてきた。

「別に。なんとなく過ごしてるだけ。あんたはどうなの?」と隆とは逆を向いて答える。

「俺は、ひたすら走ってるよ。走ること以外、することないからな。大学に行っても社会人になっても陸上は続けるつもり。オリンピックが目標だからな」

 周りの景色を、ぐんぐん追い抜いていく。私は一人で自転車に乗っていても、こんなスピードで走れないかもしれない。いつも私の後をついてきて、一緒に走っても、私がいつも勝っていた。いつの間にか、隆は私より速く走れるようになっていた。

「あいかわらずね。でも、あんただったら、叶えられるかもね。あんたから走ることを取ったら、何も残らないから。正直、あんたや智子が羨ましいときもあるわ。馬鹿みたいに真っ直ぐで、人を疑うことを知らないような顔して」

 隆の背中に、おでこを少し預けた。隆の匂いがする。昔の匂いとは違うけど。男の人の匂いだ。でも、嫌いじゃない。なんか、落ち着く。隆は振り向かないで、ペダルを力強く踏み込んだまま。

 ふと、隆が、

「俺だって、疑うことぐらいあるさ。きっと、智子だって……」

「そうなの? あんた達は、変わらないでいいよ」

「どうしたんだよ、急に。俺はお前のことが心配だよ」

「何なの。突然。あんたにそんなこと言われたくないわ」

心の中では、智子の顔が浮かんでいた。

「だって、お前変わっただろう。昔はあんなに仲間もいたのに」

「あんたには関係ないでしょ。私はもう、昔の私じゃないの」

 生温い風が、髪の毛を湿らす。

「智子と俺には何でも相談してくれよ」と訴えかけるような目で隆は言った。

「智子と俺ねえ……。あんた達、付き合ってるんでしょ?」

「……知ってたのか」

 隆の目が泳いでいる。

「当たり前でしょ。学年中の噂よ」

「そっか」と隆は堪忍したかのように呟いた。

「お前には知られたくなかったけどな……」とさらに小さな声で呟いた。

 そこで会話が途切れて、二人を隔てる分かれ道までお互い無言だった。隆は最後に「じゃあな」とだけ言って、夕日に向かって自転車を漕ぎ出した。