【新世界より】
「リラクス、音楽つけて」
――はい、ユウマさんのミューッジックライブラリをシャッフル再生します。
「リラクス、部屋を明るくして」
――はい、部屋の照明を、最大レベルにします。
「いやあ、便利になったなあ……」
明るくなった自分の部屋で、ベッドの端に腰かけて、好みの音楽を楽しみながらつくづく思う。
スマートスピーカー『リラクス』を買ってから、ユウマの生活は一変した。
スマートスピーカーとは、声で指示を出せば、日常生活の細かなことを人間の代わりに対応してくれる最新家電だ。
ユウマのクラスメイトに、このスマートスピーカーをいち早く手に入れたヤツがいて、毎日のように自慢話を聞いていたので、ユウマもずっと欲しいと思っていたのだ。この間の定期試験で理科が満点だったので、それをネタに両親に交渉してついに買ってもらった。
今みたいにスピーカーから音楽を流すことはもちろん、エアコンの温度設定を変えたり、部屋の照明のオンオフ、窓の開け閉め、さらには散らかった部屋の片付けまで、座ったまま「リラクス、お願い」とひとこと言うだけで、全ての欲求を満たしてくれるのだ。
リラクスを買ったばかりの頃に、冗談のつもりで「カツ丼が食べたいなあ」と言ったら、自動で近所の定食屋さんにカツ丼の出前を頼んでいた。
その時は何も知らないユウマの母さんがお店の間違いだと思って追い返そうとしてしまい、事情が分かった後にめちゃくちゃ怒られたという苦い記憶つきだ。
そのときに、リラクスの前で食べたいものを言葉にするのには慎重にしないとな、とキモに命じた。
「リラクス、テレビをつけて」
――はい、ユウマさんの好きなバラエティ番組の中から、視聴率が上位のものを選択しました。
リラクスの返事とほぼ同時に、かべ際のテレビの電源が入った。
ユウマの好きなお笑い芸人がパーソナリティーをしているバラエティ番組が再生されている。
「スピーカーひとつでこんなになんでも出来るなんて。まるで新世界だよなあ」
もうこれ、人間は何もしないでただ遊んでればいい時代が来たんじゃない? なんて、夢心地なことを考えていたユウマだったが、それどころじゃないことに気がついた。
明日までの宿題を、何もやっていない。
英語の教科書本文を明日までに訳してきなさい、と言われていたのだ。
ユウマは全ての科目の中で、英語が苦手だ。日本で生まれて、日本から出るつもりは毛頭ないのに、なんで余分な言葉まで勉強させられるのか、意味がわからない。
「めんどくさいなあ……」
その時、ユウマの頭にふとひらめくものがあった。
「リラクス、幽星社の英語テキスト『マイウェイ』の、三十五ページを全部訳して」
――はい、該当ページの日本語訳を読み上げます。
――『トムは皆からなまけ者と思われています。他の人が一生懸命に勉強している間も、協力して仕事をしている間も、いつも寝ているからです。しかし彼の祖父だけは、彼のことを信じていました……』
「うおお! この方法ならどんな課題も楽勝じゃん!」
リラクスのおかげで宿題は簡単に終わりそうだ。
ユウマは読み上げられた日本語訳をそのままノートに書き写して、残りの時間はゲームをして過ごした。
***
ベッドに寝っ転がったまま、ひと声かければ何でも叶う環境というのは、よっぽど強い意志がなければ欲望にあらがう意志を弱くしてしまうらしい。
スマートスピーカーの性能に驚いていたあの頃からさほど経っていないというのに、ユウマの部屋の中は、あっという間に物で溢れかえっていた。
最新のゲーム、コンビニ限定のスナック菓子、SNSでバズっていたオシャレなインテリア……ユウマが「あれ良いな」とか「欲しいな」とか言うと、リラクスが注文から配達まで全て手配してくれる。
部屋にゴキブリが出た時だって、とっさに「何とかして!」と叫んだとたんに、ゴキブリの姿が煙のように消えた。
説明書もろくに読んでなかったから知らなかったけど、リラクスには高出力のレーザー光線が備わっているらしい。
注文した商品の受け取りも、前までは母さんに見つからないように顔色をうかがいながらやっていたけれど、家の前に宅配ボックスを設置したことで何も気にせず荷物を受け取れるようになった。
今日は、この前注文したミラーボールが届いた。
ユウマは大きな段ボール箱を抱えたまま、足で床に散らばったものを何とかどかし、部屋の真ん中にできた隙間にそれをどしんと置いた。
自分の部屋の天井でミラーボールがピカピカ光るところを想像しただけで、面白すぎて口元がニヤけてしまう。
リラクスのある生活が快適過ぎて、ユウマは学校以外はほとんど自分の部屋で過ごすようになっていた。
友達とはオンラインゲームで通話したりもするし、ひとりぼっちになったわけじゃない。
だけど、何だか、最近退屈なのだ。
やりたいゲームも人気のテレビ番組も、楽しいことは楽しいけれど「きたきた! 待ってました!」みたいな興奮がない。
だから、今までだったら考えもしなかったようなことをやってみようかな、と思ったわけだ。
そこで思いついたのがミラーボールだ。部屋をパーティー会場みたいにかざったら、頭の中もハッピーになって楽しくなるかな、って。
苦戦しつつもミラーボールを天井に設置して、スイッチを入れる。するとたくさんの光の粒が、ユウマの部屋の中を飛び回った。
「うおー! おもしれー!」
……と最初は思ったけど。
「……まあ、よく考えたら想像通りだったな」
やっぱりつまらない。
何か面白いことないかな、とミラーボールで部屋中をピカピカさせたまま、ベッドに寝転がった瞬間、部屋のドアがバン! と開いた。
「ちょっとユウマ! これはどういうことなの?!」
「うわっ、母さん。いきなり入ってくるなよ、びっくりするだろ」
そこには、怒りで顔を真っ赤にさせた母さんが仁王立ちしていた。
「びっくりしたのはこっちの方よ! アンタいつの間にこんなにいっぱい買い物したの?! 請求がすごいことになってるの!」
「えー、請求……?」
買い物をすればお金がかかる。
当たり前の事なのに、ハイテクなスマートスピーカーに夢中になるあまり、そんなことすっかり頭から抜け落ちていた。
「それにアンタ、全然勉強してないでしょう! 学校から電話があったわよ。『宿題の答えを丸写しして提出していませんか』って」
「そ、そんなこと……」
「もう母さん怒りましたからね。これ以上好き勝手やるならリラクスは没収! 誕生日に新しいスマホを契約する約束も白紙にします!」
「ちょ、ちょっと待ってよ。それは困るよ」
「困ると思うなら勉強しなさい! あとしばらくはリラクスの買い物機能を停止するからね!」
「そんなあ……」
母さんは怒りがおさまらない様子で、どしどしと大きな足音を立ててリビングへ戻って行った。
まるで、台風が過ぎ去った後みたいな気持ちだ。
「どうしよう……」
勉強……か。
確かに最近リラクスで楽をしてばかりで勉強はサボり続けていたから、ユウマとしても、言い訳するにも苦しくなってきた実感はある。
「今回くらいはちょっと勉強するか……」
ユウマは久しぶりに勉強机に向かい、ノートを広げる。そして問題集を解こうとして……そこでようやく、つきっぱなしのテレビ、大音量の音楽、天井で回り続けるミラーボールが気になり始めた。
五感全部に割り込みをされているようで、イライラする。
「リラクス、気が散るから全部消して」
――はい、全部消します。
買い物機能を失ったリラクスは、それでも素直にユウマに返事をして……
……そして、ユウマは何も感じなくなった。
***
【真宵の解説編】
最後の一文、一体どういうことなんだろう? と思いましたか?
ここまでいくつものお話を聞いてきたあなたなら、すぐに「あやしい」と感じたかもしれませんね。
ユウマさんが買ったスマートスピーカーはとても優秀な製品のようです。
なにせ、ユウマさんが「カツ丼食べたい」と言っただけで出前の手配まで完了してしまうのですから。
そんな優秀なリラクスに、ユウマさんは「全部消して」と言いました。
……本当は、ユウマさんはリラクスに正しく伝えるべきだったのです。
消して欲しいのは、音楽や、テレビなどの勉強のジャマになるものだけであると。
リラクスはユウマさんの指示をかんちがいしてしまったのです。
リラクスは『全部』消してしまいました。
音や、光や、ユウマさんの持つ感覚の全てを。
「リラクス、音楽つけて」
――はい、ユウマさんのミューッジックライブラリをシャッフル再生します。
「リラクス、部屋を明るくして」
――はい、部屋の照明を、最大レベルにします。
「いやあ、便利になったなあ……」
明るくなった自分の部屋で、ベッドの端に腰かけて、好みの音楽を楽しみながらつくづく思う。
スマートスピーカー『リラクス』を買ってから、ユウマの生活は一変した。
スマートスピーカーとは、声で指示を出せば、日常生活の細かなことを人間の代わりに対応してくれる最新家電だ。
ユウマのクラスメイトに、このスマートスピーカーをいち早く手に入れたヤツがいて、毎日のように自慢話を聞いていたので、ユウマもずっと欲しいと思っていたのだ。この間の定期試験で理科が満点だったので、それをネタに両親に交渉してついに買ってもらった。
今みたいにスピーカーから音楽を流すことはもちろん、エアコンの温度設定を変えたり、部屋の照明のオンオフ、窓の開け閉め、さらには散らかった部屋の片付けまで、座ったまま「リラクス、お願い」とひとこと言うだけで、全ての欲求を満たしてくれるのだ。
リラクスを買ったばかりの頃に、冗談のつもりで「カツ丼が食べたいなあ」と言ったら、自動で近所の定食屋さんにカツ丼の出前を頼んでいた。
その時は何も知らないユウマの母さんがお店の間違いだと思って追い返そうとしてしまい、事情が分かった後にめちゃくちゃ怒られたという苦い記憶つきだ。
そのときに、リラクスの前で食べたいものを言葉にするのには慎重にしないとな、とキモに命じた。
「リラクス、テレビをつけて」
――はい、ユウマさんの好きなバラエティ番組の中から、視聴率が上位のものを選択しました。
リラクスの返事とほぼ同時に、かべ際のテレビの電源が入った。
ユウマの好きなお笑い芸人がパーソナリティーをしているバラエティ番組が再生されている。
「スピーカーひとつでこんなになんでも出来るなんて。まるで新世界だよなあ」
もうこれ、人間は何もしないでただ遊んでればいい時代が来たんじゃない? なんて、夢心地なことを考えていたユウマだったが、それどころじゃないことに気がついた。
明日までの宿題を、何もやっていない。
英語の教科書本文を明日までに訳してきなさい、と言われていたのだ。
ユウマは全ての科目の中で、英語が苦手だ。日本で生まれて、日本から出るつもりは毛頭ないのに、なんで余分な言葉まで勉強させられるのか、意味がわからない。
「めんどくさいなあ……」
その時、ユウマの頭にふとひらめくものがあった。
「リラクス、幽星社の英語テキスト『マイウェイ』の、三十五ページを全部訳して」
――はい、該当ページの日本語訳を読み上げます。
――『トムは皆からなまけ者と思われています。他の人が一生懸命に勉強している間も、協力して仕事をしている間も、いつも寝ているからです。しかし彼の祖父だけは、彼のことを信じていました……』
「うおお! この方法ならどんな課題も楽勝じゃん!」
リラクスのおかげで宿題は簡単に終わりそうだ。
ユウマは読み上げられた日本語訳をそのままノートに書き写して、残りの時間はゲームをして過ごした。
***
ベッドに寝っ転がったまま、ひと声かければ何でも叶う環境というのは、よっぽど強い意志がなければ欲望にあらがう意志を弱くしてしまうらしい。
スマートスピーカーの性能に驚いていたあの頃からさほど経っていないというのに、ユウマの部屋の中は、あっという間に物で溢れかえっていた。
最新のゲーム、コンビニ限定のスナック菓子、SNSでバズっていたオシャレなインテリア……ユウマが「あれ良いな」とか「欲しいな」とか言うと、リラクスが注文から配達まで全て手配してくれる。
部屋にゴキブリが出た時だって、とっさに「何とかして!」と叫んだとたんに、ゴキブリの姿が煙のように消えた。
説明書もろくに読んでなかったから知らなかったけど、リラクスには高出力のレーザー光線が備わっているらしい。
注文した商品の受け取りも、前までは母さんに見つからないように顔色をうかがいながらやっていたけれど、家の前に宅配ボックスを設置したことで何も気にせず荷物を受け取れるようになった。
今日は、この前注文したミラーボールが届いた。
ユウマは大きな段ボール箱を抱えたまま、足で床に散らばったものを何とかどかし、部屋の真ん中にできた隙間にそれをどしんと置いた。
自分の部屋の天井でミラーボールがピカピカ光るところを想像しただけで、面白すぎて口元がニヤけてしまう。
リラクスのある生活が快適過ぎて、ユウマは学校以外はほとんど自分の部屋で過ごすようになっていた。
友達とはオンラインゲームで通話したりもするし、ひとりぼっちになったわけじゃない。
だけど、何だか、最近退屈なのだ。
やりたいゲームも人気のテレビ番組も、楽しいことは楽しいけれど「きたきた! 待ってました!」みたいな興奮がない。
だから、今までだったら考えもしなかったようなことをやってみようかな、と思ったわけだ。
そこで思いついたのがミラーボールだ。部屋をパーティー会場みたいにかざったら、頭の中もハッピーになって楽しくなるかな、って。
苦戦しつつもミラーボールを天井に設置して、スイッチを入れる。するとたくさんの光の粒が、ユウマの部屋の中を飛び回った。
「うおー! おもしれー!」
……と最初は思ったけど。
「……まあ、よく考えたら想像通りだったな」
やっぱりつまらない。
何か面白いことないかな、とミラーボールで部屋中をピカピカさせたまま、ベッドに寝転がった瞬間、部屋のドアがバン! と開いた。
「ちょっとユウマ! これはどういうことなの?!」
「うわっ、母さん。いきなり入ってくるなよ、びっくりするだろ」
そこには、怒りで顔を真っ赤にさせた母さんが仁王立ちしていた。
「びっくりしたのはこっちの方よ! アンタいつの間にこんなにいっぱい買い物したの?! 請求がすごいことになってるの!」
「えー、請求……?」
買い物をすればお金がかかる。
当たり前の事なのに、ハイテクなスマートスピーカーに夢中になるあまり、そんなことすっかり頭から抜け落ちていた。
「それにアンタ、全然勉強してないでしょう! 学校から電話があったわよ。『宿題の答えを丸写しして提出していませんか』って」
「そ、そんなこと……」
「もう母さん怒りましたからね。これ以上好き勝手やるならリラクスは没収! 誕生日に新しいスマホを契約する約束も白紙にします!」
「ちょ、ちょっと待ってよ。それは困るよ」
「困ると思うなら勉強しなさい! あとしばらくはリラクスの買い物機能を停止するからね!」
「そんなあ……」
母さんは怒りがおさまらない様子で、どしどしと大きな足音を立ててリビングへ戻って行った。
まるで、台風が過ぎ去った後みたいな気持ちだ。
「どうしよう……」
勉強……か。
確かに最近リラクスで楽をしてばかりで勉強はサボり続けていたから、ユウマとしても、言い訳するにも苦しくなってきた実感はある。
「今回くらいはちょっと勉強するか……」
ユウマは久しぶりに勉強机に向かい、ノートを広げる。そして問題集を解こうとして……そこでようやく、つきっぱなしのテレビ、大音量の音楽、天井で回り続けるミラーボールが気になり始めた。
五感全部に割り込みをされているようで、イライラする。
「リラクス、気が散るから全部消して」
――はい、全部消します。
買い物機能を失ったリラクスは、それでも素直にユウマに返事をして……
……そして、ユウマは何も感じなくなった。
***
【真宵の解説編】
最後の一文、一体どういうことなんだろう? と思いましたか?
ここまでいくつものお話を聞いてきたあなたなら、すぐに「あやしい」と感じたかもしれませんね。
ユウマさんが買ったスマートスピーカーはとても優秀な製品のようです。
なにせ、ユウマさんが「カツ丼食べたい」と言っただけで出前の手配まで完了してしまうのですから。
そんな優秀なリラクスに、ユウマさんは「全部消して」と言いました。
……本当は、ユウマさんはリラクスに正しく伝えるべきだったのです。
消して欲しいのは、音楽や、テレビなどの勉強のジャマになるものだけであると。
リラクスはユウマさんの指示をかんちがいしてしまったのです。
リラクスは『全部』消してしまいました。
音や、光や、ユウマさんの持つ感覚の全てを。