【幻想】
 修学旅行先が今年から美術館になる、と発表になった時、ヒナタたち六年一組のクラスでは大きなブーイングが起こった。

「去年までは大阪のテーマパークだったんだろ?!」
「なんで今年は美術館なんだよ」
「絶対つまんねえじゃん」

 口々に文句を言うヒナタ達を前にしても、担任の遠藤先生は困ったように頭をポリポリかきながら、のんびりした口調をつらぬく。
「でも、もう決まったことだからなあ……。それに、美術館って言っても、みんなが行くのは今年オープンしたばかりの新感覚テクノロジーなんかを使ってかなり面白いところらしい。きっと楽しめるさ」
「ほんとかよー」
 
 半信半疑のヒナタたちだったが、まさかあんな経験をすることになるとは、その時は誰も想像していなかった。

 ***

 新感覚美術館『ファンタジー・ディスカバリー』は、バスに乗って自然のままの木々がしげる山道をずっと進んだ先にあった。
 事前に目を通したパンフレットによると、ファンタジー・ディスカバリーは人感センサーを使ったアトラクションやプロジェクションマッピングなど、デジタル技術をふんだんに使用した体験型アート施設らしい。
 学校の中にたくさん教室が並んでいるみたいに、広い美術館の敷地の中にいくつもの小部屋があって、その中にそれぞれ違ったテーマをモチーフにした体験型アートが用意されているらしい。出発前に、遠藤先生が「そういうタイプのアート作品を『インスタレーション』というんだ」と教えてくれた。

 施設内では班行動をすることになっていたけれど、班は好きなメンバーで組むことができたので、ヒナタはいつも行動を共にしているコウキとカンちゃんの三人でインスタレーションを回ることにした。

 出発前は文句ばかりだったヒナタ達だったが、いざインスタレーションを回り始めると案外楽しいものが多く、いつのまにか夢中になっていた。

 入り口に『七変化』とタイトルが書かれた部屋では、タヌキのキャラクターが鏡にイタズラをしてしまう、という設定の部屋で、かべにかかったたくさんの鏡のひとつひとつに仕掛けが施されていた。
 ヒナタがある鏡の前に立つと、鏡のなかのヒナタの頭がぐぐぐ……と膨らんでいって、最後にはパチンとはじけて中から紙吹雪が飛び出した。
 となりでは、コウキの顔からヒゲが勝手にニョロニョロと伸びて、鏡の外側で笑っていたタヌキを捕まえようとヒゲとタヌキが追いかけっこをしている。
 カンちゃんはどうだろう、とヒナタが部屋の中を見回していると、数個となりの鏡の前でなんだか考え込むような表情をして立っているカンちゃんをみつけた。

「どうしたの?」
「ん、いや……ちょっとさ、ヒナタもこの鏡試してくれるか」
「いいよ」

 カンちゃんとヒナタの場所を入れ替え、鏡の方を向く。
 すると、鏡の中でヒナタが二人に分かれて、分身のヒナタも本物のと同じ動きを始めた。
 だけどちょっとだけ動きがちぐはぐだ。
 右手をあげると左手をあげる。あっかんべーと舌を出すと分身は舌を鼻に向かって持ち上げてみせる。
 鏡の中の分身はタヌキが化けているから、必死に真似していてもどこか失敗してしまう、という設定らしい。
 これも面白い。クスクス笑って後ろを振り返ると、カンちゃんは難しい顔をしていた。

「……何が見えた?」
「タヌキがぼくの分身になってたよ。ちょっとヘンテコな分身だったけど」
「他には?」
「他? 他になにか出てきたたっけ?」
「オレが試した時、なんか後ろを変なヤツが横切ったんだよ」
「他のお客さんが映っちゃったんじゃなくて?」
「ウチの婆さんくらい背を丸めて、歩き方もゾンビみたいにズルズル足を引きずっててさ、しかもなんか通った後の床に血がついてたような気がして……とにかく気味が悪くてな」

 と、しばらく深刻な顔をしていたカンちゃんだったが、ヒナタの心配そうな顔を見て「ま、見間違いかもな」と笑った。
 
 
 その次のインスタレーションは『深海魚』というタイトルがついていた。
 部屋の中に入ると、全ての壁がスクリーンになっていて、部屋一面に海底の風景が映し出されていた。

「うおお」
「すごいね」

 深海を泳ぐ珍しい魚やタコなんかは、ヒナタたちがスクリーンをつつくとそれに反応してすごいスピードで逃げ出したり、逆に大きな口を開いておそいかかってきたりした。
 全種類の魚をつついてやろうとスクリーンの前でうろうろしていたヒナタの後ろから、コウキの弱々しい悲鳴が聞こえたのはその時だ。

「な、なんだよあれ……!」
「どうしたっ?!」
「何かあったの」

 部屋の中でそれぞれ好きな場所に散っていたヒナタたちがコウキに駆け寄ると、コウキは腰を抜かして正面を指さしていた。
「い、今、そこに、人の死体が流れてきて……!」
「なんだって?」

 コウキが示すスクリーンに目をこらしても、そこには他と変わらない海の景色が広がっているだけだ。

「なんか、なんかさ! 水の中に血が広がってたんだよ! ぶわあって!」
「……笑えない冗談はよせよ」
「冗談じゃねえってば!」

 コウキがあまりにも必死なので、他の人に変な目で見られる前に、一旦そのインスタレーションから出ることにした。そして三人は、他の班に聞かれないように廊下の端に移動して頭を寄せ合った。
 うで組みをしたままのカンちゃんが、低い声で口火を切った。

「やっぱりなんか変だろ。修学旅行で来るような美術館で血まみれの人間が見えるなんて」
「じゃあ、カンちゃんやコウキが見たものは予定されたインスタレーションとは別……?」
「じゃあ、あれは本物のオバケってことかよ?!」
 コウキがすっとんきょうな声を出したので、ヒナタとカンちゃんは慌てて「静かに!」と口に指を当てる。

「一応、さ。先生に報告してみない?」
「信じてもらえねえと思うけどな」
「それでもこのまま知らんぷりはできないよ」
 
 ヒナタの言葉に、コウキも頷いた。

「もしかしたらさ、ここの設計したときのなんかのバグとかが見つかるかもしれないじゃん。ってか、そんなオチでもないときっとオレ毎晩夢にみちゃうよ」
「そうだな……ひとまず先生を探しにいくか」

 そう言ってカンちゃんが歩き出した方向に、特に意味はなかったはずだ。とりあえずロビーの方へ向かって歩いて行けば、そのうちどこかのクラスの先生が巡回しているのに出会うだろうという程度の考えだったと思う。

 だから、ヒナタがその部屋を見つけたのも、きっと偶然だ。

「ねえ……あれ、何だろう」

 ヒナタの視線の先には、まだ入っていなかったインスタレーションの小部屋があった。
 入り口のタイトルは『幻想』と書いてある。けれど、その部屋はなんだか異質だった。

 他のインスタレーションは、フロア内に規則的な間隔で配置されているのに、そこだけは、まるで非常出口かお手洗いみたいに、脇道に入った先にポツンと入り口がそびえたっていた。
 入り口を照らす照明は暗く、言いようもなく不気味だった。

 だけど――ヒナタは、そちらへ吸い寄せられるように歩き始めた。

「ちょっとヒナタ! どこ行くんだ?」
「行かなきゃ……」

 そう感じた理由はわからない。だけど、ヒナタはなんだか頭の中が燃えているみたいに熱くなって、理由を考えることも忘れるくらいの使命感で、二人を連れて『幻想』のドアを開いた。

 ***

「なんだよここ……」
 カンちゃんがそうつぶやいたのも、無理はなかった。
 
 暗闇の中、ようやく通路が見える程度の赤い照明がぽつりぽつりと灯っている。これまでのインスタレーションは明るくポップな設定だったのに対して、ここはおばけ屋敷みたいにおどろおどろしかった。
 ヒナタたちが足元を照らす明かりに導かれるように通路を進むと、突然、目の前に四つのとびらが現れた。
 その入り口の前に、看板が立っている。

『幻想の世界の住人と、会話をしてみませんか。一人ずつ進路を選び、とびらを開きましょう』

 四つのとびらには、それぞれ「北の幻想」「南の幻想」「西の幻想」「東の幻想」というプレートがかかっている。

「これ、一人ずつ別のとびらに進むの……?」
「ええっ、こわいんだけどマジで!」
「でもここから引き返すわけにも行かねえし、さっさと進んじゃおうぜ」

 そんな風に、早めに順路を進んで合流することを約束して、ヒナタは「北の幻想」のとびらに入った。
 扉を閉める瞬間、コウキは「東の幻想」へ、カンちゃんは「西の幻想」へと進んでいくのが見えた。

 とびらの先は北の幻想というだけあって、空気がしんと冷えた雪景色が広がっていた。
 もちろん、本物の雪があるわけではなく、他のインスタレーションと同じで部屋のスクリーンに風景を映しているのだ。

 見渡す限り、まっ平な雪と遠くの氷山が続いていて、人間はおろか、動物の姿もなさそうだった。

 その時だった。

 ――おーい。

「えっ?」
 スクリーンに広がる雪景色の向こうに、小さな人影が見えた。ヒナタに向かって手を振っている。

 ――おーい、聞こえてるぅ?
(こっちに話しかけてきてる……?)

 なんとなくだけれど、その人影はプログラムされた映像ではなくて、本当に誰かがそこにいる。ヒナタはそう直感したのだ。

「き、聞こえてるよ」
 ――なああんだあ。良かったあ。キミ、雪であそぶの好き?
「えっと、うん、好きだよ」

 これは何の話なんだろう。
 確か、入り口には「幻想の世界の住人と会話する」なんて説明があったはずだ。
 この人影が、幻想の世界の住人ということだろうか。

 ――そうかあ、好きかあ。それはなおさら良かった。
 
 そこで、会話はとぎれた。
 じゃあ次に進もうかな、とヒナタが考えた瞬間だった。
 大音量の声が部屋に響き渡ったのだ。

『じゃあ俺と代わってくれよおおおお!』

「わあああっ!」
 突然、遠くにいたはずの人影が音もなく人間離れしたスピードでヒナタの方へ近寄ってきて、ヒナタへ手を伸ばした。
 見開いた目は真っ赤で、大きく開いた口の中には真っ暗な闇が広がっていた。

「来るな来るなっ!」

 ヒナタは無我夢中で廊下を進み、ようやく『出口』と書かれたとびらを見つけて転がるように飛び出した。
 コウキとカンちゃんはすでにそこでヒナタを待っていて、肩でぜいぜいと息をするヒナタをおどろいたように見つめている。

「お、おい、どうしたヒナタ」
「ちょっと、中で、色々あって……」
「確か、ヒナタは北の部屋に入ったんだよな? 俺たちの声聞こえた?」
「『俺たちの声』?」
 コウキの言葉を、ヒナタは不思議に思って顔をあげた。
「さっきの部屋、それぞれ分かれてるみたいに見えてたけど、実はマイクとカメラが仕込んであって、画面越しにコミュニケーションとれるって仕組みだったらしい。だから映像の中に人が居ただろ?」
「俺も、人が居るなーと思ったらカンちゃんだったよ。ヒナタの声はわかんなかったけど」
「俺も、話し方でなんとなくコウキだな、と分かった感じだな」
「ああ、なんだ……」

 あの雪の向こうにいた人影は、中に入った人をカメラで映したものだったのだんだ。
 まあそうだよね、おばけなんて実際にはいるはずないんだから。
 
***
【真宵の解説編】
 ヒナタさん、楽しい修学旅行となったようで良かったですね。

 ところで、最後の部屋「幻想」だけは、他とふんいきがずいぶん違っていたようです。
 なんだか不気味なアートでしたね。

 最後に出口から出てきた三人が、中での出来事を確認していたとき、ヒナタさんは、友人のコウキさんとカンさんの話を聞いてこう納得しました。
「雪の向こうにいた人影は、中に入った人をカメラで映したものだったのだんだ」と。

 そう、あのインスタレーション『幻想』は、特別な演出で幻想的な空間を作り出していただけで、体験自体は別の部屋の人と話ができるという仕組みだったようです。
 コウキさんとカンさんはお互いを認識していたということは、西と東、北と南で通話がつながっていたのですね。

 ……おや?
 ヒナタさんたちは三人組で、コウキさんとカンさんで話ができたということは、ヒナタさんと話していたあの人影は誰だったんでしょうね?
 もしや、本物のオバケでしょうか。

 真相は分かりませんが、僕にはそう思えてならないのです。