【英雄】
ある日の昼休み、友人のゲンがコウタの机に近寄り、耳元に小さな声で話しかけてきた。
「なあ、クラスの女子たちが話してたの聞いたんだけどさ。こないだの週末、舞原アカリが芸能界にスカウトされたんだってよ」
「スカウトっ?!」
予想外の言葉が飛び出したせいで、コウタはおどろきのあまり飲みかけていたペットボトルのお茶をぶーっと吹き出した。そのままゲホゲホと思いきりむせてしまう。
ゲンはというと、そんなコウタの様子を面白そうに眺めながら、心配する様子もなくしゃべり続けた。
「なんか、ショッピングモールで事務所の人に声かけられたんだって。それで、舞原の方もちょっと興味を持ったとかで、まずはレッスンを受けるところから始めてみるらしい」
「ゲンはなんでそんな詳しいんだよ」
「俺の席の後ろで女子がずーっとその話してるからだよ」
そして、ゲンはニヤニヤ顔でコウタの肩をつついた。
こいつ、完全におもしろがってやがるな、とコウタは半目になってゲンを見上げる。
「どうするぅ? 舞原が女優とかになってさ、バンバン人気出てさ、東京とか行っちゃったりするかもよ?」
「そ、そんなの! ……どうもしねえっての」
コウタはその言葉に心が揺らいだのを悟られないよう、机にこぼれたお茶をゴシゴシと拭きながら、ぶっきらぼうにこたえた。
アカリとコウタの関係をシンプルに表現するならば、たった一言「クラスメイト」で済むだろう。たまたまツキカゲ中学の一年二組として、一年間、一緒に勉強することになった関係。
だけど、時間をもっとさかのぼれば、二人の関係はもう少し近づいてくる。実は、アカリとコウタは小学校も同じで、しかも、六年間ずっと同じクラスだったのだ。
毎年のクラス替えで一度も離れなかったのは、家がそこそこ近いからか、性格の組み合わせが良かったからか、はたまた偶然か……大人たちにどんな考えがあったのかはわからない。
しかし、コウタからすれば、決して悪い気はしなかった。
コウタがまだアニメのキャラクターやどの公園に珍しい遊具があるかみたいな情報しか興味がなかった当時から、彼女の評判はずば抜けていた。
何の評判かって?
答えは簡単。アカリは小学生の頃から、町を歩けば誰もが振り返る美少女だったのだ。
ぱっちりと大きな目をフチどる長いまつげも、すらりと長い手足も、さらさらの長いかみも、全部みんなのあこがれだった。芸能界にスカウトされたと聞いてもそりゃあ納得だ。
当然、その頃からアカリに恋心を抱く男子はたくさんいた。
けれど、誰にでも優しく、友達の多いアカリにアタックするだけの勇気がある男子はほとんどいなかった。心の中で小さな恋心を温めているだけで本人には伝えないパターンが大多数だった。
実は、コウタもその内の一人だったりする。
ゲンはそのことを知っているので、何かにつけてアカリのネタでコウタをイジってくるのだ。
迷惑なやつだ。
「でもさ、芸能界って……色々あるんだろ?」
「色々って?」
ニヤニヤしていたゲンが一転して、心配そうにまゆげを寄せたのでコウタも何ごとだろうと身を乗り出した。
「自分の利益のためにタレントをダマすとか、それ以前に、アイドルとか女優とか目指してる子に『芸能界』って言葉ちらつかせてお金だけ取るとか……」
「まじかよ。めちゃくちゃ怖いじゃん」
それは心配だ。
だって、アカリは底抜けに優しい心の持ち主なのだ。誰かを疑うことなんて絶対にしない。
だからこそ友達も多いし、どこへ行っても活躍できるわけだが、そんな悪意のある大人が居るところに飛び込むのは危険すぎる。
自分からダマされに行くようなものじゃなかいか!
アカリのために、何かしてやれないだろうか――。
無意識のうちに、そんなことを考えてしまうコウタなのであった。
***
それからひと月ほどが過ぎた頃、コウタは教室の隅でおしゃべりに花を咲かせている女子の集団に、アカリの姿を見つけた。
人前に立つレッスンを受け始めた効果なのか、何人かの集団でいても、最近はまず最初にアカリが視界に飛び込んでくる。まるで彼女のところにだけスポットライトが当たったかのように、視線が吸い寄せられるのだ。
アカリは現在は週に二日、お芝居やモデルポージングのレッスンに通っていて、水曜と金曜は部活を休んでいる。
なぜ知っているかというと、コウタは、アカリがレッスンに行く日は行きも帰りも付き添っているからだ。レッスン中は、近くの公園で時間を潰している。
また「舞原ばかり見てるな」とゲンにからかわれてもいやなので、楽しそうな女子たちを横目に通り過ぎようとした時、コウタの耳に気になる一言が飛び込んできた。
「最近、レッスンの行き帰りで誰かに後ろをつけられてる気がするんだ……」
アカリの声だった。
コウタは思わず振り返りそうになったけれど、それを直前に踏みとどまって、かべに貼ってある学級新聞を読むふりをしながら女子たちの話に神経を集中させた。
「え、なにそれストーカーっ?!」
周りの女子たちが悲鳴をあげた。
「それがよくわからないの……。なんか、ずっと私の後を歩いている足音が聞こえてるのに、振り返ると誰もいなくて。特にレッスンの帰りだと、辺りも暗くなり始めてるからちょっと怖いんだよね……」
大変だ。コウタは背筋が寒くなった。
アカリは学校からレッスンへ通うとき、行きはバスだけれど帰りは住宅街を通って二十分ほど歩く。
夜の住宅街は人通りも少なくて、何があってもおかしくない。
――もしもの時には、自分が助けにいかなきゃ。
コウタは心を決めた。
別に、アカリに良く思ってもらいたいわけではない。そんな下心を丸出しにしているようじゃ、周りの連中と変わらない。
コウタは、目立たなくてもいいから、ただアカリの役に立ちたいのだ。
本当の英雄って、そういうものだと思うから。
その日から、アカリのレッスンへ行く道のりでは周囲のものごとによく注意するようになった。
例えば、おかしな目でアカリを見ている人物はいないか、変な場所に停車している車はないか、いつもと違ったことはないか、などなど。
そして、少しでも何か気をつけた方がいいものが見つかったら、それをノートの切れはしに書いて、学校でアカリの席にそっと入れておいた。
「これで少しはトラブルを未然に防げるといいんだけど」
朝早く登校したコウタは、前の日に見たあやしい車(コンビニも何もない住宅街に停車していたのだ!)のことを書いた紙をアカリの机に入れながら、ひとりそうつぶやいた。
***
ゲンから奇妙な話を聞いたのは、それからしばらく経った頃だった。
「舞原、大丈夫なのかよ」
「大丈夫って、なにが?」
ゲンは辺りをきょろきょろと見回して、周りに話が聞こえてしまわないか確認し、さらに声を落とした。
「女子から聞いたんだけどさ、舞原、なんか変なやつに狙われてるらしい」
「なんだって?!」
「しーっ! 声がでかいよ」
注意されて慌てて口を手でふさいだ。思わず大きな声が出てしまった。
おそるおそる、その手をおろす。
「狙われてるなんて、そんなはずないよ。だって……」
もしアカリを狙うあやしい人物が居れば、コウタが気づいているはずだ。
最近はアカリの周辺はなにもなかったはずなのに……。
「又聞きだから詳しいことは分かんないけど、歩いてる時に視線を感じたり、よくわからない手紙……? みたいなのが届いたりするって聞いたぜ」
「なんだよそれ! めちゃくちゃ危ないじゃんか!」「お前なら何か知ってるかなーと思ったけど、あんまり知られてないみたいだな」
「気をつけないとなあ」
そんな話をしている最中に、当のアカリが教室に入ってきたので、ゲンとの会話はそこで終了となった。
コウタとしては、すぐにでもアカリに駆け寄って「俺がついてるから! 大丈夫だから」と声でもかけてあげたい気持ちだったけれど、クラスメイトのたくさんいる教室でそんな大胆なことができるはずもない。
仕方がないので心の中で、
(俺が、守ってみせるから……!)
と、念じた視線を送るだけにしておいた。
***
ある日のことだった。
いつものように、アカリがレッスンから帰ろうと横断歩道を渡っているのを見守っていたコウタは、後ろを怪しい男がつけていることに気がついた。
サラリーマン風の中年の男だ。スーツやカバンはきれいに手入れされていて、パッと見た印象だと真面目そうな人物に見える。
しかし、その男の目はじっとアカリだけを見つめていた。
(なんだあいつ……?)
コウタはさりげなく立ち止まってアカリと距離を置き、その男が通り過ぎるのを待ってから、再び歩き始めた。男がアカリをつけていて、更にコウタがその男の後ろにつけている順番になる。
この男がアカリが心配していた不審者だろうか。
だとすれば、これはかなりヤバい状況なんじゃないか?
だけど、こんなひとけのない場所で何か起こっても、助けてくれる人はいない。
その時は自分がアカリを助けなきゃ!
色々な考えが頭の中でぐるぐるとうずを巻きながら、コウタ達は歩き続けた。
次第に、男が歩くスピードを上げてアカリとの距離を縮めていく。
そしてついに――アカリの肩をつかんだ!
助けなきゃ!
「おいっ! 何してるんだ! その手をはなせ!」
コウタは大声で男に叫びながら、ダッシュで二人のもとへ駆けつけた。
急にどなられた二人はおどろいたように固まっている。
「アカリっ! 大丈夫か?」
「か、梶くん……どうして」
アカリはすっかり怯えた表情で、コウタを見ていた。
もう大丈夫。安心して。そんな気持ちをこめて強くうなずく。
「あやしい男の人がアカリに接触しようとしたのを見て、急いで来たんだ」
「あ、あやしい男……? あはははっ!」
コウタの言葉を聞いた男が、思わずといったように笑い出したので、今度はコウタの方が面食らってしまう。
「な、なんだ……?」
「梶くん、この人は、私のお父さん。あやしくない」
アカリは無表情にそう言った。
「お、お父さん?! ……ですか」
「そうだよ、おどろかせてしまったね」
あやしい男……いや、アカリのお父さんは、笑いすぎて目に浮かべた涙を拭きながらこたえた。
「な、なんだ……おれはてっきり……」
アカリのストーカーかと思って。
そんな失礼なことを言えるはずもなく、コウタは口をぱくぱくさせながらその場をあとにした。
「お父さんだったのか……」
どうやら、全てコウタのかんちがいだったようだ。
***
【真宵の解説編】
アカリさんのあとをつけていた男性は、不審な人物ではなくお父様だったとのこと。
アカリさんがストーカーに狙われているというのはコウタさんのカン違いだったようです。良かったですね。
……おや、しかし、最後のシーンでアカリさんは怯えた表情をしていたようです。
なぜでしょうか?
この謎を解くカギは、そこに至るまでの出来事にあります。
コウタさんは、アカリさんのレッスンに付き添っていると言っていますが、教室でも、レッスンまでの道中も、二人が話しているところは見かけませんね。
そして、コウタさんは怪しい人物をみつけると、それを手紙にして知らせていたようですが、それと前後して、アカリさんは「気味の悪い手紙が来る」と相談しています。
……そう、アカリさんが怯えていたストーカーというのは、コウタさんのことだったのです。
二人は小学校から同じクラスだったそうですが、だからと言って仲良くしている様子はありません。
特別な関係を築いてきたと感じていたのは、コウタさんだけだったのです。
人間関係というものは、特に、恋愛が絡んだりしたときにはなおさら、不必要なすれ違いや思い込みが暴走しがちです。
コウタさんも、自分の気持ちをきちんと言葉にできると良いですね。
ある日の昼休み、友人のゲンがコウタの机に近寄り、耳元に小さな声で話しかけてきた。
「なあ、クラスの女子たちが話してたの聞いたんだけどさ。こないだの週末、舞原アカリが芸能界にスカウトされたんだってよ」
「スカウトっ?!」
予想外の言葉が飛び出したせいで、コウタはおどろきのあまり飲みかけていたペットボトルのお茶をぶーっと吹き出した。そのままゲホゲホと思いきりむせてしまう。
ゲンはというと、そんなコウタの様子を面白そうに眺めながら、心配する様子もなくしゃべり続けた。
「なんか、ショッピングモールで事務所の人に声かけられたんだって。それで、舞原の方もちょっと興味を持ったとかで、まずはレッスンを受けるところから始めてみるらしい」
「ゲンはなんでそんな詳しいんだよ」
「俺の席の後ろで女子がずーっとその話してるからだよ」
そして、ゲンはニヤニヤ顔でコウタの肩をつついた。
こいつ、完全におもしろがってやがるな、とコウタは半目になってゲンを見上げる。
「どうするぅ? 舞原が女優とかになってさ、バンバン人気出てさ、東京とか行っちゃったりするかもよ?」
「そ、そんなの! ……どうもしねえっての」
コウタはその言葉に心が揺らいだのを悟られないよう、机にこぼれたお茶をゴシゴシと拭きながら、ぶっきらぼうにこたえた。
アカリとコウタの関係をシンプルに表現するならば、たった一言「クラスメイト」で済むだろう。たまたまツキカゲ中学の一年二組として、一年間、一緒に勉強することになった関係。
だけど、時間をもっとさかのぼれば、二人の関係はもう少し近づいてくる。実は、アカリとコウタは小学校も同じで、しかも、六年間ずっと同じクラスだったのだ。
毎年のクラス替えで一度も離れなかったのは、家がそこそこ近いからか、性格の組み合わせが良かったからか、はたまた偶然か……大人たちにどんな考えがあったのかはわからない。
しかし、コウタからすれば、決して悪い気はしなかった。
コウタがまだアニメのキャラクターやどの公園に珍しい遊具があるかみたいな情報しか興味がなかった当時から、彼女の評判はずば抜けていた。
何の評判かって?
答えは簡単。アカリは小学生の頃から、町を歩けば誰もが振り返る美少女だったのだ。
ぱっちりと大きな目をフチどる長いまつげも、すらりと長い手足も、さらさらの長いかみも、全部みんなのあこがれだった。芸能界にスカウトされたと聞いてもそりゃあ納得だ。
当然、その頃からアカリに恋心を抱く男子はたくさんいた。
けれど、誰にでも優しく、友達の多いアカリにアタックするだけの勇気がある男子はほとんどいなかった。心の中で小さな恋心を温めているだけで本人には伝えないパターンが大多数だった。
実は、コウタもその内の一人だったりする。
ゲンはそのことを知っているので、何かにつけてアカリのネタでコウタをイジってくるのだ。
迷惑なやつだ。
「でもさ、芸能界って……色々あるんだろ?」
「色々って?」
ニヤニヤしていたゲンが一転して、心配そうにまゆげを寄せたのでコウタも何ごとだろうと身を乗り出した。
「自分の利益のためにタレントをダマすとか、それ以前に、アイドルとか女優とか目指してる子に『芸能界』って言葉ちらつかせてお金だけ取るとか……」
「まじかよ。めちゃくちゃ怖いじゃん」
それは心配だ。
だって、アカリは底抜けに優しい心の持ち主なのだ。誰かを疑うことなんて絶対にしない。
だからこそ友達も多いし、どこへ行っても活躍できるわけだが、そんな悪意のある大人が居るところに飛び込むのは危険すぎる。
自分からダマされに行くようなものじゃなかいか!
アカリのために、何かしてやれないだろうか――。
無意識のうちに、そんなことを考えてしまうコウタなのであった。
***
それからひと月ほどが過ぎた頃、コウタは教室の隅でおしゃべりに花を咲かせている女子の集団に、アカリの姿を見つけた。
人前に立つレッスンを受け始めた効果なのか、何人かの集団でいても、最近はまず最初にアカリが視界に飛び込んでくる。まるで彼女のところにだけスポットライトが当たったかのように、視線が吸い寄せられるのだ。
アカリは現在は週に二日、お芝居やモデルポージングのレッスンに通っていて、水曜と金曜は部活を休んでいる。
なぜ知っているかというと、コウタは、アカリがレッスンに行く日は行きも帰りも付き添っているからだ。レッスン中は、近くの公園で時間を潰している。
また「舞原ばかり見てるな」とゲンにからかわれてもいやなので、楽しそうな女子たちを横目に通り過ぎようとした時、コウタの耳に気になる一言が飛び込んできた。
「最近、レッスンの行き帰りで誰かに後ろをつけられてる気がするんだ……」
アカリの声だった。
コウタは思わず振り返りそうになったけれど、それを直前に踏みとどまって、かべに貼ってある学級新聞を読むふりをしながら女子たちの話に神経を集中させた。
「え、なにそれストーカーっ?!」
周りの女子たちが悲鳴をあげた。
「それがよくわからないの……。なんか、ずっと私の後を歩いている足音が聞こえてるのに、振り返ると誰もいなくて。特にレッスンの帰りだと、辺りも暗くなり始めてるからちょっと怖いんだよね……」
大変だ。コウタは背筋が寒くなった。
アカリは学校からレッスンへ通うとき、行きはバスだけれど帰りは住宅街を通って二十分ほど歩く。
夜の住宅街は人通りも少なくて、何があってもおかしくない。
――もしもの時には、自分が助けにいかなきゃ。
コウタは心を決めた。
別に、アカリに良く思ってもらいたいわけではない。そんな下心を丸出しにしているようじゃ、周りの連中と変わらない。
コウタは、目立たなくてもいいから、ただアカリの役に立ちたいのだ。
本当の英雄って、そういうものだと思うから。
その日から、アカリのレッスンへ行く道のりでは周囲のものごとによく注意するようになった。
例えば、おかしな目でアカリを見ている人物はいないか、変な場所に停車している車はないか、いつもと違ったことはないか、などなど。
そして、少しでも何か気をつけた方がいいものが見つかったら、それをノートの切れはしに書いて、学校でアカリの席にそっと入れておいた。
「これで少しはトラブルを未然に防げるといいんだけど」
朝早く登校したコウタは、前の日に見たあやしい車(コンビニも何もない住宅街に停車していたのだ!)のことを書いた紙をアカリの机に入れながら、ひとりそうつぶやいた。
***
ゲンから奇妙な話を聞いたのは、それからしばらく経った頃だった。
「舞原、大丈夫なのかよ」
「大丈夫って、なにが?」
ゲンは辺りをきょろきょろと見回して、周りに話が聞こえてしまわないか確認し、さらに声を落とした。
「女子から聞いたんだけどさ、舞原、なんか変なやつに狙われてるらしい」
「なんだって?!」
「しーっ! 声がでかいよ」
注意されて慌てて口を手でふさいだ。思わず大きな声が出てしまった。
おそるおそる、その手をおろす。
「狙われてるなんて、そんなはずないよ。だって……」
もしアカリを狙うあやしい人物が居れば、コウタが気づいているはずだ。
最近はアカリの周辺はなにもなかったはずなのに……。
「又聞きだから詳しいことは分かんないけど、歩いてる時に視線を感じたり、よくわからない手紙……? みたいなのが届いたりするって聞いたぜ」
「なんだよそれ! めちゃくちゃ危ないじゃんか!」「お前なら何か知ってるかなーと思ったけど、あんまり知られてないみたいだな」
「気をつけないとなあ」
そんな話をしている最中に、当のアカリが教室に入ってきたので、ゲンとの会話はそこで終了となった。
コウタとしては、すぐにでもアカリに駆け寄って「俺がついてるから! 大丈夫だから」と声でもかけてあげたい気持ちだったけれど、クラスメイトのたくさんいる教室でそんな大胆なことができるはずもない。
仕方がないので心の中で、
(俺が、守ってみせるから……!)
と、念じた視線を送るだけにしておいた。
***
ある日のことだった。
いつものように、アカリがレッスンから帰ろうと横断歩道を渡っているのを見守っていたコウタは、後ろを怪しい男がつけていることに気がついた。
サラリーマン風の中年の男だ。スーツやカバンはきれいに手入れされていて、パッと見た印象だと真面目そうな人物に見える。
しかし、その男の目はじっとアカリだけを見つめていた。
(なんだあいつ……?)
コウタはさりげなく立ち止まってアカリと距離を置き、その男が通り過ぎるのを待ってから、再び歩き始めた。男がアカリをつけていて、更にコウタがその男の後ろにつけている順番になる。
この男がアカリが心配していた不審者だろうか。
だとすれば、これはかなりヤバい状況なんじゃないか?
だけど、こんなひとけのない場所で何か起こっても、助けてくれる人はいない。
その時は自分がアカリを助けなきゃ!
色々な考えが頭の中でぐるぐるとうずを巻きながら、コウタ達は歩き続けた。
次第に、男が歩くスピードを上げてアカリとの距離を縮めていく。
そしてついに――アカリの肩をつかんだ!
助けなきゃ!
「おいっ! 何してるんだ! その手をはなせ!」
コウタは大声で男に叫びながら、ダッシュで二人のもとへ駆けつけた。
急にどなられた二人はおどろいたように固まっている。
「アカリっ! 大丈夫か?」
「か、梶くん……どうして」
アカリはすっかり怯えた表情で、コウタを見ていた。
もう大丈夫。安心して。そんな気持ちをこめて強くうなずく。
「あやしい男の人がアカリに接触しようとしたのを見て、急いで来たんだ」
「あ、あやしい男……? あはははっ!」
コウタの言葉を聞いた男が、思わずといったように笑い出したので、今度はコウタの方が面食らってしまう。
「な、なんだ……?」
「梶くん、この人は、私のお父さん。あやしくない」
アカリは無表情にそう言った。
「お、お父さん?! ……ですか」
「そうだよ、おどろかせてしまったね」
あやしい男……いや、アカリのお父さんは、笑いすぎて目に浮かべた涙を拭きながらこたえた。
「な、なんだ……おれはてっきり……」
アカリのストーカーかと思って。
そんな失礼なことを言えるはずもなく、コウタは口をぱくぱくさせながらその場をあとにした。
「お父さんだったのか……」
どうやら、全てコウタのかんちがいだったようだ。
***
【真宵の解説編】
アカリさんのあとをつけていた男性は、不審な人物ではなくお父様だったとのこと。
アカリさんがストーカーに狙われているというのはコウタさんのカン違いだったようです。良かったですね。
……おや、しかし、最後のシーンでアカリさんは怯えた表情をしていたようです。
なぜでしょうか?
この謎を解くカギは、そこに至るまでの出来事にあります。
コウタさんは、アカリさんのレッスンに付き添っていると言っていますが、教室でも、レッスンまでの道中も、二人が話しているところは見かけませんね。
そして、コウタさんは怪しい人物をみつけると、それを手紙にして知らせていたようですが、それと前後して、アカリさんは「気味の悪い手紙が来る」と相談しています。
……そう、アカリさんが怯えていたストーカーというのは、コウタさんのことだったのです。
二人は小学校から同じクラスだったそうですが、だからと言って仲良くしている様子はありません。
特別な関係を築いてきたと感じていたのは、コウタさんだけだったのです。
人間関係というものは、特に、恋愛が絡んだりしたときにはなおさら、不必要なすれ違いや思い込みが暴走しがちです。
コウタさんも、自分の気持ちをきちんと言葉にできると良いですね。