【四季】
 カリンの家にお手伝いロボットがやってきたのは、カリンが四年生に上がってすぐの春の日だった。

「これで、生活はかなり楽になるはずだぞ」
 カリンのパパは、満足そうに笑って、カリンとカリンのママにそのロボットを紹介した。

 お手伝いロボット、型番AXA-6000、通称「アックス」は、人間とほぼ同じ見た目をしていて、家事やペットの世話など家の中の雑用を代わりにこなしてくれる最新AI登載のテクノロジーだ。
 見た目も色々なバージョンがあるらしいけれど、ウチに来たアックスは、カリンの希望で大学生くらいのお姉さんのスキンを選んでもらった。

「やったー! カリンにお姉さんができた!」
「良かったわね」
 ママも、カリンとおなじくらいニコニコしていた。
 
 ひとりっ子のカリンは、一緒に遊んでくれる兄弟がいたらいいのに、とずっと思っていた。
 できれば、優しいお姉さんが欲しいな、と。
 カリンのパパも「おいおい、アックスはお前の遊び相手じゃなくて、家事を手伝うロボットなんだからな」なんて言いつつも、喜ぶカリンを見て嬉しそうにしている。

「ねえ、パパ。カリン、アックスとおしゃべりしてみたい」
「いいよ。アックスはもう日本語の設定になっているから、スイッチを入れたらおしゃべりできるはずだ」

 パパとママは「アックスを梱包していたゴミをかたづけてくる」と、玄関の方へ行ってしまったので、リビングに残ったカリンは改めてアックスに向き直った。
 アックスは、ダイニングテーブルの椅子に座り、眠っているかのように静かにうつむいている。
 真っ白のシャツからのぞく首筋や、太ももの上でお祈りするみたいに組まれた手の肌の感じは、本当に人間と変わらない。これがロボットだなんて、パッと見ただけの人では見分けがつかないんじゃないかと思う。
 
「えっと、スイッチを入れたらいいんだよね……」
 スイッチは背中側の、腰より少し上の辺りにあった。
 なんだかあまりに人間そっくりなので、シャツをめくり上げて肌を見るのは悪い気がした。代わりに、片手だけをシャツに潜り込ませて手探りでスイッチを探す。
 どうやらこの位置に、アックスの設定用パネルが並んでいるらしく、それっぽいボタンがいくつかあった。
 
「これかな……、いや、こっちかな……、あ、これか」
 
 手当たり次第にボタンを押したが、ピッ、ピッ、と音が鳴るだけで動き出す様子はない。
 そうやって何個目かのボタンを押した瞬間、ようやくアックスの内側からブゥン、と起動音が聞こえた。
 そして、うつむていたアックスがゆっくりと顔を上げ、表情を確かめるみたいにぎこちなくほほえんだのだ。
 
「こ、こんにちはアックス」
 
 カリンはドキドキしながら、声をかける。
 自分でも意外なほどきんちょうして、声が少し震えてしまったかもしれない。
 ちゃんと聞こえたかしら。
 
「こんにちは。あなたの名前を教えてください」
「わ! 返事した! ……私はカリン」

 カリンは(私、いまロボットとしゃべってるんだ……)と変な感じでモジモジしながら、それでも精一杯感じよく見える(ロボット相手だけど)ように、にっこりして答えた。
 
 そこまでで、そんなに変なことはしなかったはずだ。
 ただ、名前を伝えただけなのだから。

 だけど、アックスはそんなカリンに向かって、いじわるく口の端を持ち上げてニヤリと笑って言ったのだ。

 「カリン、ですね。すごく()()()()ですね」

***

 お手伝いロボットと聞いたとき、アニメやマンガでみたような、家族みたいに仲良くできる存在を想像したのはカリンの早とちりだったのだろうか。
 アックスは、夏が始まる頃になっても最初の日と変わらずイジワルだった。

 その日はとりわけ暑い日だった。
 アックスが掃除をしている横で、カリンは食器棚から出したグラスにジュースを入れようとしていた。
 重いジュースのペットボトルと、グラスをキッチンからリビングへ運ぼうとしていたカリンは、ちょうどキッチンの前で掃除機をかけていたアックスとぶつかってしまった。
「あっ!」
 バランスがくずれてよろめいた瞬間、カリンは持っていたグラスを床に落としてしまったのだ。
 ガチャンと派手な音を立てて、粉々に割れたガラスが床に飛び散った。
 
「カリン!」
 アックスが大きな声を出した。カリンを破片から遠ざけながら、無表情のまま片付け始める。
「あなたが汚した場所を掃除するのは私の仕事ではありませんよ」
「ご、ごめん……」
「許しません」

 カリンだってわざとやったわけじゃない。
 最初は申し訳ないと思っていたのに、アックスのあまりに冷たい言い方に、ちょっと腹が立った。

「そんなこと言ったって、アックスは家事をするためにウチに来たんでしょう? それなのにそんな怠けたことを言うなら、役立たずじゃない」
「私は仕事が好きではありません」
「はあっ?! それが言い訳になると思うの?! ……信じられない!」

 アックスが家にやってきた日、仲良く一緒に遊んでくれるお姉さんを期待していた自分がバカみたいだ。
 実際はこんな冷たいただのいじわるな機械だなんて。
 カリンは腹立ちまぎれに、アックスの仕事を増やしてやろうと自分のビーズケースの中身をリビングの床にぶちまけた。
 そして背中を向けてガラスの破片を集めているアックスに「これ、片付けといてよね」と言い捨てて自分の部屋に帰ることにした。

 振り向いたアックスは、少し悲しそうな顔をしていたような気がした。

***

 秋が来ても、状況はほとんど変わっていなかった。
 アックスはカリンのやることなすこと全てにイヤミを言うし、カリンの方も、アックスに対して冷たい態度をとることが日常になっていた。
 
 そういえば、ママやパパはアックスのあの態度に怒っていないんだろうか。
 ふとカリンの頭にそんな疑問が浮かぶ。
 一度ママに話してみるべきかも、とカリンは今になってようやく思いついた。
 ママなら、この時間いつもコーヒーを飲んでテレビを見ている。
 
 リビングに行くと、狙い通りママはマグカップ片手にテレビを見ていた。しかも、ちょうどアックスはベランダで洗濯物を干していて、話を聞かれる心配もない。

 カリンは静かにママに近づいて、小声で話しかけた。
 
「ねえママ」
「どうしたの?」
「アックスって、ママにいじわるなこと言ったりしない?」

 ママは首をかしげて「うーん」としばらく考えたあと、不思議そうに首を横に振った。
「ないと思うけど。でもまあ……そとそも、パパやママはアックスに家事のお願いをするときくらいしか話しかけないからね。そんなに会話自体してないもの。アックスと一番仲良しなのはカリンだと思うわ」
「仲良しでは……ないと思うけど」
「カリンもこれまではさみしい思いをさせちゃったものね。アックスのこと、家族たど思って仲良くしてね」
「……ん」

 全然ダメだ。話が通じる気がしない。
 カリンは黙ってうなずいて、ママがマグカップを片付けに行く後ろ姿を見送った。

 それと入れ違いに、アックスがベランダから部屋に入ってくる。
 なんだか、カリンの方をチラチラ見ているような気がした。
 
「なに見てるのよ。あっち行きなさいよ」
「……ちょうど、私もカリンの言う通りにしたいと思っていました」

 ……なにあれ。
 なんか、軽くあしらわれた感じ。
 
***
 
 冬の寒さが辺りを包む頃には、カリンとアックスの関係もすっかり冷え込んでいた。
 カリンはアックスに対して積極的には関わろうとしなくなったし、アックスはもうカリンの言葉はまともに聞かず、受け流しているようだった。
 
 冬休みのある日のこと。ママがアックスを購入したときの書類を引っ張り出してきた。
 アックスは、新品で購入したロボットだから、最初の一年が経つ頃にメーカーの点検サービスが受けられるらしい。
 パパは「まだ買ったばかりと思っていても、こまめに点検することで長持ちできるんだよ」なんて言ってたけれど、カリンは別にアックスが長持ちしてほしいなんて思わない。

 だからといって点検を妨害するほどのことでもないので、ママが予約の電話をかけるのを、カリンはダイニングテーブルからぼんやりと見つめていた。
 人気商品なだけあって、似たような用事で電話している人が結構いるらしい。リビングには、ママの電話のスピーカーから流れるコールセンターの保留音がずっと鳴っていた。
 
 アックスは、キッチンで静かに包丁を研いでいる。
 シャッ、シャッ、シャッ……という金属のこすれる音が、やけに大きく響いていた。
「アックス、うるさい」
「そう言うと思っていました。もう少しで終わりますよ」
 そういいつつも、アックスは一心不乱に包丁を動かしている。

「アンタ点検してもらえるらしいよ。そこでなんか異常が見つかって回収されちゃえばいいのに」
「私は、カリンとずっと一緒にいたいです」
「ウソばっか」
 
 その時、ずっと保留音だったコールセンターへの電話が突然つながった。
 ママがよそいきのちょっと澄ました声を出す。
「あっもしもし、お手伝いロボットの新品一年点検をお願いしたいんですが……」

 簡単なやりとりで日時の約束を取り付けたあと、最後に電話の向こうのスタッフがたずねた。
『ちなみに、なにか普段アックスをご使用の際にお困りのことはありませんか?』
「うーん、仕事はきっちりしてくれるし、故障しているところもないけれど……」ママは少し考えてから、ちょっとしたついでみたいに「ウチのむすめと仲が悪いみたいで。初対面のころから悪口が多かったみたいです。最近はそうでもないですが」
『悪口? 最初からですか?』
 スタッフは何か考えるようにしばらく沈黙したあと、なにかを思い出したように「あぁ!」と声をあげた。
『アックスの起動時“反対言葉モード”になっていませんか? 思った事と反対のことをしゃべるように出来るモードがあるんです』

 ママはその人に言われるがままに、アックスの背中をのぞき込み、パネルの表示を確認した。
「あら本当。じゃあアックスはずっと反対言葉を話していたのね」
 ママは「全然気づかなかったわねえ」なんて笑って、スタッフにお礼を言って電話を切った。

 カリンは、改めてアックスの顔を見た。
 包丁を研ぎ終わって刃の様子を確認していたアックスは、カリンの視線に気がついて、にっこりと笑った。

「ずっと、一緒に、いましょうね」

***
【真宵の解説編】
 お手伝いロボットの設定ミスがあったなんて大変でしたね。
 しかし、反対言葉をしゃべっていたとは……。

 おや?
 だとすると、どういうことでしょう?
 最初はピリピリしていたカリンさんとお手伝いロボットの関係は、季節のうつろいとともに次第に落ち着いてきたのだとばかり思っていましたが……。
 それも、全て逆になるのではないですか?
「許しません」は「許します」に。
「ずっと一緒にいましょう」は「もう一緒にいたくない」に。

 そういえば、カリンさんはずっと、ロボットならばいいだろうとかなりひどい態度をとっていました。
 そして「もう一緒にいたくない」と言ったロボットの手には、包丁が握られているのです。

 このあとのカリンさんがどうなったのか、予想がつくでしょうか?