どうしてこんなに胸が痛い?
 手のひらから溢れ落ちるのは、見た事のない感情

 向かう先は曖昧で 足元は棘の道
 だけどもう進むしかない
 僕のよりどころはたった一つだったはずなのに
 今はもう何処かに行ってしまった

 どうしてこんなに涙が出るのだろう
 見上げた先にあるのは、心を映した雨模様

 掲げた目標は一緒でも 見つめる先は違うんだ
 それでも立ち止まる訳にはいかない
 僕の道しるべはたった一つしかなかったのに
 今はもう何処にもないんだ

 だけど僕は笑う 何でもない事のように
 見上げた先には青空と 涙色の虹が見えた



「う~ん……初めてにしちゃ良い感じなんだけどね……」
 竜樹の部屋で衝撃的な場面を見てからダッシュで自分のレッスン室に帰ってきた俺は、今まで感じた事のない感情に戸惑いながら何かに衝き動かされたようにしてこの歌詞を書いた。そしてそれを今、氷月に見せたところだ。

「字余りな部分もあるし、まぁでもそこら辺は僕が指導する事にして……ねぇ、嵐。何かあった?」
「うぇっ!な、何かって?」
「……わかりやすいね、君って。」
 小さくため息をつかれ、少々ムッとする。
「べ、別に……何もねぇよ。」
「そう。ならいいけど。変に他の事に気を取られて練習に身が入らないんじゃないかって心配したけど大丈夫そうだね。」
 その物言いにカチンときて氷月が持っていた俺の書いた歌詞カードを無理矢理奪い取ると言った。
「お前さ……その一言多い癖直した方がいいと思うぜ。それでなくても最近裏で色々言われてるんだ。その内竜樹辺りが我慢の限界で爆発するかもな。」
「…………」
 強張った顔になった氷月に背を向けて、氷月の部屋を後にする。

「はぁ~……」
 出た瞬間大きいため息をついた。
「何であんな事言っちまったんだろ……俺らしくもない。……後で謝ろう。」
 今すぐにでも謝ろうと思えば謝る事はできたのだが、何となく億劫になってそのままスタジオへと足を向けた。
「あ……吹雪……」
「あ~!嵐!探したんだよ?何処行ってたの?」
 スタジオに入った途端、吹雪の姿が飛び込んでくる。茫然としていると吹雪が走ってきた。

「聞いたよ?南海から。氷月から作詞頼まれたって?」
「う、うん……」
「もう!そういう事は早く言わないと。それで?その持ってるやつ、嵐が考えたの?」
「あぁ……」
 探しても見つからなかったのはそっちじゃねぇか!なんて心の中で悪態をついてると、するりと歌詞カードを奪われた。

「あ!ちょっとそれはっ……」
 無性に恥ずかしくなって取り返そうとしたが、難なくかわされて床に無様に倒れ込んだ。くそっ…こうなったら開き直るしかない!
「どうだ!俺の渾身の歌詞は!?」
「ぜんっぜんダメ。」
「へっ……?」
 一刀両断されて這いつくばったまま、情けない声を出す。見上げると吹雪がその紙を丸めて俺を見下ろしていた。まさか……
「うそだろ!もう四回目だぜ?勘弁してくれ~!」
「はぁ?何訳わかんない事言ってんの!ちょっと!逃げるな~!!」

「あーあ……また始まった。これじゃあ今日の通し練習は無理だね……」
「そうだね……でもよく飽きないでやるよね。吹雪も嵐くんも。」
「あれ~?風音と南海ちゃん内緒話してる~ズルいぞ!何の話?」
「あ、雷か。嵐と吹雪ちゃんがまた鬼ごっこ始めたんだ。…ゴホッ……ホントに迷惑千万だよ。ゲホッ……」
「風音君、また風邪?」
「……違う、違う。嵐達が騒いで埃が飛んでむせただけ。心配しなくてもいいよ。南海ちゃん。」
「そう。ならいいんだ。それにしても……」
「うるさいからいい加減にして欲しいよね~」
 俺が追い回されている間、三人の間でこんな会話があった事はもちろん知る由もなかった……



「嵐さ、モナリザ見た事ある?」
「何だよ、突然……」
 追いかけっこが終了して、今は二人用のレッスン室。それぞれ机に向かっている時、吹雪が唐突に言った。
「モナリザって、あのモナリザ?」
「うん。ダ・ヴィンチが描いた絵画のモナリザ。」
 振り返って聞くけど吹雪は背を向けたまま答えた。俺は一瞬考えて、
「テレビ越しでは見た事あるけど、生ではないな。」
 そう言った。
「私はある。昔ね、ダ・ヴィンチの展覧会があって、父に連れていってもらったの。レプリカだっただろうけど、凄く綺麗で感動したのを覚えてる。」
「へぇ~そんなに綺麗だったのか?」
「そりゃもう!魅了されるって言うのかな。本当に素敵だった。」
 その時振り向いた吹雪の顔がキラキラしてて、思わず見惚れた。ドクンッと胸が高鳴る。
「でもね、その当時の私は小学生だったから、モナリザのあの表情の意味が理解できなかったの。微笑んでるんだけど何処か悲しげで、儚くて消えちゃいそうで……でも幸せそうにも見えるの。不思議な笑顔だった。」
「ふ~ん……」
 そう言う吹雪の表情こそ、そのどれにも当てはまりそうな笑顔に見えた。

「……あのね、嵐。私……」
「おーい!嵐に吹雪!通し練習始めるってよ。」
 吹雪が何かを言いかけた時、竜樹の声がスタジオから聞こえた。瞬間、吹雪の体がぴくりと跳ねる。
「お、おう!今行く!……行くぞ。」
「あ、待って!」
「ん?」
「私…私ね……?」
 上目遣いで俺を見る吹雪を見て、さっきの竜樹と抱き合ってたシーンがまた蘇った。
 心臓がもの凄い力で掴まれているようで苦しい。俺は数秒の間ゆっくり深呼吸をすると、背中を向けてドアに手をかけた。
「先行ってる。」
「嵐!」
 吹雪の声を断ち切るように勢いをつけてドアを閉める。そしてそのままスタジオへと入っていった。

 吹雪は俺に何を言おうとしたのか。もしかして竜樹との関係を報告するつもりだったのか?抱き合っていたぐらいだ。付き合っているんだろう。でも何故それを俺に報告?バレる前に言っとこうっていう事か?っていうかいつからだ?デビューする前はそんな気配はなかったはずだ。なら最近の話か?いつだ?何で俺の知らない間に二人がくっついてんだ?じゃあ俺のこの気持ちは一体何処に……
 そこまで考えてハッと我に返る。そして未だにキリキリと痛む胸元を押さえて呟いた。

「俺は……吹雪が……」
――好きなんだ。